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Vol.140
ビバ!素のまんま

文・河内裕史さん(京都市在住)
市野瀬バス停に到着した時、実は何かの問題が起き、運転手さんが急ブレーキを踏んだのだと思った。 『ボタン、押されませんでしたよね?終点ですよ』
女性の運転手さんからそう言われても、この何も無い左カーブが、まさかターミナルなバス停だとは、どうしても信じられなかった。
『えッ?市野瀬って…ココなんですか?』
未だ半信半疑な私は、それでも車外をキョロキョロと眺めながら、綾部駅からの運賃を用意し始めた。 この辺りのことは詳しくないこと、ましてや芝原キヌ枝さんについては知らないということを告げてそのバスは去り、道の向こう側の橋の袂に『市野瀬』というバス停の看板を見つけるまで、私は、この日一番の不安を抱いていた。
さて、そこからの「一本道」、手元の地図にあるような真っ直ぐな道では当然なく、思った以上に細い道が、より山深くへと延びているだけ。
『地図の通り歩けば、何も問題無いさ…』
と頭では思っているが、綾部駅では晴天だった空も、この辺りでは雪も降り出しそうなくらいの曇天。
大町バス停から先で現れた残雪も、ココではかなり残っている。せっかく前の晩から用意しておいた長靴を持って来るのをうっかり忘れてしまったこともあり、少し心細い気分になってきていた。そんな頃、散歩中の女性を発見。
『あのぉ…芝原さんのお宅って、この道でイイんですよネ?』
と、念の為に尋ねてみた。
『芝原さん?そうですよ。芝原キヌ枝さんのお家は…ホラ、あの青い小屋の上です』
ホッ、良かった!これでとにかく、芝原さんのお家に辿り着くことはできるぞ。
そう思い、それまでの不安がウソのように急にウキウキし始めた。それは、この辺りからの風景が、そこまでに比べ、少し開けたからということもあったかもしれない。
さあ、いよいよ青い小屋までもう少しだ…とその時、手前の小さな小屋で作業をされていたご婦人がお一人、こちらに近付いて来る。
『河内さんですか?』
『ハイ。あッ!芝原さんですか?』
満面の笑みを湛えた素敵なご婦人、芝原キヌ枝さんとの出会いは、私の場合、こんな風に始まった。
『今は、何をされてたんですか?』
何かの植物が、小屋の中で干されているのを見て、私はそう尋ねた。
『ハブ茶を作るための準備をしとったんです』 これまでの民泊体験記に書かれていた通り、芝原さんはとても元気で明るい方だった。
しかも、若い!最初、近付いて来られた女性が芝原さんだと気付かなかったのも、その溌剌とした若さのせいだろう。
『へェー、ハブ茶って、元はこんな感じなんですかぁ!』
『そうです。作っても作ってもスグに売れるんですよ』 ニコニコと笑顔の絶えない芝原さんとお話していると、やっぱり来て良かった!という思いがどんどん募ってくる。何だか、嬉しくて仕方がない。
『何か、お手伝いしましょうか?』
『いえいえ、それより家に入りましょう』
そんな会話を交わしながら、早速、芝原さん宅へ。そして、この瞬間から、私にとって本当に楽しく、貴重な二泊三日の農家民泊が始まったのだった。
細かい部分は異なるが、間取りが母の、兵庫県の実家のそれと本当によく似ていて、更に言葉も、母の実家の方言とそっくりな為、『お邪魔します…』というよりは、『ただいまー!』という懐かしさを感じたこと。
中に栗が入り、外がサツマイモ餡の和菓子と、ハブ茶を含めた2種類のお茶で、最初のおもてなしを受けたこと。
亡くなられたご主人の長靴を貸して下さって、目の前の畑口川の水に触れてみると、思ったよりも冷たくなかったこと。 後で、初夏を迎えた畑口川でのホタルの乱舞もカジカ蛙の合唱も、上林川のそれよりも更に素晴らしいのだと、本当に嬉しそうに仰ったこと。
『素のまんま』である蔵に案内して頂く際、塩見さんからも伺っていた2本の名木に抱きつかせて頂いて良いですか?と尋ねると、
『どうぞ、どうぞ。子供さんらは、上の方まで登ってやで』と、笑顔で応えて下さったこと。
よっしゃ、そしたら俺も、今度来た時には登らしてもらおッ!と思ったこと。
蔵の入口に、HPなどで観ていた蓑と笠が掛かっていたこと。
その蓑に、芝原さんお手製の可愛い「ミニ笠」が乗っかっていたこと。
実は、その蓑がネズミに齧られて、だいぶ短くなったというお話を聴き、ネズミは何でも齧るんだなと、かなりビックリしたこと。
芝原さんには、もうほとんど感じなくなったということだが、蔵に入ると、木の良い香りが、未だかなり香ってきたこと。
歌も句もお上手で、新聞やテレビで何度も優秀作として紹介されたにも関わらず、そうした受賞作などを全く「スクラップ」などされずにいらっしゃるということが可笑しかったこと。
朝が早かったので、蔵で昼寝をさせて頂いたが、疲れ過ぎていたのか、あまり眠れなかったこと。
蔵の壁の上の方にある『水』の文字や、母屋の屋根の中ほどにある家紋のこと、
それに昔はお手洗いだった建物の「通風孔」が、何気にハート・マークなことなど、
それまで気付かれなかったことや、私が初めて質問する旅人だと知り、なんだか嬉しかったこと。
そうこうしている内にお風呂の時間となり、母の実家で入る以来の五右衛門風呂を満喫したこと。
それにしても、熱めの湯が好きな私が、次の日もそうだったが、水をかなり足したこと。
天気が悪かったせいもあったが、塩見さんからお聴きし、私も『オオッ!それは良いアイデアですねッ!』と思っていた、次の旅人の為に、せめて焚き付けの小枝だけでも拾ってくるというのを、2日間ともすっかり忘れてしまったこと。
芝原さんにその旨を話すと、『そんなに気を使うてもらわんでも、良いんやで』と、笑顔で話され、でも私は苦笑いしたこと。
浴室の天井がかなり低く、『息子さん、そんなに背が高いんでしたら、かなり大変だったでしょうねェ!』と盛り上がったこと。
農作業をお手伝いさせて頂くタイミングを逸し、知らない間に夕食タイムになったこと。
そこで、大量の食事を目にし、『コレ、喰い切れるかなァ…』と不安になっていたら、『たくさん食べとくれでねェ。食事の残るんが一番困るんですわな』と早速、‘ジャブ’で牽制され、たぶん、2日分くらいは喰わされたこと。
『むかごが、もう無うなってしもうて』ということで、ホカホカで旨々の、我が家で喰っている丹後産のものよりも二周りほど大粒のコシヒカリに、数え切れないくらいのギンナンが入ったご飯、肉、山盛りに近い‘ヤマノイモ’の効果がてきめん?で、食後から就寝前にかけ、鼻血が出そうになったこと。
‘ちょろぎ’という、シソ科でおせちの黒豆に乗っかっているらしい縁起物を紅白で頂き、帰宅後に調べたところ、「赤いモスラの子供」と説明されているものがあり、『そう、その通りッ!』と爆笑したこと。
その他、野菜やお漬物、味噌などに至るまで、例え今ではご自身で作ってらっしゃらなくても、そのほとんどをお友達からなど「地元」で揃えられる豊かな食卓だったこと。
『テレビはね、CMが好きやないもんで、NHKしか観ちょらんのです』と仰ってたのを、『そうですか。でも、民放にも面白い番組がありますよ。例えば…』ということで、2日目の晩に「鉄腕DASH!」を一緒に観、『これは、良い番組やわねェ』と仰っていただいたこと。
しかし、翌週の企画がおバカな内容だった為、『来週は、観なくてもイイかもしれませんね…』と私が落ち込んで言うも、『よいよい。来週も観ます!』と仰ってたのに、メモに放送日時を書いてらっしゃらなかった為、後日、お電話をした際に、『あの「鉄腕DASH」という番組、アレ、いつ放送じゃったかいねェ?』と尋ねられ、思わずズッコケたこと。
突き当たりの集落、市志への道が、夜は全くの闇だということでそれを味わおうと、サーチライトをお借りし、防寒も万全で出動するも、本当に真っ暗闇で、少ししか歩けずに戻ってきたこと。
で、その「リベンジ」とばかり、翌晩にはもう少し先まで行き、所要時間も短かった
ことで、初日、いかにビビッていたかを思い知らされたこと。
その後、少子高齢問題や最近の凶悪犯罪、イラクへの自衛隊派遣問題や環境問題、そして何故か嫁・姑問題に至るまで、本当に多くの「シリアスな」話題についてたくさんお話をし、たくさん考えさせられたこと。
そしてそれ以上に、かつての暮らしの大変さや美しさ、私が持ち出すバカ話などで、二人とも大いに笑ったこと。
夕方頃から気になっていた良い香りの正体が、私の寝所となった仏間の仏壇で焚かれていたお線香だと知ったこと。
で相変わらず?『良い香りですかいねェ?』と芝原さんが、まるで他人事のように仰ったこと。
そして寝る前に、ペンシルバルーンで「ラブ・プードル」という風船アートを作って差し上げたところとても喜んで頂き、帰りの朝、食卓近くに飾って下さったこと。
芝原さんには、初日に「犬」を、翌日には「ウサギ」の作り方を教えて差し上げ、どちらも本当に上手く作ってらっしゃったこと。
そして、その風船を『誰かが来ちゃったら、どれかを上げちゃろう!』と仰ってたのに、『どの作品も良いわねェ…』ということで、結局、全部を手許に置いておきたいということになり、大爆笑になったこと!
こうして、初日の夜が終わったこと。
翌、2日目の朝、『てるてる家族』を一緒に観ながら朝食を頂き、浅野ゆう子はキツイ母親役であることを教えて下さったこと。
で、岸谷五朗と同じで「おとぼけ夫婦」だという勝手なイメージが、脆くも崩れ去ったこと。
朝食後に裏山を登り、山頂付近にて、今や「害獣」でもある鹿を目撃したこと。
途中、高級爪楊枝の原料となるクロモジを見付けましたヨと伝えると、『まぁ、そんな所まで登っちゃったんかいネ!皆さん、お墓までは行かれるけど、そんな所まで登られたのは、河内さんが初めてですよ』と仰ったこと。
そして猿ほどではないが、やはり鹿も「食害」すると聴き、私が『そしたら、鹿をやっつけたったら良かったですネ!』
と言った時に悲しそうな顔をされ、あぁやっぱり芝原さんは、心の優しい方なんだなぁ…と改めてしみじみ感じたこと。
それよりも、その裏山、今でも熊が出るとその時初めて知ったこと!
念の為に、口笛を吹いたり、独り言を言ったりしていて良かったぜいッと思ったこと。
何より、2反の畑が10棚並んでいる裏山からの眺めが、本当に素晴らしかったこと。
まだまだ量が多い昼食を頂いた後、スーパーカブをお借りして、東舞鶴を目指したこと。
しかし、バイクを揺らす強風や顔面を叩き付ける霰に遮られ、それに菅坂峠の頂上付近に撒かれていた「凍結防止剤」を見て、真冬の日本海を拝むのは断念したこと。
その帰り、折角だからと市志へ向かい、集落内で思わぬ人助けをしたこと。
前の晩に聴いていた、六地蔵は発見できるも、神社とそこへ向かう階段も見付けられなかったこと。
市志は、小さな温泉町のようで美しかったこと。
それにしても、芝原さん宅から僅かしか離れていないのに、残雪の量が多かったこと。
そして、この愉快な「小旅行」?が、実は「免許不携帯」でのトリップだったこと(ワハハッ!)
「帰宅」後、またまた農作業手伝いのタイミングを逸し、水菜などの食材を、知ら
ない間に収穫されてしまったこと…。
2日目の夕食で、未だたくさんの食事が並んだが、それでも私が、若い頃と比べると喰えなくなったということを、ようやく分かって下さったこと。
そして、例の「鉄腕」で、雌ヤギのマサヨが子ヤギを産むも、いつ死んでもおかしくない早産で、一緒に固唾を飲んで見守ったこと。
翌、最後の朝は、芝原さんのご都合で、お兄さんの桜井さんに、あやべ温泉まで送って頂けることになったこと。
で、念の為に桜井さんへ電話され、『電話しといて良かったわ。明日やと思とってなかったみたいやでなぁ』ということだったこと。
桜井さんが撮られた頭巾山での天文写真が、本当に素晴らしかったこと。
トランプを使ったマジックのほとんどが失敗するも、とても喜んで下さったこと。
そのタネを、結局、教えて差し上げる時間が無かったこと。
お手洗いの電球が切れ、スペアを探されるも見つからず、サーチライトでの「暗闇トイレ」が、かなり楽しかったこと!
消灯後、枕元で民泊の感想を認めたこと。
布団の中で、『なんとか、このまま綾部から帰らずにいられる方法は無いもんかなぁ』と半分以上マジメに考えたこと。
こうして、2日目の夜が終わったこと。
翌、3日目の朝、お弁当を作って下さったこと。
天候が、冬のこの地域には大変珍しく、朝から快晴になったこと。
桜井さんも交え、蔵でおうすを頂いたこと。
後の車中でも含め、桜井さんが訥々と環境問題や旅の思い出などを語って下さったこと。
そして、こんな私が『素のまんま』の101人目の旅人だったこと―。
そして11時が過ぎ、とうとう芝原さんとのお別れの時。
とても名残惜しいが仕方がない。本当は抱き付きたかったが、桜井さんも傍にいらっしゃる為、少し汗ばんだ手で握手し、そして車へ乗り込んだ。ずっとずっと手を振る私。ずっとずっと見送って下さった芝原さん。
『春になったら行ってみよう』なんて言わずに、「勢い」も借りての今回の農家民泊は、一生忘れられない想い出となるだろう。 さて、この旅には嬉しい「オマケ」もたくさんあった。
それは、芝原さんとの別れの後、桜井さんに結局、あやべ温泉の上にある国宝二王門下の駐車場まで送って頂き、二王門だけでなく光明寺の本堂へも参詣したことや、駐車場からの絶景の中で、頭巾山の位置を教えて頂いたこと。
そして、麓まで軽ハイキングを楽しみ、あやべ温泉と芝原さん特製のお弁当を堪能したことや、その後での綾部駅へ向かうバスにて、2組合計4人のおばあさん達と仲良くなり、内お一人にトチ餅を頂いたお礼?として皆さんに風船アートをプレゼントしたこと。
そして更に、旅の初日の朝、早起きした甲斐があり、鍛冶屋町にある里山ねっと事務局を訪ね、スタッフの方とお会いでき、たくさんお話ができたこと。
そういう、今回の旅に関する全てのことが、本当に楽しく想い出深い。皆さん、本当
に有難うございました!
最後に、芝原さん。また遊びに行かせて頂きます!そして次回、そちらを訪れる際は、お別れまで待てずに再会の時点で
‘ハグ’させて頂くかもしれませんが、どうか許してやって下さい。ちなみにハグの意味ですが・・・。
最後に、綾部から戻って以後の私は、京都府北部の、特に‘舞鶴’の気象情報が、とても気になって仕方がない。
大変、長くなりました。失礼致します。
●河内裕史さんのプロフィール:1967年、京都府生まれ。
関西の私立大学を卒業。京都市内在住。
現在、将来の夢である「半農半カフェ」に向け、驀進中!
趣味は、カフェ巡り。特に古民家や町屋を改造したカフェが大好き。口癖は、『金なら無いが、ほっこりカフェの数&繁盛するカフェのノウハウなら、たくさん知ってるぜいッ!』
最近、強く感じることは、『今の世の中、ハグが足りんぞ、ハグがッ!』
最近の関心事は、マクロビオティックやベジタリアン的生活。
料理教室にも通い始めました。一番の自慢は、芝原さん宅での101人目の民泊者だったこと!
●河内さん、すてきなエッセイをありがとうございました!何度も笑わせていただきましした!
ちなみに「ハグ」とは・・・。「ハグ」というすてきな絵本も出ています。抱きしめたくなるようなすてきな絵本です。(塩見直紀)
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Vol.139
都会と田舎の参勤交代

文・加藤 泰子(奈良)
冬といえば、こたつでみかんが私の定番です。
ダンボールで買っても、ダンナと二人で食べるとあっという間になくなってしまいます。
この冬は食べるだけでなく、大学時代からの友人がみかんの専業農家をしているので和歌山の有田にみかん収穫のお手伝いに行ってきました。
友達の家は、80代のひいおばあちゃんから8ヶ月の赤ちゃんまでの4世代7人の、6代も続いている専業みかん農家です。
朝一番でみかん山に行って、夜の箱詰め作業が終わる11時まで休む間もないほど4日間のお手伝いは、目の回るような忙しさで過ぎていきました。
初心者には難しいこともありましたがおいしいみかんの見分け方などのレクチャーもしてもらい
寒い冬に太陽を思わせるみかんの色といい香りにかこまれてする作業は面白いものでした。
作業を終えて、おうちに戻り、みなさんが箱詰めしている間赤ちゃんの子守をしながら、ひいおばあちゃんから昔のお話をお聞きすることができました。
和歌山では、林業がさかんだったそうなのですが昔は、暖かい季節に川で木を運ぶお仕事の人たちは
仕事がない冬は、みかん農家にお手伝いにきていたそうです。
ひいおばあちゃんが嫁がれた当時は、そういう人が10人前後いらして、その人達専用の棟で何ヶ月か寝泊まりを一緒にしていたということでした。
このお話を聞いて養老孟司さんの「いちばん大事なこと」という本の中の都会の人が大きく休みをとって、田舎で数ヶ月暮らすという都会と田舎の参勤交代という働き方の提案を思い出しました。
昔は、同じ県内の異業種でされていたのであったら提案されるように都会との間でできるのでは?と思ったのです。
労働時間の短縮や、働く形態が多様化し認知されていくことが必要なのでまずは、まとまった休みを使うということからになるかもしれませんが、自分の仕事はひとつだけという考え方を少しはずしてみることから始めてもよいように思いました。
田舎で暮らしたい人からすると、この期間は田舎暮らしお試し編であり、田舎の人にとったら繁忙期の助っ人であるという関係。お互いのニーズが一致して、これはいいなぁと思いました。
違う仕事をすると、今までと違う視点が生まれます。それをまた本業のところで生かす事もできるかもしれませんし副業が自分にあっていたら、それがメインのお仕事になっていくかもしれません。
また、好きを活かした仕事を自分で創造していくのも素敵です。
まだまだ、そんな仕事が田舎にはたくさん眠っているような気がします。可能性は田舎にアリなのです。
●加藤泰子さんのプロフィール:
1974年生まれ 奈良県在住
2001年夏、マクロビオティックに出会い大阪の「正食協会」に通い勉強中。
2003年5月より「赤目自然農塾」に入塾。
田んぼと畑を借り、小さな農的生活を始める。
里山ねっとでは、「あやべ里山そば塾」に参加。
近い将来、田舎での自給自足暮らしを実現させるべく自分にとっての「X」を探している。
●加藤さん、今回もすてきなエッセイをありがとうございました!
これからもどんどんメッセージしていってください!
今後ともよろしくお願いします! |
Vol.138
エネルギーチャージ

「里山ねっと・あやべ」という看板をあげてまもない頃、宣伝をしたわけではないけれど、なぜだか都会から人が訪ねてくださるようになりました。
最初は「何もないこんなところに都会から、なぜお金と時間を使って人は訪ねてくるのだろう。何がそうさせるのだろう」と思ったものです。
里山ねっとでは、土日祝日、スタッフが交代で1名駐在し、旅人をお迎えします。
最近は関東からも来られることもあり、びっくりします。
1月10日(土曜)、当番で1日駐在していると、神戸からお客様がありました。
綾部応援団・神戸支部長の徳平章さんです。
年末年始、仕事で忙しくて、ゆっくりできなかったとのこと。
(閉校時、校長室から探してきた)アンティークなソファーに座ってもらい、ゆっくりしてもらいました。
だんだん元気になられる徳平さんを見ていると、ある本で読んだネイティブ・アメリカンの話を思い出しました。
少し元気がないなあと思った男がある家を訪問します。
男はそこでは、家の主と会話をすることもなく、
2時間ほど、ただただゆっくり過ごします。
男はそれだけで元気になって、去っていくという話です。
久しぶりに帰省した人は故郷の畳の間で大の字になってすこし寝転ぶだけで元気になる、といいますが、綾部にはきっとそんな「故郷(ホーム)力」が眠っているのですね。
午後3時に里山ねっとの事務所に到着された徳平さんですが、わずか2時間弱の滞在で見事チャージ。無事帰路につかれました。
何もないけどあるのですね。静かな里にはエネルギーが。
(文・塩見 直紀)
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Vol.137
いちばん大事なこと

1月6日は二十四節気の「小寒」。メイルニュース「里山的生活」の配信日です。
月2回、二十四節気ごとに発信してきたメイルニュースも今号で43号。
ほんとうにびっくりです。
日本のどこにでも転がっているような在来のネタで、手持ちのネタで、ないものねだりでなく、あるもの、ある情報でどこまで発信できるだろうと2002年の春、始めました。
この春の清明(4月4日)で、まる2年の記念日を迎えます。
節気を重ねていくごとに大きな大きな可能性を発見しました。
それは小さくとも勇気を持って始めた者へのごほうびみたいなものです。
今年は申(さる)年。
みなそれぞれに「申」の文字の翻訳語がきっとあることでしょう。
私は「申=メッセージ」と訳しました。
今年も綾部から、いまという時代に「いちばん大事なこと」かな・・・と思うことをメッセージできたらうれしいです。
どんな年にもできるまっさらな1年の始まりです。
明日7日は七草。
せり なずな
ごぎょう はこべら
ほとけのざ
すずな すずしろ
これぞ七草(作者不詳)
NHK教育テレビの人気番組「日本語であそぼ」の影響でいま、小さな子どもたちも「春の七草」を暗唱しています。
すてきなことですね。(文・塩見直紀)
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Vol.136
お地蔵様のそば畑

あやべ里山そば塾塾生(奈良県在住)の加藤泰子さんからすてきな農家民泊体験記が届きました。
文・加藤泰子さん(奈良在住)
今月は、そば塾の総仕上げ、 そば打ちが里山ねっとでありました。
うまく打てるかなぁとワクワクしながら、ひさびさにダンナと二人、綾部に向いました。
一度に10人づつくらいのグループに分けてのそば打ちで午後からのグループだったので、午前中に着いた私達は、まず、あやべ温泉に向いました。
ダンナも「身を清めてから打つんや!」と気合十分です。
山の景色を見ながら、お風呂に入って清清しい気持ちになったところで里山ねっとへ。
そば打ち名人の須藤さんに教わりながら塾生のみなさんと一緒にそばを練っていきます。
水加減を少し調節するだけで、そばの生地の感じが変わったり、生地を延ばす時は手早くしないと、乾いてきてしまいます。
二人とも初めてなので、何度も須藤さんに手を貸していただきながら、なんとか、ゆであげるところまでできました。
初めて打った蕎麦。
きしめんのように太いものもできてしまいましたが、あの春に蒔いたそばの種が、姿かたちを変えて自分達のもとに帰ってきてくれたと思うと、感慨もひとしおで、おいしかったです。
それから里山ねっとで蕎麦を食べ終えて、夏に民泊でお世話になった八木さんのところへご挨拶に伺いました。
ひさしぶりに拝見する、ご夫婦の笑顔。
「よう、来てくれちゃあった。今日は、うちはゲストが来てくれているからどっかで泊まってるのかなって、言うとったんよ」
そば打ちの話や近況をひとしきりお話して、楽しい時間を過ごすことができました。
お家を後にする時には、八木さんが育てた海老芋や大根、水菜など持ちきれないほどのお野菜をいただいて家路に着きました。
「私達のこと、思い出してくれてはったんやね」
「うれしいね」
帰りは、初めて地図を見ないで綾部の道を迷うことなく、帰ることができました。
だんだん綾部が行きつけの田舎に近づいてきたのかもしれません。
この半年間のそば塾で得たものは、口に入ったお蕎麦だけではありませんでした。
ほとんど手をかけなくても、種から芽が出て、白くかわいい花が咲き、黒いしっかりとした皮の実を結ぶというそばの強い命の営みを感じることができたこと。
その成長の様子を見に行くたびに、塾生の方々とお話しし、綾部に導かれた物語がおひとりおひとりにあるということに気づいたこと。
私達を受け入れ、見守ってくださる地元の方々の温かい気持ちに触れたこと。
回を重ねるたびに、そばだけではなく人に出会うこと、
お話することが楽しみになっていました。
どちらかというと、そちらにだんだん気持ちが傾いていたように思います。
お地蔵様に見守られたそば畑は、たくさんのものを私に与えてくださいました。
何より尊い天からの贈り物だったと思います。
綾部は、これから雪の季節を迎えるのですね。
春になって生命が動き出す時季に、またお地蔵様のところへ行ってみようと思います。
来年も、多くのお出会いが綾部で生まれますように!
●加藤泰子さんプロフィール:
1974年生まれ 奈良県在住
2001年夏、マクロビオティックに出会い大阪の「正食協会」に通い勉強中。
2003年5月より「赤目自然農塾」に入塾。
田んぼと畑を借り、小さな農的生活を始める。
里山ねっとでは、「あやべ里山そば塾」に参加。
近い将来、田舎での自給自足暮らしを実現させるべく自分にとっての「X」を探している。
●加藤さん、今回もすてきなエッセイをありがとうございました!
これからもどんどんメッセージしていってください!
今後ともよろしくお願いします!
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Vol.135
民泊での「出会い」

武林 さおり(大阪在住)
平成15年12月9日(火)〜12月11日(木)
バスは市野瀬に向けて走る。空は曇天。途中から雨も降り出し、寒さはいっそう体に染みわたる。日中の気温が7度。雨や寒さへの覚悟がなかった私は、早くも心が萎えそうになった。
今回、この民泊には一人で申し込んだ。いろいろなご縁とたくさんの方のご配慮により、ようやくそれが実現したのだ。にも関わらず、綾部のこの地にやってきた途端、不安がうずき出した。そもそもここに至るまでにもたくさんの迷いがあって、優柔不断な私はその申し込み自体にも長い間しり込みしていた。特に明確な目的はない。ただ何となく心惹かれるものがあり、どうしても綾部の地を自分の肌で感じてみたかった。そして、民泊を受け入れておられる芝原キヌ枝さんに、是非お会いしてみたかったのだ。しかし、こんな曖昧な考えの自分が一人お邪魔して、ご迷惑ではないだろうか?気まずくなったらどうしよう?いや、でもどうしても行ってみたい・・・自分でも呆れるくらいこの葛藤を続けた末にやっと申し込みをしたのだった。そして、実際に綾部に着いてもなおその葛藤を繰り返しているのだ。全く自分でも情けない。
「本当に来てよかったのかな・・・」
不安の種はバスに揺られながらどんどん膨らんでいった。一方で、車窓から見える山々の木々は、すっかり葉を落とし、白い肌を剥き出しにして本格的な冬の到来を待ち構えていた。突然の訪問者である私にも「おまえは何をしに来たのか?」と問うているようだった。私はちょっぴり引き返したいような気分に駆られた。
終点市野瀬にバスが着く頃には、乗客は私だけとなっていた。不安は正に最高潮。運転手さんに挨拶をしてバスを降りようとすると、そんな私の心を知ってか知らずか、運転手さんは笑ってこう言った。
「お迎えさんですよ」
ふと目をあげると、雨の中、市野瀬橋のたもとで私を一人待って下さっている人がいた。芝原キヌ枝さん、その人であった。
「この寒さと雨の中、心細かろうと思ってなーあ」
挨拶もそこそこに、優しく微笑んでそうおっしゃると、芝原さんは私の荷物をバイクに乗せ、「先に行って待っとるでな」と、颯爽と雨の中を走り去って行かれた。その軽やかさに茫然としながらも、私の中に心踊る何か、素敵な予感のようなものが感じられた。きっとこの民泊はすばらしいものになる。そう確信したのだ。そして、この確信は3日間で見事現実となったのである。
芝原さんは、お一人でこの地を訪れる人々を受け入れておられる。実際にお会いした芝原さんは、非常に慈しみ深い方であり、所作のひとつひとつが気品に満ちていた。
しかも静かなエネルギーをたたえておられる。たいへん失礼ながら、私はもっとおっとりした女性を想像していた。細身な体で颯爽とバイクに乗り、「ほっほっほ」と高らかにお笑いになるその姿に、私は感動すら覚えた。芝原さんには、ただそこにおられるだけで人を勇気づける何かがあった。
「素のまんま」に到着後、早速お茶をいただきながら、私はいろいろなお話を伺った。控えめで、ご自分のことはなかなか話そうとなさらない芝原さんであったが、それでも私がお聞きすることには嫌な顔ひとつせず、お答え下さった。聞けば、地元婦人会、民生委員、さらには特産物を加工する女性グループの活動にも力を注いでこられたそうである。民泊という新しい試みを始められたのも、芝原さんにとってはごく自然な流れのようであった。それでも私はどうしても気になって尋ねてしまった。
「見ず知らずの人間をお一人で自宅に招き入れることに抵抗はなかったのですか?」
少し困ったような顔をされてから、芝原さんはこうおっしゃった。
「皆さんそんなふうに思われるんやなーあ?ようおんなじこと人から聞かれるんやけど、そういうことより何よりいいお出会いができて、皆さんからいろんなことを教えていただけるでなあ。そこから得られるもんのこと考えたら、そういうことは気にならんかったなあ」
全く愚問とはこのことだ。こんな質問をした自分が恥ずかしかった。芝原さんは全面的に人を信じておられる。それが普通なのである。芝原さんとお話していると、自分の心のいびつさをさんざん思い知らされた。実際、これまで受け入れた方々は皆いい方ばかりであったとのことだ。きっと芝原さんがそうした人ばかりを惹きつけているのだろうし、どんな人間でも芝原さんを前にしたら悪いことなど考えられなくなるのだろう。
芝原さんとのお話の中で特によく聞かれた言葉、それがこの「お出会い」である。なんと美しい表現であろうか。言葉だけを丁寧に操る人は大勢いるが、芝原さんのそれは魂が宿っている。例えば、私などが「お出会い」と言ってもとても似合つかわしくはない。芝原さんがおっしゃるからこそ、言葉が輝き出すのである。
「もったいない」も、そうだ。しかも芝原さんの「もったいない」は、通常の「もったいない」とは全く意味が違う。既にそこに存在するもの全てにそう表現されるのである。健康であること、民泊ができること、野菜が実ること、そんな全てに対し「もったいないことやなーあ」とそうおっしゃるのだった。何気ない会話の中に度々登場するこの「もったいない」はおそらく私達が使う「ありがたい」と同義である。
ありがたいと感謝することさえ少ない私は、「もったいない」も、損得勘定の表現にしか使っていない。この差は一体何なのだろう。
他にもふとこぼされるお言葉のひとつひとつが実に美しく、はっとさせられることばかりであった。
「笑顔は宝やなあ」
「お天道様は必ず見ていて下さる」
「ずうっと大事に思っとったことは形を変えても、いつか本当になるで」
何気なくおっしゃるこれらの言葉が、私の胸にときに痛く、そして温かく響くのだった。
お話を伺えば伺うほどに、私は現在の芝原さんを支えているものは何なのか、どうしても知りたくなった。この慈しみのもと、パワーあふれる活動の源は何なのか?そうして、芝原さんのこれまで歩んでこられた道のりに触れるうち、何も言葉が見つからなくなってしまった。胸を潰されるようなお話に、私は何も答えられず、それでもにこやかに話される芝原さんがいっそう遠いお人に思えた。今の芝原さんのその微笑の陰にどれほどの苦難があっただろうか。もちろん芝原さんははっきりとそうはおっしゃらない。しかし、私が想像だにできないことが、お話いただいたこと以外にもたくさんあったであろうことは容易に察することができた。そうなのだ。だからこその、「お出会い」、「もったいない」なのだ。芝原さんのお言葉は、たくさんの過去の経験から生まれた、魂の結晶なのだ。そして、その美しい部分だけが、流れ出て、
光り、人の心に届く。苦しかった過去など微塵も感じさせないほどの強さと温かさを秘めて。だから、言葉だけ真似ようとしてもだめなのだ。研ぎ澄まされた感覚、人や自然を慈しむ感性、それは芝原さんがその人生の中で築き上げたものであり、私もまた同様に、自分の人生の中から魂を鍛え、自分だけの言葉を生みださねばならない。
言葉が言葉としての輝きを宿すのは、あくまでもその結果としてなのだ。芝原さんはおっしゃる。
「環境ではなくて、全部『自分』なんやなーあ」
人のせいにも環境のせいにもしない、ただ与えられた世界で、ご自分のできうること全てを実行に移されてきた芝原さんの、何よりも重いひとことであった。
芝原さんはお花やお茶もなさっておいでだ。詩も詠まれるし、文章も書かれる。ご自分の思いをそうした形で常に発信されており、それがたくさんの方に届いて新たな出会いを運んでいる。「素のまんま」には宿泊者が自由な思いを書き記すノートがあるのだが、そこにも芝原さんの思いを受け取ったたくさんの人の感動と感謝が記されていた。宿泊者も多数に上り、何と私でちょうど100人目とのことであった。
芝原さんはこれまでのそうした宿泊者との「お出会い」をとても楽しく聞かせて下さった。ウクレレを手に訪れた5人組は芝原さんへの曲をプレゼントし、農業大学に通う学生は将来の夢と情熱を語った。またある人は地球の裏側で見て感じたことを話し、親子連れの一組は都会の生活との違いを教えてくれた・・・。子ども達が広い家中を走り回って喜んでいたことさえも、芝原さんはとてもいとおしい瞳でお話になる。まるでそこに、彼らがいるかのように。私はふと、ウクレレのメロディーがそこに流れているような気がした。子どもの足音を感じ、大学生の夢を共有しているかのようなそんな感覚を覚えたのである。確かにそこには、「素のまんま」を通した宿泊者同士の出会いの空間が立ち上がっていた。芝原さんの「お出会い」はそのまま私の「出会い」になり、会ったこともないたくさんの人々と私がつながった。芝原さんが彼らについて微笑んで語って下さるほどに、はっきりと彼らの温かな存在を感じることができたのだ。それはとても不思議な感覚だった。
「出会い」はそればかりではない。「素のまんま」の入浴は、五右衛門風呂をいただく。芝原さんの亡くなられただんな様が薪を遺されており、それが芝原さんの手によってくべられるのだ。お風呂にはゆずやよもぎも浮かべられ、何とも言えない上品な香りに包まれる。正に至福のひとときである。私は目を閉じて思った。このぬくもりは、芝原さんのぬくもりであり、だんな様のぬくもりだ。大地が育んだ木々のぬくもり、ゆずやよもぎのぬくもりでもある。芝原さんご夫妻への感謝と自然の恵みへの畏敬の念に、私は自ずと厳かな気持ちになっていった。さらにお風呂をいただいてから燃える薪を見つめると、そこには確かな何かが感じられた。宗教心などほとんど持ち合わせていない私であるが、祈りとはこういう心の状態を言うのかもしれないと思った。このお風呂を通して、亡くなられた芝原さんのだんな様と、そして偉大な自
然と、私は確かに「出会った」のである。
翌日は雨もあがり、「素のまんま」の周囲を散策する。山々は昨日バスから眺めたときと同様に、厳しい表情を見せていた。ただ無言でそこに存在し、圧倒的な大きさで私に迫る。よく「自然の中で癒される」と言うが、私の出会った山々はとても「癒す」ような存在ではなかった。むしろ怖いくらいの迫力があった。
神聖な場所に赴くとき、観光客のようにドカドカと踏み込むのではなく、そこに分け入っていくことを許していただけるよう、その地に祈らなければならないと、以前知人に聞いたことがあった。私は心の中で、「どうか私がこの道を歩くことをお許し下さい」と祈った。それで何かが急激に変わったという訳ではないが、私は、ふとあることに気付いた。木々の一本一本がそれぞれに異なるのである。当たり前と言えば当たり前の話だが、その枝ぶりや幹の太さ、苔のつき方まで本当にさまざまで個性的なのだ。十人十色ならぬ十本十色である。葉は一枚もなくとも、いや、ないからこそよけいにはっきりと、その木々の在り方が明確に見てとれるのだ。たくましく、ごつごつとしたもの、か細く、でもより高く伸びようとしているもの、たくさんの苔をその表皮に宿しているもの、みな違う表情があり、それぞれが静かに本格的な冬の訪れを待っていた。ある枝の先には、春に薄紅の花を咲かせるであろう桜の蕾も見てとれた。そして、人の腕にも似たその枝々は、どれもまっすぐに天に向かって伸びている。ただそれだけのことなのだが、ああ生きているのだなあと私は思った。どの木も生きている。芝原さんは真剣なことを「ど真剣」と必ず「ど」をつけて表現されるのだが、ここにある木々は皆「ど真剣」そのものだった。黙っていても伝わってくる力強さ。生きていることの重み。人が木に似ているのか、あるいはその逆なのか、両者は不思議と近しい何かがあるように感じられた。離れて暮らす家族や友人、大切な人がふと私の心をよぎる。それぞれの木が大切な誰かに重なる。ひとりひとりの木々と私は「出会った」のだと思った。そして、ほんの一瞬ではあるが、そこに日の光が差し込んだのである。
それまで曇天の元で沈黙を守っていた木々が、一気に輝く。それはそれは美しく、神様がもしいるのなら、こうしたところに現れるのではないかとさえ思うほどであった。遠くの木々の合間にある霧も、光の加減で虹色に輝いている。こんな美しい光景に私は一人で立ち会ってしまった。そして、木々と共にその喜びを共有したのだった。その場に居合わせた彼らと秘密の時間を過ごしたかのような心が震える感覚であった。日光はまたすぐ雲の間に消え、それはほんの一瞬の出来事であったが、正に夢見心地であり、私はしばしその余韻に浸った。こんなことが本当に起こるのだ。私は今でもその光景を忘れることができない。
午後からは芝原さんに教えていただいて、籠編みに挑戦した。想像以上にたくさんの藤蔓が必要で、驚いた。ひとつの蔓にまた別の蔓を継ぎ足しながら、籠を形づくっていく。少しずつできあがっていくその籠は、まるで私のようだった。それぞれの蔓はたくさんの人の思いに似ている。蔓の一本一本が交差し、面を成し、その尽きたところにまた新たな蔓が重なっていく。太い蔓、細い蔓、いろいろな蔓がひとつとなり、私の籠が出来上がるのだ。これまでどれだけの人にこうして支えてもらっただろうか。私は私の力だけでひとつの籠になったのではない。自然の恵みを得て、たくさんの思いに守られて、今がある。無数の蔓のようなたくさんの人の心と、ときに優しく、ときに力強く、私という存在を編みあげてくれたたくさんの人の手があったのだ。不恰好で座りの悪い籠になったけれど、とてもいとおしい籠ができあがったと私
は思った。芝原さんも、
「いい籠ができたねえ」
と声をかけ、微笑んで下さった。
ひとつひとつを詳しく挙げることができないのだが、芝原さんの毎回の心のこもったお食事も、心と体に染みわたるような格別の味がした。同じように調理しても、私が家でつくるのとは比べものにならない。もちろん素材が新鮮なのもあるだろう。が、何よりそこに、芝原さんの深い思いが宿っているからこその味なのだった。生かされていることの喜び、ありがたさ、これこそが芝原さんの言う「もったいない」という思いなのだろう。生命あるものをいただく行為は、自分が生かされていることに気付く大切な瞬間だ。そこには食事の作り手の愛情も込められる。この民泊では、日頃にも増して、なおのことその重みを感じずにはいられなかった。自然に抱かれたこの綾部の地は、日常の全ての行為に意味があることを、改めて気付かせてくれる。人として、自分の存在の意味を考え、深め、心に向き合う場なのだ。
「素のまんま」で、私はたくさんの出会いを経験した。芝原さんとの出会い、芝原さんを通してのたくさんの人との出会い、木々との出会い、大きな自然との出会い、そして私の心にあるたくさんの大切な人との再びの出会い。出会いとは、物理的なものではなく、心でなすものなのだと思う。時間も空間も越えて、人は出会うことができる。通じたいと思う心があれば、人はどこででも誰とでも、何度でも出会うことができるのだ。それを教えてくれたのが、綾部の地であり、この3日間の民泊であった。
民泊に何を求めるかは、人それぞれである。どんなものを求めても、あるいは漠然とこの地に赴いたとしても、きっと何かを与えられ、「出会える」のではないかと私は思う。私は私の民泊を経験したのであり、同じ時期であっても、グループで訪れても皆それぞれにその体験は異なるはずである。「素のまんま」で何を見つけるかは自分次第だ。多くの人が、それぞれの大切な「出会い」をここで果たされることを願わずにはいられない。
最後になりましたが、お世話になった芝原キヌ枝様、里山ねっと・あやべの皆様、本当にありがとうございました。綾部の地のますますのご発展と綾部につながる皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成15年12月12日 記
武林さおりさんのプロフィール
1974年生まれ。徳島県出身。福岡県立大学人間社会学部社会福祉学科卒。大阪市の児童福祉施設において児童指導員として4年間勤務。その後、総合病院の医療ソーシャルワーカーとして1年5ヶ月勤め、退職。趣味は絵、ジャグリング等。「人生はワクワク、楽しく、真剣に」がモットー。人と人との関係、自然との在り方等に関心を持ち、民泊に出会う。現在、今後の方向性を模索中である。
武林さん、すてきなエッセイをありがとうございました。
100人目、おめでとうございます!
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Vol.134
年賀状革命

この季節になると思い出す1枚の年賀状があります。
森林ボランティアのメンバーである徳平章さん(神戸市在住)からいただいた年賀状。僕はきっとそれを終生忘れることはないでしょう。
里山ねっとが2001年におこなった「21世紀の生き方、暮らし方を考えるための、あやべ田舎暮らし初級ツアー・秋編(2泊3日)」に参加された徳平さんから旅後、うれしい手紙が届きました。
「時間の流れを忘れさせてくれるような周りの風景、空気のにおい、伝統ある家々、物静かなゆったり広々とした田んぼや自然のままの風景はいつ訪れても感激しています。
今回、民泊ホストのおばあさんに教えてもらった鍛治屋町の“1本檜のお地蔵さん”の丘は大変気に入っています。最高です!いつになるかわかりませんが、(写真集など)何かの形で表現してみたいと考えています。あの場所は生涯忘れることができないでしょう」。
1ヵ月後の元日、徳平さんから、年賀状が届きました。
そこにはなんと1本檜のお地蔵さんの写真が印刷されていました。
それは僕にとって「革命的な年賀状」となりました。
名もないお地蔵さんに都会の旅人が感動し、写真におさめ、また誰かに伝えるべく表現する。
新しい時代の到来を予感させる出来事でもありました。ああ、いまはこれがきっと最先端なのです。
年賀状革命。
徳平さんの年賀状は僕をパラダイムシフトしてくれたのです。(文・塩見 直紀)
第3回あやべ観光写真コンテストのご案内(作品募集)
綾部市観光協会では行催事、伝統祭事、名勝旧跡、自然風物詩など、綾部の四季を通しての、綾部の魅力を写真にと「輝くあやべ・再発見」をテーマに下記の観光写真コンテストがおこなわれます。綾部の埋もれた地域資源である「風景」等を「観光資源」として、再発見し、「21世紀の綾部のちから」にしようと平成16年1月から募集されます。
綾部の里山的な風景の魅力も写真を通して、市内外の多くの人に伝わればうれしいです。「新しい時代の観光(生活観光)」の潮流を感じさせる素敵な企画ですので、ご紹介します。
詳細は下記のとおりです。市外の方も奮ってご応募ください。
応募受付期間:平成16年1月6日(火)〜1月31日(土)
当日消印有効・持込可
作品の規格:カラープリント4ツ切(ワイド4ツ切可)。
単写真で未発表のもの。第3回よりデジタル写真も可となりました。
デジタル写真は規定のサイズのプリントで応募のこと。
表彰:大賞1点、特選6点、入選10点など。
主催:綾部市観光協会
お問合せ:あやべ観光案内所内「あやべ観光写真コンテスト係」
所在地:JR綾部駅前
電話:0773−42−9550
備考:応募の際は応募票のついた募集チラシを観光案内所で入手してください。または
綾部市観光協会のホームページhttp://www.ayabe-kankounet/photocon03.htmlまで。
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Vol.133
100人目の旅人

21世紀のキーワードは何かとたずねられたら、
きっと「好き」と答えるでしょう。
その思いは日々深まっています。
寝食を忘れて打ち込めること。
命令されなくても自ずとしてしまうこと。
ストレスさえたまらないこと。
飽きることも多い中でなぜだか続いていること。・・・
やはり21世紀は「大好きなこと」がキーワードだと僕は思うのです。
「〈いい学校を出て、いい会社に入れば安心〉という時代は、もう終わりました。・ ・・一度しかない人性を楽しむためには、好きな仕事に出会えるまで絶対あきらめてはいけない。・・・その人に向いた仕事、その人にぴったりの仕事というのは、誰にでもあるのです。できるだけ多くの人たちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しい」という願いを込めた本が最近、出版されました。
村上龍さんの『13歳のハローワーク』(幻冬舎)です。
花や植物が好き
動物が好き
虫が好き
星や宇宙が好き
音楽が好き
絵やデザインが好き
人の役に立つことが好き
地図を見るのが好き
心のことを考えるのが好き
お料理が好き・・・
全39種の「好き」から514の働き方が探せる本です。
農家民泊「素のまんま」の芝原キヌ枝さんからファクスが届きました。
2002年4月以来、33組をお迎えし、今週末、100人目をお迎えしますと書かれていました。
ああ、農家民泊的なることって、芝原さんの大好きなこと、天職なんだなあとうれしくなりました。
好きって、本当にシンプルです。
「あなたはなぜそれが好きなのですか」と聞かれても、「好きだから」としか答えられないこと。「好き」とはそういうことなのかもしれません。
季節はもう冬になるけれど、綾部できっと焚き火のようなあたたかさを感じてもらえることでしょう。
あたたかさの持続力。遠赤外線のようなあたたかさ。
100人目の旅人さんと芝原さんがどんな物語を編まれるか楽しみです。
「大好きなこと」を発見するために、この冬も綾部はオススメです。
僕は何が好きなのかな。あなたは何が好きですか。(文・塩見 直紀)
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Vol.132
赤目で綾部

文・加藤 泰子(奈良)
私が通う赤目自然農塾では、毎月1回が学習日といって 川口由一さんが主となって実習田で田んぼや畑のことを教えていただけます。
今月は9日の日曜日が学習日でした。
畑の指導が終わり、小屋に帰ると隣に座ったお母さんに抱かれた赤ちゃんが私ににこにこ笑いかけてきました。
私もにこにこ笑顔でお返しすると、さらににこにこを返してくれます。
その赤ちゃんのお母さんも同じ玄米菜食をしているということでお話しが弾みました。
赤ちゃんはしきりににこにこ笑って、今度は私の手をにぎってくれました。
なんて人懐っこいかわいい子なんだろう!と思いながら話しを続け、農家民泊のことを私が話しだしたとき
「そのお話しって、綾部のことですよね?」とお母さん。
「あの、お名前は...」
「山本です」
「!」
以前、同じ赤目の塾生である山本さんご家族が綾部を訪れていたことをスタッフの方からお聞きしていたのですが、塾生200人もの人から探すのは難しい。
いつお話しできるんだろう?と思っていました。
赤ちゃんは私に教えてくれていたんです。
なんて不思議な出会いなんでしょう!
そして、私がお会いしたいと思っていた芝原さんのところでご家族で過ごされたとのこと。
素敵な暮らしぶりを聞くことができその日は作業を忘れて、お話しに夢中になってしまいました。
不思議な出会いから2週間後、自分の畑に小麦を蒔きにいくと、黄色い長靴をはいた赤ちゃんが、私の下の段の田んぼに座っていました。
ひょっとして!と思って、お父さんに声をかけると山本さんのだんなさまでした。
田んぼを始めてから半年、作業に来た日が違っていて気付かなかったのですが、実はとてもご近所さんだったのです。
度重なる偶然に、またまたびっくりしてしまいました。
「覚えてるかな?」とお父さんが聞くとこっちを向いてにーっと笑う赤ちゃん。
僕は知っていたんだよ!と言ってるような笑顔です。
田んぼに1本だけ稲のようなものが残っていたので何か意味があるのかと思い、お父さんに聞いてみると
「あれは植えてなくて勝手に生えてきたもので。何かわからないんですけど
実がまだ入ってないので残しているんです」
その命が終わるまで見届けようとするお父さんのやさしさに命に添う農のあり方をみた気がしました。
綾部における精神性のようなものを、この赤目でも感じることがあります。
みなさんも綾部に行ったら、誰かに綾部のことを話してみてください。
そこから、素敵な出会いが始まるかもしれませんよ。
●加藤泰子さんのプロフィール:
1974年生まれ 奈良県在住
2001年夏、マクロビオティックに出会い大阪の「正食協会」に通い勉強中。
2003年5月より「赤目自然農塾」に入塾。
田んぼと畑を借り、小さな農的生活を始める。
里山ねっとでは、「あやべ里山そば塾」に参加。
近い将来、田舎での自給自足暮らしを実現させるべく自分にとっての「X」を探している。
●加藤さん、今回もすてきなエッセイをありがとうございました!
これからもどんどんメッセージしていってください!
今後ともよろしくお願いします!
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Vol.131
「ファミリーとファーマー」

●Familyという英語はラテン語のFamiliaから派生したもので、今は「家族」と訳さ
れるこの言葉の語源をさかのぼっていけば、「一緒に耕す者たち」すなわちFarmerに
通じているという。十数年前、初めてそのことを知ったときの、静かな感動は今も忘
れがたい。
(50歳前後から東北の農山漁村を歩き、「地元学」を提唱。民俗研究家・結城登美
雄さんのことば・農文協『団塊の帰農』2003年より/無明舎刊の著書『山に暮ら
す海に生きる』もおすすめです!)
●人生いかに生きるかに答えがみつけにくいように、定年後をいかに生きるかも、答
えは人の数ほどに千差万別になると思われる。(略)私は都市やマイホームにではな
く、マイファームのなかにその可能性が見つかるのではないかと思った。(民俗研究
家・結城登美雄さんのことば・農文協『団塊の帰農』2003年より)
●カマキリが高いところに産卵すると大雪(民間伝承/酒井興喜夫著『カマキリは大
雪を知っていた〜大地からの「天気信号」を聞く』農文協・人間選書250・200
3年より。
気象を見事に予測する昆虫の不思議に挑んだ本が発刊されました)
●一遍や、西行、芭蕉らにとって旅とは、時々刻々自分を捨てていくことであり、今
いる時点を否定して、次の所に移っていくことの連続である。否定を繰り返す過程で
日常生活を捨てていき、どんどん自分自身を裸にしていく。そこではじめて、巨いな
るものに出会えると考えた。(栗田勇さんのことば『日本文化のキーワード』祥伝社
・1993年より)
●敷島の やまとごころを 人問わば 朝日ににほふ 山桜花(本居宣長)
山桜花というのは、ただ自然の美しさ、爽やかさの象徴で、ごく日常的、普通の光景
を詠んだものだという意見もある(栗田勇さんのことば『日本文化のキーワード』祥
伝社・1993年より)
●(中国古典「荘子」によれば、「遊ぶ」とは)天地宇宙の根元の動きに没入して己
れを忘れ、巨いなるものと一体化した絶対の境地(栗田勇さんのことば『日本文化の
キーワード』祥伝社・1993年より)
●「道」とは、突きつめたところ、任せること、天のなりゆきに任せることである
(栗田勇さんのことば『日本文化のキーワード』祥伝社・1993年より)
●作物1年、木10年、人100年(中国のことば)
●物の移動はなるべく少な目に(「地産地消」をすすめる篠原孝さんのことば『第一
次産業の復活』ダイヤモンド社・1995年)
●宇宙の不思議を知りたいという願いではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願
いです(国木田独歩『牛肉と馬鈴薯』より)
●朝はしっとりぬれている 朝はやさしくふくらみをもっている(八木重吉「朝」よ
り)
●自然に酔う甘美なこころもちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴である(和辻
哲郎のことば『古寺巡礼』より)
●「あけび」 詩・星野 富弘
あけびを見ろよ
木の枝にぶら下がり
体を二つに割って
鳥がつつきにくるのを
動きもしないで待っている
誰におしえられたのか
あんなにも気持よく
自分を投げ出せる
あけびを見ろよ
星野富弘詩集『鈴の鳴る道』(偕成社・1986年より)
●自然はそれを愛する者の心を裏切るようなことは決してない(ワーズワース)
●「行く」 詩・石垣 りん
木が
何年も
何十年も
立ちつづけているということに
驚嘆するまでに
私は四十年以上生きてきた。
草が
昼も夜も
その薄く細い葉で
立ちつづけているということに
目をみはるまでに
さらに何年ついやしたろう。
木は
木だから。
草は
草だから。
認識の出発点は
あのあたりだった。
そこから
すべてのこととすれ違ってきた。
自分の行く先が
見えそうなところまできて
私があわてて立ちどまると
風景に
早く行け、と
追い立てられた。
(三木卓編『生命の詩』筑摩書房より)
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Vol.130
カマキリのちから

娘が通う幼稚園にカマキリが大好きなかわいい男の子がいます。
そういえば、僕も昆虫少年でした。
昆虫少年が大きくなると「受験、就職、結婚」の3つで、昆虫から遠くなっていくそうですが、90年代の後半、里山の写真家・今森光彦さんの本に出会って、再び目が昆虫にいくようになりました。
先日、東京から若い建築家が綾部を遊びに来てくれました。
1ヶ月ほどショートステイして、古民家再生の仕事をするそうです。
話していると、家に入り込んでくるカメムシの話題になりました。
「ムカデでよりいいよ。カメムシが多いということは今年は雪が多いのかな」というと、「そうなんですか!」とびっくりしていました。
「カマキリが高いところに産卵すると大雪ともいうよ」というと、さらにびっくりしてくれました。
そんな民間伝承があるのですが、なんとそれをテーマにした本がこの度、農文協から出版されました。
豪雪地帯に育ったという酒井興喜夫さんの『カマキリは大雪を知っていた〜大地からの「天気信号」を聞く〜』(人間選書250・2003年)です。
それにしても、カマキリはなぜ死後数ヶ月も先のことを予測できるのでしょう。
本当に不思議です。
最近は雪に対しても、「利雪」という逆転の発想もされるようになりましたが、豪雪がもたらす不便さは経験してみないとわかりません。
著者はなんとか積雪の予測ができないかと思い立ちました。
そこで注目したのがカマキリの産卵でした。
昆虫の不思議な能力。それに挑む民間研究者。
カマキリへのまなざしが変わる一冊です。
私たちが持っていた動物的な感性はどんどん失われていこうとしています。
ああ、やはり、大事なのは「センス・オブ・ワンダー」だなあと思いました。
カマキリ大好き少年が大きくなって読んでくれたらうれしいです。
(文・塩見直紀)
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Vol.129
新質素革命

新しい時代のヒントを求めて、都会の大型書店へよく行っていた企業時代の頃のことです。
何か感じるものがあって、1冊の本を手にとりました。
パラパラと本をめくっていると、「綾部」「由良川」という文字が出てきて、驚きました。
『Weの時代』、あるいは、『エンターテインメント感覚』という名の新しい時代の到来を告げるビジネス書でした。
著者は浜野総合研究所代表でライフスタイルプロデューサーの浜野安宏さん。
著者である浜野さんが僕と中学校区である綾部市位田町の親戚の家に疎開され、少年時代を過ごされたことを知り、びっくりしました。
目の前に流れる由良川が遊び場で、そこで魚を捕ることを学び、釣りの虜となったそうです。
その原体験が浜野さんをフライフィッシングの世界でも有名にしました。
2000年7月の里山ねっと・あやべの設立総会の際、基調講演をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。
浜野さんにとっても当時の由良川のにおいはいまも忘れられないそうで、その後の人生を形作ったのがこの綾部という宇宙だったようです。
1971年(昭和46)、30歳だった浜野さんは、『質素革命』を出版し、世間をあっと驚かせました。
そして、30有余年。
2003年10月15日、浜野さんが『新 質素革命』(出窓社・東京)という本を出版されました。
新著がやっと手元に届きました。
「革命なんて簡単だ。
私たち一人ひとりがライフスタイルを変えれば、世界は変わる。
火だるまの列車を止めるのは君だ。
さあ、自分ひとりからの出発だ」と浜野さんの熱いメッセージがぎっしり詰まっています。
世界を変えてくれる人を待つ時代ではなくなりました。
「自分一人からの出発」以外に道はないのかもしれません。
産業から個人のライフスタイルまで、ヒントがいっぱい詰まっていまっていて、勇気を与えてくれる一冊です。
かって浜野さんが遊ばれた由良川。
その川にかかる位田橋を渡るたび、僕は浜野さんのメッセージを思い起こすことでしょう。
(文・塩見 直紀)
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Vol.128
東家のスローな旅

文・東 智子(東大阪市在住)
この度は、いろいろお世話になりました。
2日とも良いお天気に恵まれ、最高の体験をさせていただきました。
10月18日、朝6時45分に家を出て、休憩を入れて綾部インターに9時過ぎくらいに着きました。
途中すごい霧で、景色も見えず、不安でしたが、綾部市内に着くと、突然ワープしたかのように、とても良いお天気で、田園風景に見とれてしまいました。
「綾部は別世界やな〜」と息子が言いました。
この綾部行きは、子供と自然についていろいろと語り合う良いチャンスになりました。
出かける前に、「目」「耳」「鼻」「口」「手や体」で感じる事がいっぱいあるからね、と一言、子供たちに言っておきました。
家に帰ってきて、話しを聞くと次から次へ感じた事を話してくれました。
緑のピーマンが、真っ赤でつやつやになる事。
山の緑が一色ではなかった事。
山に雲がかかると影で焦げたように見える事。
山の木がきれいに並んでいるところと、違う木がゴチャゴチャに生えているところがある事。
風呂焚きの時、火の色が赤い所やオレンジや白いところがあった事、
風が木に吹くと「さわさわ」音がする事。
川の音がず〜〜っと聞こえてた事。虫の声。
紫蘇ジュースのにおい。草のにおい。
栗の渋皮煮が美味しかった事。
綾部の食べもんは、濃い味、すっぱい味。栗のイガが痛かった事。
草で手が切れる事。
大きいバッタのお腹が「ぷにょぷにょ」していた事。
五右衛門風呂の釜に触ると熱かった事。
まだまだいっぱいしゃべり続けました。
そして息子は、大阪と綾部は違うところがあった事に気がついてくれました。
「綾部は、手間がかかる。」
きっと風呂焚きをして感じたのだと思います。
「おかずがは、ずっと置いとけるんやろ。」
きっと保存食の事でしょう。
こういう生活の事「スローライフ」食べ物のこと、
「スローフード」って言う事を教えると・・・
息子・・・「スローフードって、ゆっくり食べるんか?」
私・・・・「・・・・そう言う意味もあるけど。ファーストフードって知ってる?」
息子・・・「ハンバーガーやろ!」
私・・・・「カップラーメンや、コンビになんかで売ってる手っ取り早く買って食べられるものの事。だからスローフードって、手間を掛けた食べ物の^事かな?」
息子・・・「そしたら、大阪の生活はファースト・ライフか・・・・?」
娘は大阪に帰った晩、急に泣き出しました。
「綾部のお母さんは、好きだけど、大阪のお母さんは最悪や!」と言われました。(ショック!!)
「綾部では、ず〜〜っと一緒にいてくれたのに・・・・。 あんなに楽しかったのに・・・・。一緒に手をつないで散歩したり、いっしょにおふろはいったり、手をつないで寝たのに・・・・。」と言ういい分。
私も、大阪に帰って突然ワープしたように、現実に引き戻されて、2日分の洗濯や、夕飯の支度、自治会の会合。悲しかった。
「忙しい」を盾にして、何でも手っ取り早く済まそうとしていたような気がします。子供に指摘されてショックでした。 親子関係についても考えさせられた旅になりました。
お蔭様で、息子も念願のキャッチボールも出来ました。
思いっきり投げる事があまりないので、とんでもない方に飛んでいました。
休耕田の草に足をとられながら、楽しそうでした。
18日、「そばの花」の場所が分からなかったので、里山ねっとにお邪魔して、教えていただきました。素敵なお蕎麦屋さんでした。おいしかった!
2日目は、11時頃にキヌ枝さん宅を出発し、あやべ温泉でお土産を買い、須藤さんのお店「鼓」でお蕎麦を食べ、話しこんでしまい、里山ねっとに到着したのは、お祭り終盤の2時頃になってしまいました。
芝原キヌ枝さんには、大変お世話になりました。
憧れのキヌ枝さんにお会いできて感激でした。
今晩は、いただいた真っ赤なピーマンの肉詰めを作りました。
緑のピーマンより甘くて、美味しかったです。
まだまだ、いっぱいピーマン、残っています。明日は、味噌煮です。
綾部では栗拾いにもいきました。拾った栗も、下さって。
今日「栗の渋皮煮」のレシピをファクスで送ってもらって、つくりました。
明日までお預け・・・。(煮含めています)
今日は、チョッとスローな事をしました。
子供たちが「また行きたい!今度は夏休みに家の前の川で遊ぶねん!!」
と楽しみにしています。6月の蛍の乱舞も見たいし・・・。
また、綾部に行きます。
本当にありがとうございました。
●東 智子さんのプロフィール:
1962年京都市生まれ、東大阪市在住。
絵を描く事が好きで、建築パース(完成予想図)
と出会う。5年の修行の後、結婚。2児の母。
2000年、建築設計事務所SADO(サドゥー)を設立。
パース、デザイン、HP管理、模型、トレース担当。
何でも作る事が好き、何でも作ってみたい。
いつか里山で、暮らすのが夢。
この世界における自分の役割を模索中。 |
Vol.127
農のある暮らし

文・加藤泰子さん(奈良在住)
「白菜が光るように白くてやわらかい!天使の羽みたい!」
「にんじんの香りがする!味が濃い!」
初めて有機のお野菜のおいしさに気づいたのは、マクロビオティックという食事を始めたことがきっかけでした。
そして、そのお野菜はどうやって作られているのだろうと思い切って10日間ダンナをおいて、この春に行ったところは有機農業専門の高校が開催する新規就農者研修でした。
集まった人は、帰農を考えるサラリーマン、実家が米作り農家という熱く農を語る大学生、農のある暮らしを求めて里山や離島に移り住もうとする人達、ガーデニングが趣味の主婦と様々です。
毎日そこでとれた野菜、お米、お肉をいただき、朝6時から夜の9時まで農家の方や大学の先生の講義を聞いたり堆肥をつくったり、近くの農家におじゃまして種まきなどの実習をしました。街ではなかなか体験できないことです。
夜のくつろぐ時間も、お風呂の水は湯船の半分しか入ってなくて、家のようには、ゆったりと入る時間もありません。
築何十年かの木造の寮の6人部屋で3月とはいえ底冷えする夜は、石油ストーブをたいて毛布と豆炭のあんかで体を温めて寝ました。
決して都会で言う贅沢なものは無い暮らし。
でも深まっていく夜に、いつも集まるログハウスで自然の恵みのおいしいご飯を食べて年代を越えた人たちと語り合い先生の弾くチェロの調べを聴いていると、私はなんて贅沢な時間を過ごしているんだろうと心が満たされていくのを感じました。
もう、駆け上がってきた階段を降りよう。
農のある暮らしをしよう。
そんな思いがふっと心に浮かびました。
今は、赤目の自然農塾で小さな田んぼをしています。
早朝に畑に行くと、蜘蛛が巣をはっているのをみつけたり、人間の背を抜いてぐんぐん伸びるごぼうをみて驚いたり、街では考えられなかった小さな発見や、驚きのくり返しです。
来週には、初めて蒔いた黒米の刈り取りをしようかと思っています。
お茶碗に1杯あるかないかですけど、穂を垂れた稲をみていると手を合わせたくなります。
「地に足をつけて」生活するという言葉があります。
しっかり根をはる植物のように。これから、そんな暮らしに少しでも近づければいいなと思います。
●加藤泰子さんのプロフィール:
1974年生まれ 奈良県在住
2001年夏、マクロビオティックに出会い
大阪の「正食協会」に通い勉強中。
2003年5月より「赤目自然農塾」に入塾。
田んぼと畑を借り、小さな農的生活を始める。
里山ねっとでは、「あやべ里山そば塾」に参加。
近い将来、田舎での自給自足暮らしを実現させるべく
自分にとっての「X」を探している。
●加藤さん、すてきなエッセイをありがとうございました。
これからもどんどんメッセージしていってください!
今後ともよろしくお願いします!
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Vol.126
農家民泊体験記

神戸の中崎さんがすてきな農泊体験記のエッセイを書いてくださいました。
ご紹介しましょう!
農家民泊体験記 中崎真由美さん(神戸市在住)
2003年9月27日(土)〜9月28日(日)に友人5名の計6名で、柴原キヌ枝さんのお宅におじゃましました。私達6名は幼い頃から神戸育ちで、中には両親も神戸出身の為、田舎自体がない子もいます。そんな私達の綾部での農家民泊はすべてにおいて、“非日常的”な初体験の連続でした!
まずは到着後、散歩がてらに行った“栗拾い”。家の近くに栗の木があって、しかも実が取れるなんて、なんて贅沢なんだろう…。もちろん私達は“栗拾い”は初めてで、「わぁ〜、めっちゃ大きい!」とみんな子供のように大はしゃぎ。
「こうするといいのよ。」とキヌ枝さんが、足と足の間にいが栗を挟んで、簡単に実だけを取りだしました。一同、「すご〜い。」と感嘆の声。早速、実践!おもしろいくらい簡単に実だけが“ひょこっ”と顔を出してくれるんです。たくさん取れて大満足。でもキヌ枝さんいわく「昔はもっと取れたのよ。」だそうです。
散歩の途中では、いろんな虫に出会いました。虫が苦手な私は、最初は足元ばかりが気になって、景色を楽しむ余裕がありませんでした。しまいには、恐怖心のあまり、ただの枯れ葉がカエルに見えてしまったり…(^^;)
おうちに帰ると、テーブルの上に一冊のノートが。中を見ると、今まで農家民泊に来られた方が残していったメッセージでした。「僕は虫が苦手です。でもここへ来てみて、それはとても小さな事なんだと気付きました。」というような内容のメッセージを見つけて、「あぁ、そうなんだよなぁ。」と同じ思いになりました。
夕食には、さっきみんなで拾った栗をキヌ枝さんが栗ご飯にして出してくれました。とってもおいしかったです。他にも“しょうがいも”という名の初体験の食べ物が!味はしょうがに近いんですけど、しょうがが苦手な私にも食べやすい味でした。
夕食後は、いよいよお風呂です。昔、親戚の家で五右衛門風呂を体験したことがある私ですが、焚き付けをするのは初めてでした。燃えていく薪の“パチパチ”という音を聞いて、なんだかほのぼのとした気分になりました。
さて、実際にお風呂に入ってみると、温度調節がなかなか難しい…。キヌ枝さんには「熱かったら、どんどん水を足していけばいいのよ。」と言われたものの、風呂釜からお湯が溢れるのは、なんだかもったいないような気がして、少し熱めのお湯につかりました(^^;)
2日目、出発前にキヌ枝さんがお抹茶をたててくれました。すてきな茶室で、木のいい香りがしました。お抹茶もとてもおいしかったです。
こんな感じで、私達の1泊2日の農家民泊は楽しく過ぎていきました。2日間という短い間でしたが、自然に囲まれた生活を送ってみると、いかに神戸に緑が少ないか…ということに気付かされました。見渡せば山だった綾部とは違い、見渡せばビルの神戸。帰ってきてから1週間ほど、普段の景色に少し違和感を覚えました。
また自然いっぱいの綾部へみんなで行きたいと思います。(了)
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すてきなエッセイをありがとうございました!
また旅をしに来てくださいね。
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Vol.125
こころの収穫

9月中旬の脱穀以来、久しぶりに田んぼに立ちました。
二番穂も実(稲穂)をつけていました。すべては後世(種子)を
残すための行動です。
季節は巡り、賑やかだった虫たちの世界にも少しずつ変化があります。
「動」から「静」へ。冬に向かって虫たちも準備をしています。
夏の中にも秋があり、秋の中にも冬があります。
今年もたくさんのことを2反の田んぼで考え、学ばせてもらいました。
田んぼという思索空間。たくさんの思索はもうひとつの収穫です。
もうひとつの収穫。
この秋、綾部でもお米泥棒がありました。
21世紀のこれからは、お米泥棒でさえ盗ることができない「田んぼでの思索のとき(こころの収穫)」がきっと重要になってくる。
10月の初め、そんなことを感じた次第です。
僕の夢。
それは田んぼや畑で、長い年月に耐え得る希望のことばやコンセプトを生み出すことです。
(文・塩見直紀) |
Vol.124
農家民泊体験記

あやべ里山そば塾塾生(奈良県在住)の加藤泰子さんからすてきな農家民泊体験記が届きました。
農家民泊体験記 文・加藤 泰子
綾部の市街地を抜けると、カーブを一つ曲がるたびに涼しくなっていく。窓を開けっ放しで走っていると、風がひんやりと肌に心地よく緑の濃い空気に変わっていった。
私は、里山ねっとで行われている「そば塾」の塾生だ。
今回は、その2回目があって、ちょうど夏休みのとれたダンナ共々参加させてもらおう!ということになった。
いつかは、自給自足の暮らしがしたいと思っている私は、この機会にダンナにも農の暮らしを知ってもらえたらという気持ちもあって、この夏休みの過ごし方に農家民泊を選んだ。
里山ねっとの塩見勝洋さんが引き合わせてくれたのは、その「そば塾」蕎麦の種を下さった八木穣さんだった。
どんな方だろうと、楽しみにしながら、夕方になってきたので先を急いだ。
八木さんのお家は、きれいな上林(かんばやし)川の前にあった。
お家に着くと、奥様の喜代子さんが出てこられた。やさしいお母さんという感じの方だ。
川の向こうに目を向けると、笑顔で手を振ってくれる人がいる。八木さんだ!喜代子さんと一緒に畑に向かった。
川をはさんだ向かいの畑でそばと黒豆を作っているそうだ。
「今日は、そばのおひたしでも食べてもらおうか」と言われ「そばって、おひたしになったっけ?」と思いながらも、出していただく時の楽しみにして農作業を終えられた八木さんとお家に帰った。
夕ごはんが並んだテーブルには、楽しみにしていた「そばのおひたし」があった。
「そばのおひたし」は、そばが芽が出てまびく頃までのものをおひたしにしたもの。
少し酸味があって、食べたことのない味だった。
横を見ると、ダンナが猛烈な勢いでご飯を食べている。
八木さんのつくったお米はカルゲン米といってしっかりしていて、とてもおいしかった。ダンナはお言葉に甘えて4杯も頂いてしまった。
食べる前に少し農についてのお話を八木さんとしたのだけれど、八木さんは「若い人達が入ってきていろんなやり方でやっている。みんな、いろんなことをしたらええ」と言われていた。そして「農業50年、人に雇われたことがないんや」とも。
自分の50年に誇りを持ちながら、でもその技術や知恵を押し付けることなく若い人達のやり方も温かくみることができる。それは農に対する誇りと自信に裏打ちされたものであるからなんだろう。素晴らしいなと思う。
夜にご近所の森井士郎さんの奥様が来られて、お話を聞いた。
ダンナ様とともにUターンされて無農薬でお野菜を作っておられるそうだ。
明日、そのハウスが見れるというので、楽しみにしながら、森井さんを見送ると、見上げた空は満天の星空。降るような星空という表現が本当にぴったりの夜空だった。
2003年8月23日(金)
朝起きると、すでに八木さんはもう起きて一仕事終えられたところらしい。
朝ごはんを終えた後に、そばを粉に挽く機械などをみせていただく。やっぱり、蕎麦のことを話されるときが一番いい顔をされているなって思う。
それから、ダンナと二人で森井さんのハウスに向かった。ハウスの中から、旦那様が出てこられた。ハウスは、水菜が芽を出したところだった。
「自分達は退職した後の就農だけど、若い人は何か他に仕事を持ってたほうがいい。これだけとなると大変だから」
そうなんだ。私が思っていたこと。
ここに来る前、私は書店で偶然ある本に出会っていた。半分は農、半分はX。Xは自分が天から与えられた仕事。使命。自分がなんとなく思っていたことが、すごくわかりやすく書かれていた。私が求めているこれからの生き方は、これなんだなって思った。
民泊という形でご縁を持つことができて、これは何かに導かれて綾部に来たのだなと思える。綾部に私の答えがあるのかな...。
八木さんご夫婦に、おみやげにそばの種ときれいな鉢植え、畑のお野菜、地元に伝わる金毘羅講のお話しを書かれた本などをいただき、お別れの挨拶をした。
大事な時間を過ごせたという気持ちと、まだまだそこに居ていたいなと思う気持ちと。
私には田舎が無いけれど、田舎に帰るってこんな感じなんだろうか。
また、来ますね!と思いつつ手を振って、そば塾に参加するため里山ねっとへ向かった。
この日の作業は、そばの間引きといのしし除けの竹の切り出しだったが、もんぺに笠のいかにもな格好の私よりダンナのほうが手際がいい。この人、農作業に向いてるんじゃないかななんて思ったりもする。
間引いたものは、何にしようかと考えたけれど、やっぱり同じおひたしにした。食べながら、八木さんとのお話を思い出したりして。
八木さんにもらった種は、最近自宅の近くに借りた畑に来年蒔くつもりだ。
そして、また種ができれば農を通じて知り合った人にお分けできればって思っている。
八木さんから始まった種で、いろんなところに蕎麦の花が咲いて、みんなとつながっていける。また一つ素敵な出会いができて、普通の旅行では味わえない夏休みになった。
八木さんご夫妻、里山ねっとの皆様、貴重なご縁と体験をありがとうございました!
そして、これからもよろしくお願いします!
※加藤さん、素敵な農家民泊体験記をありがとうございました!
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Vol.123
脱皮

今年の夏はなぜだかヘビの抜け殻をたくさん見つけました。
脱皮した白い皮です。
脱皮した皮を見つけると、子どもの頃、祖母や母など大人が持っていたがま口の財布を思い出します。年配の人はいまも抜け殻を入れているのかな。
ある日、玄関を出ると、庭木から何かがどさっと音をたてて落ちました。
何だろうと近づいてみると、かわいいヘビでした。
子どものように見つめる僕を恐れず、ヘビは再び木に登っていきます。
枝から枝へ、上手に登るもんだね。
君はなんだか身体がしっとりしているねぇ。
なぜ木に登るの?
エサでも見つけたの?
涼しいの?
・・・といろいろ考えて、背丈ほどの木の枝をよく見てみると、木に脱皮した皮が残っていました。
「お〜い!ヘビの皮があるよ。見においで!」と近くにいた幼稚園の娘とつれあいを呼びました。
「昔はお金が貯まりますようにと願って、ヘビの皮を財布に入れたんだよ」
というと、娘もつれあいも「へぇ〜!」とびっくりしていました。
都会育ちのつれあいも初めて聞いたようでした。
迷信かもしれませんが、なぜだか大事なことを伝えられたような気がしてうれしかったです。なぜかな。
ヘビの抜け殻を見ると思い出す言葉があります。
それは確かカントの言葉だったと思うのですが、
「脱皮しないヘビは滅ぶ」という言葉です。
21世紀に生きる人間も脱皮が必要なようです。
ときどき脱皮して、古い皮を脱ぎ捨てて生きていけたらいいなあ。
意識の脱皮をしないと人間も滅ぶのかもしれません。
ヘビに限らず、自然はいろんなことを教えてくれる知恵の使者ですね。
余談ですが、私たちは巳年夫妻です。そして、父も。
家族4人中3人が巳年で、つれあいの母も巳年生まれです。
ヘビは嫌いじゃありません。
今年はなぜだか巳年生まれに関する本も出版され、ベストセラーになりました。
(文・塩見 直紀) |
Vol.122
田んぼでキャッチボール

お陰様でたくさんの方に家の光協会の季刊誌『やさい畑』とTBS系列のTV「笑顔がいちばん!」を見ていただき、各地からうれしい電話やメールをいただいています。
早速、農家民泊体験をしに関東の学生がやって来ました。
この秋、農家民泊体験を予約をされた方からうれしいメールが届きました。
子どもたちに『やさい畑』を見せ、「ここに行くんだよ」と言われたところ、子どもたちは目を輝かせ、
「えええ〜〜!!」
「ここに行けるの!?!?」
「何に乗って行くの??」
「誰と???」
「お泊りするの?」
「グローブ持って行って良い??」
「どこまで走れるかな??」
「野菜新鮮なんでしょ!」・・・・・・。
と、しばらく質問攻めだったそうです。
グローブ、忘れずに持ってきてください!僕も刈り取った稲の株がある田んぼでキャッチボールしたいなあ。
どこまでも走ってみてください。きっと自分だけのこころの風景に出会えることでしょう。
秋の日、ふらりと綾部に遊びに来てください。すてきな物語がそこから始まればうれしいです。土日も祝日も里山ねっとはオープンです!スタッフが交替でお待ちしております。
里山ねっとのお隣にある米蔵を改装したお店「空山の里」(ふるさと振興組合)も土日祝日も営業になりました。地元新鮮野菜も販売しています。
(文・塩見 直紀) |
Vol.121
落穂ひろいの時間

ついにお米を収穫する日を迎えました。
すべての稲が刈り取られ、稲木に掛け終わったときの気持ちは何年目でも感慨無量で す。新鮮な気持ちに帰れる瞬間です。万物に対して、「ありがとう」って気持ちになれます。
稲をかけ終わると、祖先が、先輩世代がしてきたように田んぼを見て周り、落穂を拾います。
大事にしている時間の1つです。
零れ落ちたり、刈れなかった稲穂を拾い集めていると、ごはんのお茶碗数杯分のお米になります。お茶碗一杯のお米とは、そういうものなのですね。
でも、すべてを拾わず、鳥など他の生き物のために残すことも大事です。でもでも、先人がそうしたように、落穂をひろう時間は21世紀も、21世紀こそきっと大事です。
落穂をひろうことは、機械についた土の固まりをまた田に返すのに似ているなとふと思いました。
とにかく無事、稲刈りが終りました。
7日〜10日ほど天日干しをし、最後に「脱穀」という作業をします。籾(もみ=皮付き玄米)の状態になっても、「籾摺(す)り」という作業もあり、あとしばらくかかりますが、もう新米がそこまで来ているって感じです。
新米を食べる日が近づいています。どんなメニューでお祝いしようかな。
(文・塩見直紀)
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※このコーナーでは週一回、里山ねっと・あやべからのメッセージをお送りします。
ぜひご意見をお聞かせください。(事務局 塩見直紀)
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