●バックナンバー41〜60


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41●公益学のふるさと
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「フェアトレード(fair trade)」の「フェア」とは「公正である」ということだ。この「公正」ということが、21世紀の、そして将来の世代、そして地球の運命を担うカギになると思う。なぜなら、今後食料危機や水危機が予測されている。ある場所に100人の人間が住んでいるとして、100人分の食料しかない時に、その中の10人が他の90人分の食料を独占することは許されない。これが90人分の食料しかないならば、より公正に分配し、誰も死ぬものが出ないようにしなければならない。われわれは「フェア」でなければ生き残れないのだ。(音楽家・坂本龍一さんがフェアトレードに寄せたメッセージより『ピープルツリー』(フェアトレードカンパニー株式会社/グローバル・ヴィレッジ発行・2001年9月発行より)公共圏などと訳される「コモンズ」という言葉が多用されだした5〜6年前、「私(し)」という字源は何だろう?「公(おおやけ・こう)」とは何だろう?と漢字の成り立ちを辞書で調べたことがあります。「私」という字を見てみると、「禾」「ム」で成り立っていて、「禾(のぎへん)」は「穀物など収穫物」を表し、「ム」は「抱え込む」という行為を示しているとありました。「私」とは、大事な食べ物を自分の蔵にしまう、囲い込む状態、私(わたくし)化することを指しています。一方、「公(おおやけ・こう)」は、「ハ」と「ム」によって、構成されています。「私」と「公」の共通点、それは「ム」です。「公」の「ハ」は「開くこと、みんなに与えること」を指し、抱え込まれたものを、みんなが分け合っている状態、それが「公」という意のようです。漢字は私たちに大事なメッセージをしてくれているようでした。有史以来、人はみな「それぞれの私益」を追求して生きてきました。人が集い、グループを構成すれば、「組織益」「団体益」にこだわるようになり、政党などは「党益」を、各省庁は「省益」を、それぞれの市町村は「町益」を、「市益」を、そして、それぞれの国家は自国の利益、「国益」を追求してしまいます。そうした過度な私益追求がさまざまな「21世紀問題群」の主要な要因となっています。そんな今、「新しい益」(=「地球益」「将来世代益」など)の追求も始まっています。里山という公共の空間を保全したり、ボランティア、NPOなど非営利セクターや社会起業家やコミュニティビジネスが活発化しているのもそうした潮流の1つでしょう。ここに2つの事例を紹介したいと思います。公益の祖といわれる本間光丘(ホンマミツオカ・1732−1801)の没後200年の節目の年である2001年春、山形県酒田市に「東北公益文科大学」が創設されました。「社会の非営利・公益」の分野を総合的に研究する国内初の大学です。県と庄内地方の財政的支援、慶応大学の知的支援を受け、公設民営方式で運営され、1期生282人が学んでいます。北前船で栄えた港を中心に商業、金融、地主の3事業で資産を築いた本間家の3代目・本間光丘は日本海から吹き付ける風、飛砂の害に悩まされていた酒田の地、民を救済しようと私財を投じて植林に取り組みました。1758年(宝暦8)年に始めて以降、継続事業とし、現在の砂防林の礎となったといいます。※庄内地方の海岸線約34キロにわたってクロマツ林が続くといいます。北前船は港町酒田に豪商・本間家を生み、公益思想を育みました。小松隆二・初代学長は「本間光丘は公益理念の実践として砂防林を造成した。庄内は公益学のふるさと。学ぶべきものが多い」といいます。「公益学のふるさと」に開学した東北公益文科大学によって、公益理念は新たな世代にきっと受け継がれ、新しい時代のコモンセンスになっていくことでしょう。また、この春、京都大学に独立大学院「地球環境学大学院」が設置されることが決まり、発表されました。文系、理系の枠を超えて環境に関するさまざまな分野の研究成果を連結し、「地球益」を追求するといいます。国益や経済的利益を超えた環境政策を考える「地球益」の研究分野もあります。21世紀の最初の年、こうした大学が誕生したこと、また地球益を探究する大学院が創設されること、その先見性に敬意を表す次第です。今後、あらゆるものが「公益(地球益、将来世代益・・・)」の観点から、見られることになると思われます。空気も水も化石燃料も食糧も・・・。そして、1人ひとりの人生も。庄内地域はきっと「公益思想」の最先端の地となり、世界に貢献する唯一無二のオンリーワンの地域になっていくでしょう。オンリーワンのまちや地域には必ず深い哲学、思想があります。世界に貢献する唯一無二のオンリーワンのまちは、哲学・思想でつくられる、あらためてそんなことを感じました。仏陀が言うように「人は思想で世界をつくる」のです。綾部は何のふるさとになれるのか。世界における綾部の役割とは何か。公益学のふるさとから、私たちがそんなことを問われているように思います。(文責・塩見直紀)※ベストセラーの『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子再話・C・ダグラスラミス対訳・マガジンハウス・2001年)はこの世界をどう生きるか、どうフェアに生きるか・・・を教えてくれるシンプルな教科書です。


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42●のこし柿(梅原哲史さん)
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今週のウィークリーメッセージは「かえる倶楽部」事務局長の梅原哲史さん(綾部在住)からのメッセージです。

《世界人口が100人だったら》  もし世界人口を、様々な比率をそのままに、ぎゅっと100人に凝縮したら?
57人アジア人、21人ヨーロッパ人、14人南北アメリカ人、8人アフリカ人。52人女性、48人男性。70人キリスト教徒以外、30人キリスト教徒。89人異性愛者、11人同性愛者。6人が世界の富の59%を所有しており、その6人はすべて米国人。70人は読むことができない。50人は栄養不良に苦しんでいる。1人(そう、たった1人)が大学卒。1人がコンピューターを持っている。
 もしあなたの冷蔵庫に食べ物が入っていて、衣服を身に着けていて、頭上には屋根があって、寝る場所があるのなら・・・・世界の75%の人々より金持ちである。
 もしあなたの銀行口座や財布にお金が入っていて、どこかに予備の小銭を持っているとしたら・・・・世界の裕福層の8%に入っていることになる。(「WE BELIEVE」8月号より抜粋)
 2年前、「のこし柿」という風習がそれほど遠くない昔の日本にあったことを知りました。それは里山や庭になっている柿をすべて採らずに、自然の恵みを与えてくれた神様への感謝の気持ちと冬を越す動物や鳥のために残しておくことです。
 私は、そのような風習があることをまったく知りませんでした。そこで自分の素行を思い返しました。すこしでも多く採ろうと家の2階から手を伸ばしてみたり、竹で道具を作ったことが思い浮かびました。柿で生計を立てているわけでもなく、また柿しか食べるものがないというわけでもないにも関わらずに。まったく自己中心で人間中心の行動をしていました。
昔の日本は今ほど物が溢れていなく裕福ではありませんでした。食べ物も残して捨てることはなかったでしょう。そんな中で、のこし柿をする気持ちの余裕があったことに驚きました。文明の利器が少ないだけに自然と人間の距離が近く、自然の中で生きているということと、自然の恩恵で生きているということを感じることができたからこそ、のこし柿の発想につながったのではないかと思います。科学の進歩を否定しているわけではありません。文化や伝統と科学技術の今以上の調和が必要であると考えます。
日本の文化や伝統、そして歴史をよく学び、また、自分だけでなく他人をも思いやる心、物質的に豊かになった日本だけでなく、裕福でないその他の国のことをも考えることができる心、人間だけでなくその他の生き物をも思いやる心、そういった心を持ちたいものです。(梅原哲史)
『月刊NEXT』(2002年2月号VOL.36・NEXT発行)より転載


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43●火種を消さないということ
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最近、私はもうすぐ5歳になる子どもと一緒に夜8時にはふとんに入り、絵本を読み、一緒に眠るようになりました。以前は娘が眠ったあと、こっそりふとんを抜け出し、「思いをめぐらす時間(solitude time)」にしていたのですが、ふとんの中の私の「こころ」が居間に行っていることに対して、思うところがありました。「本気で一緒に君と寝よう!」と決め、毎朝3時半に、起床し、朝型にシフトしました。
早起きの効用を説く本はたくさん出ていて、私も10年ほど前、勉強会で「人生の成功者(天の意に沿う生き方ができた人)には、共通点が2つある。それは早起きであること、それと腹式呼吸をしているということだ」と聞いてから、何度かチャレンジしてきましたが、「毎朝、ためらいもなく起きている!」とつれあいも驚いています。早寝をするとお酒がいらないこともわかりました。飲む時間がないのです。
私の「朝の時間(天使の時間と呼んでいます)」を支えてくれているものがあります。それは、「豆炭(まめたん)こたつ」です。大江町に住む伯母の家で体感して以来、住んでいた京都市内のJAで見つけ、ようやく購入。我が家では4〜5年前より、電気こたつを「豆炭こたつ」に変えました。田舎で生まれ育った私は、練炭こたつで暖をとり、大きくなりました。
電気的なものへの身体的抵抗、電気的なものを減らしたい気持ちがあったせいか、豆炭こたつは手放せないお気に入りのグッズで、人にも勧めています。豆炭という化石燃料に依存していること、灰をどうするか、うまく活かせないものかという難問もありますが・・・。
我が家が毎冬、目標とするのが、「火種を一冬消さない」ということです。初冬に、豆炭に火を入れ、それを春までの百数日、火種を絶やさず、何とか1回の着火で次の豆炭に着火させ、それをつなぎ、春を迎えたい、そんなたわいもないことが我が家の冬の目標となります。豆炭を着火させると約12時間内に次の豆炭を1〜2個、火種にくっつけます。その繰り返しです。
豆炭こたつは里の早起き生活を楽しいものにしてくれています。立春を過ぎ、もうすぐ啓蟄(3月6日)、そして、清明(4月5日)の頃には豆炭こたつともお別れでしょう。豆炭こたつなしに、それ以降もこうした早起き生活が続けられるかどうか私の意志が試されることになります。私のこころにある「火種」は消えることはないか、豆炭を見ながらいるいつも感じるのです。みんなの新世紀への思い(火種)が、いつしか野火となりますように。
※里山ねっとでは、今年、農家民泊(農泊)事業を推進します。我が家も率先して始めますので、冬はぜひ我が家の豆炭を体験しに来てください。つれあいの穀菜食でお迎えします。早く寝てもらうかもしれませんが・・・・。屋号は「希望のたね」にしょうかと考えています。
※豆炭について・・・家庭用燃料の1つ。石炭・無煙炭・木炭・亜炭・コーライトなどの粉末をまぜ、粘着剤で卵形に固め乾燥したもの(広辞苑より)。ホームセンターやJA等で入手可能です。大きさは約4センチ四方で、厚さは約3センチくらいです。豆炭ごたつや練炭のこたつは田舎の代名詞ですが、2年程前、糸井重里さんがマックをお母さんにプレゼントされ、その素敵な生活を記した『豆炭とパソコン』を出版され、久しぶりに豆炭が世に出ました。(文責・塩見直紀)


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44●人にはどれだけの土地が必要か
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祖先が残してくれた田畑や山林で農作業をしているとき、過疎化した村の野辺を歩いているとき、また、閉校となった母校のオフィス(里山ねっと)で里山の未来を想うとき、脳裏を去来するのが、トルストイの『人にはどれだけの土地が必要か』という寓話です。
1994年、慶應義塾大学名誉教授の鈴木孝夫さんの著書『人にはどれだけの物が必要か』の中で出会って以来、トルストイが、その問いを投げかけてくるのです。
鈴木さんが『人にはどれだけの土地が必要か』をうまく要約されていますので、ご紹介しましょう。
ロシアの田舎に、パホームという名の1人の百姓がいた。初めは貧しい小作人で、いろいろと苦労があったが、ようやく貯めたお金で地主から少しばかりの土地を買ってからは、暮し向きも大分良くなり、毎日を楽しく過ごせるようになった。
しかしほどなく、近隣の貧乏な百姓たちとの間に、いざこざが起ったりして、もっと広い自由な土地が欲しいと思うようになる。やがて彼はヴォルガの向うに新しい移転先を見つけた。
そこで彼は以前の何倍もの肥えた土地を安く手に入れる。暮しも前とは比較にならぬほど良くなった。ところがだんだん住み馴れるにつれて、この新しい広い土地でも、まだ狭苦しいような気がしてきたのである。
ある日1人の旅の商人が食物を求めてパホームの家に立寄った。商人の話すところによると、彼は遠く離れたバシキールの土地から来たのだが、実はそこで広大な地面を人の好いバシキール人から、僅かな金で買い取ったと、ちゃんと登記証書まで取出して見せた。
パホームは旅の商人が立去るや、直ちに下男をつれてパシキールへと旅立った。途中の町でお茶や贈物を仕入れ、7昼夜もかかってバシキールの土地にたどりついた。早速彼は旅商人がした通りに贈物やお茶を人々に配ってから、土地を買いにかかる。
ロシア語の話せる村長はパホームの希望を聞くや、ここには土地がいくらでもあるから、好きなだけ取るがよい、しかも値段は1日分で千ルーブリと決まっていると言う。1日千ルーブリの意味が分かりかねているパホームに対し、村長は次のように説明した。あなたは好きな場所から、日の出とともに出発して、1日中歩き廻ったあとで同じ場所に戻ってくれば、それだけの土地があなたのものになるのですと。但し1つだけ条件があって、それはもし日没までに出発点に戻れない場合は、すべて失うというものであった。
その夜、パホームはベッドの中で、丸1日も歩いたら、大した土地が手に入るぞ、それをどう使おうか、いくら儲かるだろうかなどと思いを廻らしながら、眠れぬ時間を過し、翌朝まだ暗い内に飛起きて小高い丘を目指す。村長はじめ村人たちも集って来て、皆で日の出を待つ間、パホームは地面に置かれた村長の帽子の中に、代金の千ルーブリを入れ、そこを出発点と決める。
やがて日が昇ると、すぐさま彼は東に向って歩きだした。途中で曲るたびに、持ってきたシャベルで穴を掘り、目印にと木の枝や芝土をその中に入れてはまた歩き出す。彼は行く所、見るものすべてが欲しくなり、自分が余りにも遠くに来すぎたことに気付いた時は、日も大分西に廻った頃だった。
少し心配になった彼は、出発点の方角目指して真直ぐに急ぎ足で戻り始めた。しかし日は既に西に傾き始めているというのに、目指す丘は影も形も見えない。ようやく不安に駆られた彼は走り出す。太陽は刻一刻と地平線に近付いていく。パホームはもう半狂乱の状態で、ひたすら走り続けた。
やっと遥か彼方に丘が見え出す頃、赤い太陽の下部がとうとう地平線にかかってしまった。丘の上では大勢の人が男の姿を認めて手を振り大声を上げている様子が見える。彼は渾身の力を振り絞って丘を駆け上り、そして倒れ込みざまにゴールの皮帽子を掴んだ。村長が「やあえらい、あなたは望んだだけの土地をすべて手に入れましたぞ」と叫んだ時、パホームは口から血を出して息絶えた。それは太陽が西の地平線に沈むのと同時だった。
彼の下男はシャベルをとって穴を掘り、この男を土に埋めた。きっかりその穴の大きさだけの土地が、彼に必要な土地のすべてであった。『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫著・飛鳥新社・1994年)より
大きいことが素敵なことだった時代もありました。しかし、いまは『スモール・イズ・ビューティフル』(シュマッハー)、『スロー・イズ・ビューティフル』(辻信一)へと意識も変わりつつあり、「スモール」「ミニマム」「コンパクト」「シック」「シンプル」「ゼン(ZEN=禅)」「スロー」・・・・が「21世紀のキーコンセプト」となろうとしています。
「物(モノ)」に対する価値観も、モノそのものの「所有」から、機能の「利用」「使用」へと変わりつつあります。東大の松井孝典さんが提唱されておられる「レンタルの思想」は大変注目すべき考え方でしょう。
祖先が残してくれた田畑や山林で農作業をしていると、過疎化した村の野辺を歩いていると、また、閉校となった母校のオフィス(里山ねっと)で里山の未来を想っていると、ふと脳裏を去来するのです。人にはどれだけの土地が必要か、と。
※1年の半分は信州の山荘で過ごし、簡素な暮らしを実践されておられる鈴木孝夫さんは、小学3年の頃、家にあった小学生全集の中で、トルストイの「人にはどれだけの土地が必要か」に出会い、大変感動したといいます。80年代後半、モスクワの科学アカデミーの東洋学研究所に滞在中、その作品を探し出し、ロシア語で原文を再読し、半世紀以上前に受けた何ともいえない感動が甦り、長年、構想していた本のタイトル『人にはどれだけの物が必要か』をその時、閃かれました。里山ねっとの「あやべ田舎暮らし情報センター」にて、貸出しています!
※「地球百姓ネットワーク」の松本淳さん(市島町・福知山市)から、すてきな木の椅子を情報センターに寄贈いただきました。ますます気持ちのいいひとときを過ごしていただけそうです。松本さん、尊い贈り物をありがとうございました!(塩見直紀)


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45●先人木を植えて、後人その下に憩う
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大江町に嫁いだ伯母の家の裏山に大きな柚の木があります。冬、柚がなり、熟すと崖(がけ)を転げ落ち、ちょうど母屋と離れの間にたどり着きます。
伯父に「この木はいつ頃、植えられたのですか?」と尋ねると伯父も知らないとのこと。「桃栗3年、柿8年」といいますが、柚はすぐにはならないようで、植えた人が天に召されるくらい時間が経つと、実をつけると聞きました。※最近はもっと早くなる柚があるようです。
裏山からいい冬の里の幸である柚が、ちょうど勝手口横にある洗い場の水道のところにうまく転げ落ちてくるなんて、先人はなんて先見のある植栽設計をしたのだろうと関心しました。先人の植えた木によって、いまを生きる現世代はおいしい冬の幸の恩恵に与っています。身体に、五感にうれしい先人からの贈り物です。家を訪問していても、どこからかコロコロと音がして、コトンと家に当たる音がします。里の幸の音。
「先人、木を植えて、後人、その下に憩う」という中国の古いことばをふと思い出します。先人が植えた大きな木の下で、後の世の人々が集い、憩い、和す。これほどの将来ビジョンはあるでしょうか。たったいま、そんなことを想いました。
私たちも木を植えましょう。それぞれの地域で、職場で、家庭で。必ずしも木は木である必要はありません。木という「何か」でいいのです。後人のしあわせをイメージして。
明日、3月6日は啓蟄です。


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46●娘の嫁ぐ日に
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娘が生まれたら、桐の木を植えたいと思うようになったのは、いったいいつの頃からでしょう。高校の頃、祖母から聞いたような気がするのです。日本では女の子が生まれたとき、桐の木を植えて、嫁ぐとき、大きく育った桐の木を用いて桐タンスにしてもたせたと。
今では、知る人も少なくなってしまった日本の話です。
「桐の特性」を知り抜き、必ず来る未来(=嫁ぐ日)を見通し、今から行動しておく先人の知恵には未来への確かなヒントがあるような気がします。「育てて用いる」。それが脈々と培われた日本の哲学、生活美学です。 この桐タンスの話は私の原点ではないかとふと思うのです。7世代先を配慮するというネイティブアメリカン・イロコイ族の哲学に90年代の初めに出会って、私の中の何かが変わりだしました。そして、思い出したのです、この桐タンスの話を祖母から聞いたことを。
以来、遠い未来を見通し、「今ここ」を生きる、そんな知恵を与えてくれる民間で伝承されてきた国内外の知恵をひろい集めるようになりました。 
桐タンスには、日本の気候風土である多湿から衣類を守り、また虫が嫌うタンニンを多く含むことから、高い防虫効果があります。また古くなるほど火に強くなり、火災にあっても焼けず、尊い着物(大量生産でなく、愛しい服たち)が守られるといいます。ちなみに金庫にも耐火性をあげるため、桐板を張るといいます。
恵まれた日本の風土において、桐の生育のサイクルが人間の成長のサイクルと適合し、それを巧みに用いた先人の知恵。まさに桐タンスは、天と先人の知恵と技との「天人合一の仕事」といえるかもしれません。
未来を見通し、育てて、用いる日本の生活哲学には驚かされます。持続不可能な暮らしがあふれる世の中ですが、少しでもそんな暮らしの哲学から学び、新しい時代を育む何かをたとえ小さくとも始めていきたいと思います。
(文・塩見 直紀)
※我が家の桐タンスはそうだよという方、ぜひ取材させてください。よろしくお願いします。


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47●百年、千年後のために、今、着手すること
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1992年、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議(UNCED,いわゆる地球サミット)」から10年という月日が経ったのか、と考えればおそろしいくらいだ。
それは環境に関心を持つようになって、10年以上経っているということを意味する。その間、どれだけ私は変われただろう、どれだけ持続可能な生き方、くらし方を積んでこれただろう、と考え込んでしまいます。
環境問題に目覚めた人々は1つのところに行き着くといいます。「世界は変えられない、自分が変わるしかない」ということに。マハトマ・ガンジーはこう言っています。「世界に変化を望むのであれば、自らがその変化になれ」と。私からの変革、それしかないのだと。
地球サミットから10年。2002年8月末、南アフリカのヨハネスブルクにおいて、「持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD)」が開催されます。
国連側のWSSD事務総長を務めるニティン・デサイさんのことば「何をすべきかは、既にわかっているし、合意もしている。今、我々に求められているのは、誰が、何を、いつ、やるかである」は、世界の主脳だけでなく、企業だけでなく、世界の一人ひとりへのメッセージです。
決意の深さがすべてを決する、のかもしれません。中江兆民は「薄志弱行(思いが薄かったり、弱いと、強い行いもできず、結果もしれている)」と書いていますが、それはあらゆることに言えることで、願いを成就するためにはたったひとつのそれが要ります。
新世紀に向けてのキーワードである「持続可能な開発(sustainable development)」や「持続可能性(sustainability)」に関心をもたざる得なくなった地球サミットの数年後、環境学の先生から、あるエッセイの切り抜きをいただきました。
先生もそのエッセイに感銘を受けたとのことですが、それは民俗学の柳田国男の著作『豆の葉と太陽』に次のようなことが書かれているという文で始まっていました。公共知にしたいものですので、以下に転載させていただきます。
村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。
そこで柳田は考察する。「村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、30年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである」
 ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。 こうした観点に立つ時、30年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる。(以上)いまとなっては、出典も、筆者もわからずじまいですが、このメッセージはいまも、そしてこれからも心に残り続けることでしょう。地球サミットから10年、2002年の今日の日から、百年、千年後のために、着手すべきことを、それぞれ与えられた舞台で、こつこつ行じていきましょう。(塩見直紀)

 

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48●生きるとは、希望を見つけ、育てること
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『生きるとは、希望を持つこと』(F・アルベローニ著・草思社)という名のエッセイ集がこの冬、発行されました。「不安な時代だからこそ、希望をもって未来を築こう!」というメッセージが込められています。
昨年、実施した「21世紀の生き方、暮らし方を考えるための、あやべ田舎暮らし初級ツアー」をはじめ、里山ねっとの各種事業は、綾部における「希望探し」だったのではないかと、ふと思いました。人も家庭も、どんな組織も地域も国家も、希望なしでは生きていけず、生きるとは希望を見つけ、育てること、なのかもしれません。
市民新聞に大きく取り上げていただいた、秋のツアーの参加者である徳平章さん(神戸市)が小畑町の空山グループさんの産品を紹介するポスターを手弁当でデザイン、制作してくださったことはわかりやすい「希望のカタチ」です。
里山ねっとも事業を通じて、本当にたくさんの希望と出逢わせていただきました。希望を得たのは、里山ねっとだけでは決してなく、この地に訪れてくださった参加者(ビジター)も希望を心のなかに、心の外に、見出したのではないかと推察しています。小さいけれど素敵な物語がたくさん紡がれ、きっと因縁無量に拡がっていく、と予感しています。
近江商人は「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」の「三方(さんぽう)よし」を商の理念にしたといいます。いま、その商哲学が脚光を浴びています。里山ねっとでも、「綾部よし」「来綾者よし」「社会、日本の未来よし」の「三方よし」をめざし、都市との交流を進めていけたらと考えています。時代が変わり、まちづくりも「外発的」なものから、「内発的」なるものへと変化しています。
14年度、里山ねっとでは、里山の地(中山間地)を都市住民にも開き、様々な体験メニュー(農作業やみそづくり、山菜採りなど何でもメニューになります)を提供し、生きがいにしてみたい、まちの活性化につなげたい、綾部ファンづくりをしたい・・という「自発的」なお申し出のある個人やグループの応援を積極的におこなってまいります。都市との交流は「新しい力」となり、「ツキ」を呼び込むことになるかもしれません。「風土」はこれまでも「風」と「土」との出会いで育まれてきました。これからもきっと育っていくものと感じています。
私たちのまわりには地球温暖化等、「20世紀が残した難問」が、「たくさんの不安」が山積しています。今という時代ほど、たくさんの人が生き方、暮らし方を模索している時はないのではないかとあらためて思います。
心が変われば、まなざしが変われば、この世は希望に満ち満ちています。文頭で紹介した本には「希望とは、われわれの生命が宇宙と一体になっていることのあかしであり、われわれ自身を確信しているということ」、と書かれてありました。一方だけではない、二方だけでもない、三方の希望探しは、都市との交流の本質なのかもしれません。(塩見直紀)


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49●ネットワーキング∞
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ようやく桜の季節になった綾部において、滝本ヨウさんの木削り教室がおこなわれました。
滝本さんは18歳でカリフォルニアへ、帰国後、22年間、東京で都市計画に携わってこられました。8年前のクリスマス、福知山に住む心友(木工家)が、切り出しナイフをプレゼントしてくださったことがきっかけで、木削りをはじめるようになり、国内外で木削り教室を開催されています。
ジャイアントセコイアや屋久杉、福井で出土した神代杉など世界の名木のたくさんの木片の中から「自分の木」をインスピレーションで1つ選んで、ペンダントトップやスプーン、木たまごなどを切り出しナイフ1本で作っていきます。木と、自分と対話しながら。もくもくと。
こうしたご縁があったのも、福知山でエコロジー住宅を模索される道下工務店(スペースえころ)さんとのお出会いがあってのことでした。スタッフの北山ゆかりがぜひ里山ねっとを舞台に実現したいという思いが伝わり、綾部でのご縁をいただいたのです。
遠く熊野から、神戸からも参加され、また市内在住のアーティスト、大石明美さん、ポランスキー真弓さんも参加くださいました。親子で手づくりの尊い時間をもたれた方もありました。
小さな子どもたちも懸命に世界で1つしかない自分の作品を制作していました。できあがった作品には自分で作品名をつけ、みんなに発表するのですが、ポランスキーさんの小学1年の息子さんが照れながら「伝説のペンダント」と言いました。素敵な名前をつけてくれ、こちらもうれしくなりました。なんてすてきな作品名でしょう!みんなにとっても、生涯忘れえぬ伝説の日になったらうれしいです。


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50●導かれて綾部へ〜終のすみかを探す旅〜(北井育子さん)
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田舎暮らしを求める人は、すでに綾部に移住した人によくこう質問します。「どうして綾部だったのですか?」と。ちょうど1年前、京都市内から綾部に移住されたペンネーム「月の旅人」さんになぜ綾部だったのかについて、エッセイをお願いしました。
導かれて綾部へ〜終のすみかを探す旅〜
綾部に来て、1年になります。1年前は、引っ越しや娘の入学で、慌ただしいスタートでした。縁があって、今は腑に落ちて綾部に住み着いています。綾部に来た理由は、娘の体質改善のために環境のよいところを探していたのと、自分の殻を破りたくて、とっさに「出よっ!」と思ったのがきっかけです。
でも、どこというあてもなく、その思いが叶わないと思った時に、綾部のチラシに出会いました。その時はまだ、綾部がどこにあるのか知りませんでした。ある日、主人が夜明け前に「ちょっと見てくる」と言葉を残し、足を運びました。農道を歩いた時、雨上がりのせいか「なつかしい匂いがした」と言い、綾部を気に入ってしまったのです。
実はその前に、もっと神秘的で、不思議なことに出会っていたのです。それは、ここに来る前に、何故かM町の役場に2度も車が止まって、動かなかったんです。それも同じ場所で。私たちは直感的に「ここや!」って思いました。でも、綾部に来たでしょ!結局、主人の仕事がM町勤務になり、役場に車を停めて仕事場に向かう、ということになったのです。不思議と思いませんか?
もし、綾部に住むことがなかったら、仕事でM町に車を停めることもなかったと思うのですよ。「ここにおいで、ここにおいでよ。」と呼ばれていたかのように、背中を誰かに押されたかのように、導かれて綾部に来ました。よく人は、綾部に立ち寄りますね。昔(前世)に仲のよかった仲間(どこかみんな気持ちが似ていませんか?)が、何かに癒されたくて、約束していた場所に戻ってきたかのように思われて仕方がないんです。それはきっと、昔から仲良しさんということですね。とにかく、私たちは、娘の入学式の2日前に、綾部人になったという訳です。
主人の仕事の帰りが早いおかげで、家族5人が同じ場所にいる時間が多く、私の人生のテーマである「家族」には、ぴったりの環境です。消灯の時間も我が家は早いです、というより、子どもを寝かしていたら、一緒に眠ってしまうと言う方が、当てはまるかもしれません。来た頃は時間がもったいない気がして、そぉーっとお布団から抜け出して、自分の時間を過ごしていました。でも、私のいないぬけがらは、穴が開くように感じるのでしょうか、1歳の子どもは、覚えた言葉を全部並べて、私をどうにかして呼ぼうとします。またそのぬけがらに身を入れると、手探りで私の首をつかんで放しません。同じお布団の中にはもう1人入っていますが、窮屈と思いながら、幸せを体いっぱい感じています。楽しい夢を見ているのか、笑みを浮かばせながら、目をつぶっています。主人と3人の子どもたちの寝顔を見ていると、「この幸せはいつまで続くのかな?」とちょっと不安になってしまいますが、命が続く限り続けたいです。
私には両親がいませんが、一緒にお布団で眠ってくれたぬくもりは、大人になっても覚えています。おんぶひもの中で、背中のぬくもりでも、子どもは眠ってしまいますよね。どの家庭も時間が許されるのであれば、子どもと一緒にお布団に入り、絵本を読んであげて、一緒に眠り、早く眠る分早く起きて、家族や自分の時間に費やしてみるのもいいですね。これがブームにならないかと、密かに思っています。そのおかげで、最近子どもと本気で向かい合う時間の大切さを、一段と感じるようになりました。
我が家の悩みである子どものアレルギーですが、熱を出したり、夜不安になって泣いてしまったり、学校を休みたくなったりしていたのは、接する親の心に余裕がなかったのかなと思います。少しずつよくなってきているのは、もちろんよい環境のおかげもありますが、親の心にも余裕が出来たことで、子どもによいエネルギーを与えている結果だと思います。子どもが描く絵の色使いや表現を見ていると、それは一目瞭然です。子育てにおいて、今まで気づかなかったことが見えてきました。子どもが「分かってほしい、聞いてほしい」という思いと同じくらい「分かってあげよう、聞いてあげよう」としていくことは、とても大切な気がします。子どもたちが「お母さん」と頼ってくれる言葉の重みを感じながら、日々暮らしていきたいです。
私にとって一番の理解者、時には私の踏み台にもなってくれる、主人や子どもたち。そして、出会った人たちや、これから出会うたくさんの人たちのおかげで、私は生かされているのです。本当にありがとう。いつも感謝しています。綾部に来たおかげで、腑に落ちる生き方を見つけられるようになりました。世の中には、神秘的で、不思議なことがいっぱいあります。もし、皆さんの車が止まって動かなくなったら、それがこれから生きるヒントになるのかもしれませんね。(ペンネーム:月の旅人、2002年3月30日・記)
※月の旅人さんのプロフィール:京都市に生まれ、2001年4月より綾部に移住。
※月の旅人さん、本当に素敵な物語をありがとうございました!ホームページに「導かれて綾部へ〜終のすみかを探す旅〜」というコーナーをつくりたいなと思っていたのですが、第1号にふさわしいエッセイでした!なんだかなつかしいような人に会うことって、本当にあります。どうしてでしょう?約束の地って、あるのでしょうね。
※ 縁あって、綾部に移住された方に「3300ある市町村の中で、なぜ綾部だったのか」について、エッセイを書いていただいたり、インタビューをし、里山ねっとのホームページで紹介していきたいと思っています。里山ねっと・あやべは、人生の転機を応援します。新世紀の生き方、暮らし方を一緒に考えていきましょう!綾部が「人生を考えるまち」になれたらうれしいです。ホームページの新コーナー「導かれて綾部へ」、お楽しみに!(塩見直紀)


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51●遠慮の思想
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数年前、仏教大学の藤堂俊英先生から、「遠慮」の原意について教わったことがあります。
今日、遠慮するといえば、他人に対して控え目にすること、出しゃばらない意ですが、その原意は、「遠い将来まで見通して、深く考えること」であるといいます。
「遠慮」とは、なんと尊い言葉なのでしょう。いまの世は、まさに、「遠慮のない時代」です。先生から遠慮について教わって以来、少しでも「遠慮がはたらく社会」を築きたいと願ってきました。
里山という空間はきっと遠慮のはたらく空間だったのではないかと思います。現世代のみならず、未来の世代へも、他の生命に対しても遠慮がありました。
遠い未来に思いを馳せる力が、視界にない他者(他の生命)への慮る力が私たちから消えつつあります。
遠慮といえば、京都大学の農学部教授だった渡部忠世さんのことばを思い出します。
「人生においては、『次代送り』の喜びというものが大切。果樹の木を植えるにしても、石を家のまわりや田圃のふちに置くにしても、先祖の行跡を考え、子孫の末を思い、数百年の後の夢まで見つつ工夫しているなどということは、土の上に生活の根をおくものでなければ能わぬことである。」(『農は万年 亀のごとし』小学館・1996年より)
祖先を顧み、後世を想い、そして、創意工夫していく。その連続としての人生。遠慮の思想のあるおこないを、次代送りの思想ある一挙手一投足を肝に銘じて生きたいと思います。
昨年の4月17日から始まったウィークリーメッセージも丸1年を迎えることができました。元日はお休みをいただきましたが、51通のメッセージを発信できましたこと、心よりお礼申し上げます。支えてくださった皆様方に心より感謝申し上げます。
再訪してもらえるホームページにしたい、また、里山ねっと発、綾部発の情報発信をしたい、想いを共有したい、そんな願いを込めて、毎週お届けしてきました。2年目にはぜひ多くの方にメッセージを寄せていただきたいと思っています。21世紀の生き方、暮らし方を考えるための、週1回の気づきの場、希望の広場、になれれば幸いです。(塩見直紀)


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52●憧れと社会的役割と(竹市直彦さん)
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53●自転車で里山ねっと・あやべまで行ってみる(温井政樹さん)
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54●時間(とき)の贈り物 ※梅酒エッセイ
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梅酒づくりの季節が近づいてきました!梅酒の季節になると読み返したくなるすてきなエッセイがあります。多くの方にぜひお伝えしたい内容なので、今週のウィークリーメッセージとさせていただきます。きっとあなたも梅酒を作りたくなるでしょう!我が家も娘が生まれた年にスペシャル梅酒つけました。嫁ぐ日が楽しみです・・・。(塩見直紀)
梅酒のタイムカプセル 文●福井 多恵
みずみずしい青梅が、スーパーの店頭に並び始めた。今年は数年ぶりに梅酒を作ろうと、毎日梅の顔を見に、あちこちの店に出かけている。傷が無く、ふっくらとしていて、そのうえ鮮やかな緑色のもの。梅を見る目は真剣である。
 梅酒づくりは、大げさな言い方をすれば、私にとって物語の幕開けなのである。
 1965年、娘が誕生した年に初めてつくった。一つずつ丁寧にふきんでふいた梅を、砂糖、しょうちゅうとともにビンに入れ、戸棚の奥にしまった。1年後、梅を取り出し、透明の梅酒を数本のビンに分けた。その中の一本が飲み忘れられ、気づいたとき、娘は小学生になっていた。少し試飲してみたら、まろやかだった。せっかく10年近くもたっているのだから、「中学生になるとき飲もう」と、また、しまい込んだ。
 その後も、卒業式、入学式など、「あれを飲むんだった」と思い出すのが遅く、戸棚の奥の梅酒は28年たっていた。それがグラスに注がれたのは、娘が嫁ぐ日の朝だった。濁りのないこはく色の液体は、言葉にならないおいしさで、心と体に染みわたった。
 それから5年。その娘が今秋、母になる。物語の幕開けの準備に、まず梅酒をつくろう。生まれ来る新しい命の幸せを願って、心を込めて梅酒をつくろう。そして今日も、極上の梅を見つけるべく、あちこちの店に出かける。そうだ。これは21世紀に飲まれるのだ。
(神戸市東灘区在住・福井 多恵さんが投稿された1998年5月27日付朝日新聞「ひととき」より)
※里山ねっとでは、地域の宝さがし(人財編)を4月から本格的におこなっています。薬酒・果実酒づくりが好きで何種類も作っている人などユニークな「里山的ライフスタイル」の人を発見されましたら、ぜひ教えてください。過日お出会いさせていただいたおつけもの25種類のおばあさんも素敵でした!100年以上の糠床を守っておられます。何か情報がありましたら、「あやべ地域資源調査隊」の塩見直紀までよろしくお願いします。


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55●おばあさんの言葉(上羽寛一郎さん)
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文●上羽寛一郎(新庄町在住)
晩秋の空山(そらやま)を撮ろうと小畑町松原の停留所のあたりでカメラを構えていると、笑顔のおばあさんに声をかけられた。
「今日は何写しとってん」「あの空山を写しています」「ああ、そうですか。きれいですがあ。春夏秋冬いつでもきれいやで」「そうですな。それで空山を写しによう来るんですわ」「そうですか。一ぱい一ぱい空山を写してやって。空山が喜びますで」「おおきに。そうしますわ」
とシャッターを押していると
「あのなあ、そこから写してもきれいやけど、もっと原貝(はらがい)の向うの方から撮ってみなはれ。もっときれいですで」「なるほど、今度はそこで撮りますわ」「ほなまあ、ごゆっくり」
ほんの少しの間の会話でしたが、毎日空山を眺めて暮らして来られたおばあさんの心暖まる言葉でした。「里山ねっと」のある小畑町での話です。
『つたかずら 第28号』(退教互助綾部編・2002年3月発行)より転載
「空山が喜びます」という言葉がとても印象的です。尊い尊いおばあさんの気持ち。うれしくなりました。山が喜ぶことがわかるひとでありたいです。みんなでそれを大事にしたいです。ぜひ伝えたくて、今週のウィークリーメッセージとさせていただきました。
空山は旧豊里西小学校出身者にとっては大事な大事な山です。標高350数メートルの山ですが、学校の時間にはよく登らされました。校庭から走って登頂、往復30分で戻る健脚の少年少女が昔はいたといいます。鍛え合った、競い合った時代のことです。今は時代が変わって、ゆっくり植物を味わいながら、また、つるや木々を採集しながら、スローな山登りがいいなあと思うようになりました。昔は日照り続くと山頂で、雨乞いの神事をしていたと先輩世代に聞きました。
上羽さんは里山ねっとのオフィスがある鍛治屋町のお隣・新庄町にお住まいで、豊里西地域をよく撮影されています。地元にこだわって、撮影されているとおうわさをうかがい、昨秋、ご自宅までうかがいアルバムを見せていただきました。すると、たんぼを耕うん機で耕す人と背景を写した写真があり、被写体がなんと自分で、びっくりしました。上羽様とのご縁を感じた次第です。上羽さんはトンボに関心がある地元のネイチャーフォトグラファーです。腹話術も趣味でボランティアで各地をまわられています。この度は転載を快諾くださり、ありがとうございました!(塩見直紀)


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56●天に続く道とは何か(温井政樹さん)
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綾部の中心部からシンプルな自転車で里山ねっとに何度も来てくれているペンネーム・ヌックさんの第2弾エッセイです。
「天に続く道」とは何か
里山ねっと・あやべに自転車で訪れるようになって3度目の帰り際のことでした。塩見さんに「八塚のお地蔵さんには行かれましたか?」と聞かれて、まだ行ったことが無かったので行き方を聞いてみると、「一宮神社の辺りから右手に見える道を上っていったら、あります。」ということでした。そして、「『天に続く道』と僕は呼んでます。」と付け加えられました。
「天に続く道?」と、よく理解できないまま、とりあえず行ってみることにしました。自転車で道を下っていきながら、『天に続く道』について思いを巡らせました。なぜかその時僕は、かぐや姫が月に帰っていくところをイメージしてしまって、「そんな道、あったかぁ」と思っていました。
一宮神社の辺りまで来た時に、道路の横の小さな畑で、おばあさんが農作業をされていたので、尋ねてみることにしました。
僕:「この辺りに、お地蔵さんがあるって聞いたんですけど。」 おばあさん:「あぁ〜、一本檜のかい?」 僕:(ヒノキ?一本檜って聞いたことないなぁ)←杉か松の間違いだと思っている・・・「そんな感じのです。」おばあさん:「向こうに見えるガードレールの所から、まっすぐ上っていったら、じき分かる。」
というふうに教えてもらって、田んぼの中の道をガタガタと自転車で行きました。
田んぼを渡って、ガードレールの近くになると舗装した道になり、上り坂が始まりました。立ち漕ぎで自転車に乗っていたのですが、苦しくなってきて自転車から降りました。そして、何気なく後ろを振り返ったら、道を教えてくれたおばあさんが、突っ立ったままでこっちを見ていました。「ちゃんと行けるか見てくれてたんかなぁ。」と思って、「ありがとう。道、分かりましたから。」という意味を込めて手を振りました。すると、おばあさんも手を振り返してくれました。なんだか良い気持ちになって、心が軽やかになりました。
野焼きの済んだ、圃場整備された棚田(?)の間を、自転車を押して坂を上っていきました。上りながら、辺りを見回して『天に続く道』について考えてみましたが、思い当たる節も無く、「ちょっと大袈裟じゃないの、塩見さん。」などと思っていました。
しばらく上ったときに、ふと、さっきのおばあさんの事が気になって後ろを振り返ってみました。すると、なんと!!おばあさん、さっきのままで突っ立っているではありませんか。とっさに手を振りました。おばあさんもすぐに手を振り返してくれました。嬉しくなって楽しくなって、頭の中が真っ白になって(顔はにやけてたと思う)、ふわふわした感じになってしまい、そこからお地蔵さんに着くまでの記憶が無いんですよね。
お地蔵さんの横に腰を下ろして、風に吹かれながら(風の通り道のような所です)、さっきの出来事を思い出してみました。その場所からは、塚の陰になって、おばあさんは見えませんでした。だから余計に白昼夢のように思え、現実感が無くて、だけど幸福感に包まれているような感じがして、「ある意味『天に続く道』だったなぁ」と、笑ってしまいました。こんな出来事にめぐり合えたのも、お地蔵さんのおかげかなと思い、手を合わせておきました。
お地蔵さんから帰るときに、おばあさんの姿を確認しに行きました。すると、老人とは思えない軽い身のこなしで農作業をされていました。「あのおばあさんは、ただものではない。」
ヌックさんのプロフィール:綾部生まれの綾部育ち。高校卒業後、各地を放浪する。現在、帰郷中。今後の予定、未定。※市街地からシンプルな自転車で里山ねっとへ何度も訪ねてくれるヌックさん。「天に続く道」は僕が勝手につけた名前ですが、赤毛のアンなら、何て名前をつけるでしょう?里山ねっとの「他火研究所」では、小さな旅を応援するページです。アンの素敵な言葉を載せています。ヌックさんの第3弾のエッセイは三坂峠編です。これまたお楽しみに!


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57●ヨモギのばんそうこう
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ある朝、新聞を読んでいたら、「ヨモギのばんそうこう」という文字が目に飛び込んできました。今春、小学生になったお子さんを持つ九州のお母さんの投稿です。その内容をご紹介しましょう。
いつもと違い、元気なく、とぼとぼ歩きながら、女の子は帰宅しました。今にも泣き出しそうです。お母さんが「どうしたの?」と尋ねると、学校の帰り、下り坂を走っていたら、転んで、両手、両ひざをひどくすりむきました。消毒をし、薬をつけ、ばんそうこうを張るとようやく笑顔になりました。
女の子はお母さんにこう言いました。「でもね、ママ。2年生のお姉ちゃんがヨモギの葉っぱをこすって、つけてくれたんだよ。それで血が止まったよ」
お母さんはびっくりしました。
そういえば、ヨモギの葉には殺菌作用があると以前聞いたことをお母さんは思い出しました。保健の先生もいない帰り道、地域の2年生のお姉ちゃんがヨモギの葉を探し、小さな手でその葉をこすり、傷口につけてくれました。それは最高のばんそうこうとなり、傷の痛み、心の痛みをどんな薬よりもいやしてくれました。
都会育ちのお母さんには田舎の生活にはなじみにくいところもあったようです。しかし、この出来事で田舎ならではの素晴らしさ、そこで育つ子どもの純朴で、豊かな心を教えられたと結んでありました。
ヨモギのばんそうこう。なんて素敵な薬でしょう!これって、里山力(さとやまりょく)だなと思いました。
転んだ子もきっといつか幼い子に同じように処方してくれるでしょう。「里山のチカラ」を使いこなす小学生がいっぱいいる町。私の21世紀のビジョンが1つクリアになってきました。(文責●塩見直紀)


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58●養い水の話(井上八千代さん)
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水田の小さかった苗もどんどんたくましくなっています。今回のメッセージは「養い水」について。昨夏、あやべ田舎暮らし初級ツアーの参加者の民泊を受入れてくださった井上八千代さんのエッセイです。農学部卒の若い宿泊者に「田を育てる水はどこからくるのですか?」とたずねられ、「行ってみましょう!」と源流まで一緒に行かれました。「養い水」のことを話されたところ、大変感銘を受けられたそうです。この2泊3日の田舎での体感と養い水の話はきっといつまでも生き続けることと思います。私も「養い水」という言葉を初めて聞きました。後世に語り継ぎたい「農の哲学」だったので、井上さんに昨秋、書いていただいたエッセイです。
養い水の話  文●井上八千代(小畑町在住)
実りの季節となり、見渡す限りの田んぼは深く頭を垂れる。このようになるまでには作り手側のなみなみならぬ苦労があるわけです。
箱の中に種もみをまき、種苗を育てるわけですが、田ごしらえとなると池の水をもらってなみなみと張って荒田づくりをし、代かきをして植え付けていくわけです。植え付けた当座は苗が小さいのでこれでうまく育つだろうかと心配いたしますが、1週間か10日もすると稲苗の生命力とは大したもので、根をしっかりはって大地に根付いていきます。空山が頼りの大小の池があってその池から養い水を引くわけです。
田の水が乾いてくると池の水番さんに頼んで他の人とかち合わないように自分の田に、水を入れて養っていきます。それでも適当に雨が降って池の水がなんとかまかなえるようであれば結構なのですが、不足してくると、たちまち田は干(ひ)割れするし、池の水はないしで、散々な目にあうわけです。
いよいよ困った時は雨ごいを村人たちが神社に集って行います。辛抱しきれないので、するわけですから、たまには雨が降ることもあり、また頼みがいのない神様をうらめしく思うこともあります。水の取り合いのけんかも少々あります。それでも大雨が降るとそのけんかも自然消滅されます。 水とは不思議なものですね。水は命の源と言っても過言ではありません。水道の栓をひねると出る水は当り前のように思っていますが、水なしでは生きていけないことに気づき、水に感謝しながら今後も使わせていただきたいと思います。
※里山ねっとがある豊里西地域には、ため池が30以上あります。水の少ない地域だったのでしょう。お米をつくる人は、作付面積に応じて、「水番(みずばん)」という役がまわってきます。お盆までの仕事ですが、水番は朝7時頃から、地域の田を見回り、水の少ない田に配水したり、日照りが続くとため池の栓を抜き、配水します。先日、今年2回目の当番をしていたら、養い水の話を思い出しました。「養い水」とは、すてきな言葉、すてきな考え方ですね!(塩見直紀)


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59● 草という資源
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里山ねっとの総会が近づき、学校周辺の草刈りをおこないました。新しい草刈り機はびゅんびゅん切れ、急傾斜地も楽しい作業ができました。それにしても草は元気です。
早朝、軽トラ4台分の草を学校横の空地に持っていき、積んでおこうとしたら、朝飯前の農作業をされている地元の方が、「草も肥料になるから、田んぼの岸にでも積んでおいて、あとで田に入れたら」とアドバイスしてくれました。
よく見るとその方は畑の畝と畝の間に刈った草を敷きつめ、草が生えないように利用し、収穫が終わったら、耕耘機で畑を起こし、土を肥やすとのことでした。
学校に生えた草だったので、草といえども私益化するのは少し迷いました。以前、村役で堤防の草刈り作業に出役した際、大量の草を欲する酪農家がいたことを覚えていたからです。
昔は学校から出た草も「公の資源」とし、利用されたことでしょう。いまはもうそんな時代でなくなり、草は積まれ、野で焼かれてしまいます。「燃やすには惜しい肥料だよ」と地元の方は言いました。
悪者扱いしがちな草も「肥料だよ」という声に、やはり里山ねっとはこうでなきゃと、我が家の田んぼに運びました。
我が家の田んぼは無化学肥料栽培。収奪(お米)と恩返し(わら、糠、草、葉っぱなど)の比はアンバランスです。田へ何を返しているだろうと考えると、刈り取った稲わらなど、数えるほどの量です。
いま、この地でも休耕田が多く、カヤなどの草が大きく伸びているところも多いです。伸び放題のカヤですが、田に入れたらいいだろうなあといつも思います。見方を変えれば、それらは貴重な自然資源で、化学肥料の代替物になります。
なかなか他の地の草は刈れませんが、学校の草はこれから、私益化します!草資源の私益化をお許しください!(文責●塩見直紀)


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60●導かれて綾部へ2 クリスマスに綾部に引っ越してきました!(山中)
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※このコーナーでは週一回、里山ねっと・あやべからのメッセージをお送りします。
ぜひご意見をお聞かせください。(事務局 塩見直紀)


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