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        <title>Weekly Message</title>
        <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/</link>
        <description>21世紀の生き方、暮らし方についてのメッセージ</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Tue, 24 Aug 2010 16:40:46 +0900</lastBuildDate>
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            <title>お陰さまで道標の拓本をとりました</title>
            <description><![CDATA[<p>7月20日に綾部市と舞鶴市をまたぐ登尾峠にある石碑の拓本をとる会がありました。</p>
<p><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/6j7tlgjwvHc?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/6j7tlgjwvHc?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></embed></object></p>
<p>この拓本は綾部市内各地の石碑のものと合わせて、9月25日～27日にアスパBホールで行われるパネル・写真展＜不思議の国・志賀の里へようこそ＞で展示される予定で、この夏に里山ねっとで受け入れる大学生の合宿で峠を越える予定もあるので、下見も兼ねて参加してきました。志賀郷の九つの峠を歩いて調べる会さんで看板を立てられたり、道が整備されていたので、お陰さまで昨年学生と登った時よりも通行しやすくなっていました。</p>

<p>普段土器などで同種の作業をやられている綾部資料館の三好博喜さんにお手本をとっていただき、事前にお墓で練習して来られた<a href="http://fv-ayabe.jp/shiga/category/%E5%A5%A5%E5%B1%B1%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E4%BC%9A%E6%B4%BB%E5%8B%95%E8%A8%98%E9%8C%B2/">志賀郷に桜を育てる会</a>の広沢副会長、<a href="http://fv-ayabe.jp/shiga/2010/04/26/%e5%bf%97%e8%b3%80%e9%83%b7%e3%81%ae%e4%b9%9d%e3%81%a4%e3%81%ae%e5%b3%a0%e3%82%92%e6%ad%a9%e3%81%84%e3%81%a6%e8%aa%bf%e3%81%b9%e3%82%8b%e4%bc%9a%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/">志賀郷の九つの峠を歩いて調べる会</a>の倉橋会長で合計3枚とりました。</p>

<p>早朝に出発したときに停車した車は、下山した時にはすっかり日に当たり熱くなっていました。この日は、大暑を前にとても暑い日でしたが、峠道はもちろんのこと石碑のある尾根も木陰のおかげで、下界の暑さを知らずに半日を過ごしました。文字通りお陰様でした。</p>

<hr />

<p>拓本を取っている間、中国の「楓橋夜泊」の拓本を家に飾っているという話から、みやげ物の拓本は色が濃い、拓本にすることを考えると石碑を作るのは大事だという話を聞きながら、「one-off」という言葉が思い出せずネット検索した（入山口は電波が届かないが、山頂付近はアンテナ3本）。「ワンオフ」で検索すると、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%95">wikipedia</a>にあるように、和製英語として手作りや一品物という意味で、高級なイメージの言葉です。一方「one-off」で調べますと、そもそもの語源は、金型を作る仕事からきているのですが、和製英語の「ワンオフ」がもつイメージとは違っていました。(<a href="http://en.wiktionary.org/wiki/one-off">one-off/wiktionary</a>)</p>

<p>英語で「one-off」とは「一回限り」の意味で、再利用可能な金型を作るのは高価であるために、やっつけで作る(?)ようなことを指し、どちらかというと低級なイメージの言葉です。普段から金型や石碑をつくるように、後々の人が便利になるよう、丁寧な仕事ができればなあと考えて、そういうのをうまく表現する言葉がないかと思ったのですが、間違った意味で覚えていました。</p>

<p><a href="http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&biw=1280&bih=642&tbs=isch:1&sa=1&q=%E9%81%93%E6%A8%99&aq=f&aqi=g1g-m1&aql=&oq=&gs_rfai=">google 画像検索で「道標」と検索</a>すると石碑が多く出てきますが、<a href="http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&biw=1280&bih=642&tbs=isch:1&sa=1&q=europe+signpost&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=">「europe signpost」と検索</a>すると石碑は出てきません(<a href="#note1">*1</a>)。ヨーロッパの古い道標はほとんど木製でしょうか。one-offの仕事と言えるかもしれません。一方で日本の古の人たちは、山奥まで重たい石を担ぎ、後々の人の為に丁寧な仕事をしてきたんだと思うと、使われなくなった多くの峠に残る多くの石碑達に思いが募ります。お陰様です。（マエダ）</p>

<p><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="600" height="400" flashvars="host=picasaweb.google.com&hl=ja&feat=flashalbum&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2Fmaedayoshinori%2Falbumid%2F5499505754706350033%3Falt%3Drss%26kind%3Dphoto%26hl%3Dja" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></p>
<hr />
<p><a name="note1">*1</a>検索結果は変化します。ヨーロッパに石碑が全くないことを示すものではありません。</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/08/post-58.html</link>
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            <pubDate>Tue, 24 Aug 2010 16:40:46 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>甘くて苦い諦めを越えるには（Weekly Message 2010.8.7）</title>
            <description><![CDATA[<p>晴れた日の夕方、急に驟雨が来て虹がかかる。</p>
<p>そのような時に限ってカメラを持っていない。</p>
<p>大切な瞬間を記録することができず、なすすべなく立ち尽くしていると、</p>
<p>鈍感な人間でも、胸がかきむしられるような思いがするものです。</p>
<p>あるいは銀色に輝く雪の朝や、夢のような茜色に染まった夕焼け。</p>
<p>しかし仕事で急いでいるので、自動車を止めることもできず走り続ける。</p>
<p>永遠に記憶にとどめ、保存したい情景に限って、一瞬で失われ、二度と帰らない。</p>
<p>ああ、これは二度と見られないなあという「甘くて苦い諦め」です。</p>
<p>老人の昔話を聞くときもそうです。</p>
<p>ちょっとした畑仕事のこつや、伝統料理の以外な作り方。</p>
<p>昔の祭りのエピソードや、その老人だけが覚えているような民謡。</p>
<p>そのような話を聞いているとそれを全て記録して保存したいのですが、</p>
<p>そういうときに限って、レコーダーを持っていない。</p>
<p>あるいは持っていても、却って話の流れに水をさすような気がして、迷いが生じて出せない。</p>
<p>話自体はすばらしいのに、聞いている側にはビターな悔恨。</p>
<p>甘美な諦めなどとは言っていられない、胸がかきむしられるような瞬間です。</p>
<p>一体いままでどれだけの貴重な昔語りを、右から左へ、宙に消えるままにしてきたことか。</p>
<p>一方で、偶然にうまく行く時もあります。</p>
<p>何気なくカメラを回して静止させていたらその前を鳥が横切るとか、</p>
<p>撮影済みの映像にBGMをかぶせたら偶然、</p>
<p>場面転換とぴったり合った転調や変奏、展開部と重なるとか。</p>
<p>このように意図しない僥倖もあれば悔恨もあります。</p>
<p>それは世の常というか、表裏一体の事柄かもしれません。</p>
<p>そこを何とか、悔恨だけはないようにしたいのですが。</p>
<p>極端な考えは、世界の全ての情報を保存できるビデオカメラのようなもので、</p>
<p>それをハードディスクにためていくようなことですが、</p>
<p>いったい何バイトあったらいいのか想像もつきません。</p>
<p>とあえずカメラやレコーダーを常時携行しよう、そして</p>
<p>遠慮やためらいに打ち勝ってそれを使おうという月並みな結論でしょうか。</p>
<p>二度と帰らない風景や記憶をかたちにとどめること。</p>
<p>永遠の課題です。（あさくら）</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/08/weekly-message-201087.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/08/weekly-message-201087.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sat, 07 Aug 2010 16:54:43 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>フツーと普通</title>
            <description><![CDATA[<p>NHKのバラエティー番組「みんなでニホンGO！」という番組を見ていると、最近「普通」の価値が上がっているとの事。若者の間で使われる「フツーにかわいい」「フツーにおいしい」という表現は、「フツーに」という副詞をつけない時よりも、「かわいい」や「おいしい」を強調しているようである。人によっては、「チョーかわいい」よりも「フツーにかわいい」ほうが、よりかわいいニュアンスで受け取るようだ。</p>

<p>「普通に行く」「普通に話す」など「普通に」は動詞を修飾しても、「かわいい」とか「おいしい」など形容詞を修飾するのはイレギュラーな使い方と感じていたが、現代ではそれぞれの「普通」の意味が異なってきているのだろう。</p>

<p>形容詞を修飾する「普通に」を最初に目にしたのは「<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380952525/satoyamanetay-22/ref=nosim">大衆食堂の研究</a>」著者の遠藤哲夫氏が書いた数年前の記事である。</p>

<blockquote>「大衆」なる言葉がつくだけで、「貧乏種」「愚民種」にみられ嫌われたりすることもある。しかし、大衆食堂でめしくう人たちは「おれたち大衆だよ、文句あるか」ってなものだ。そして、「大衆食堂ってのはね、普通にうまければいいのだよ、特別にうまい必要はないのさ」と言ったりしている。私は、「普通にうまい」と「特別にうまい」を分けるセンスに「なるほど」と感心したのだが、ある大衆食堂のオヤジも、同じようなことを言った。「うちにはうまいものなんかないよ、うちの家族が食べているのとおなじ普通のものを出しているだけだよ、うまいものが食べたければよそへ行ってよ」などと。取材を申し込むと、「いやあ、うちは普通のものしか作ってないからねえ」という答えが返る例は少なからずある。この「普通」って言葉は、「スタンダード」とも置き換えられそうだし、大衆食堂や大衆食を語るとき、とても便利のように思う。そもそも私が大衆食堂に、めしをくう以上の関心を持ったのは、その普通の料理、普通のメニューである。（<a href="http://www.shiojigyo.com/en/backnumber/0401/main2.cfm">大衆食と普通にうまい</a>）</blockquote>

<p>ここでは現代使われているような「フツー」ではなく、「特別」の対として使われているものの、「<q>最後に、大衆食を支えてきた貧乏人が「普通にうまければいい」というのは謙遜である。</q>」とあるように、彼らにとって「普通にうまい」は「超うまい」よりも「うまい」のかもしれない。</p>

<p>「普通」の価値が上がっているというNHKの番組の推論を借りると、「普通の食材」や「普通の調味料」などの価値は現代において上昇していて、里山ねっとが食堂で提供している食事は「普通にうまい」と言っていいのかもしれません。</p>

<p>先週のトヨサト食堂は、戦前から大衆食堂の定番に君臨するカレーでした。こだわりの特別なカレーでしたが、フツーにうまかったでしょ？好評、完売のためスタッフの分は無かったので、残念ながら食べれませんでした。（マエダ）</p> ]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/07/post-57.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/07/post-57.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 07 Jul 2010 21:37:24 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>蚕</title>
            <description><![CDATA[<p>6月12日と19日に里山ねっとで行われる<a href="http://www.satoyama.gr.jp/topix/2010/04/612619.html">イチオシカフェ「蚕都あやべ・桑と繭で遊ぼう！」</a>を主催されるNPO法人綾部ベンチャー・ものづくりの会さんに100匹分けていただき飼育し始めました。(<a href="#*1">飼育記録(*1)</a>)</p>

<p>飼育方法などを教えていただくなかで、蚕は自然界に存在しないと初めて知りました。天の虫と書いて蚕ですから、天然のものだと思っていましたが、野に放しても自然界では生きる事ができず、成虫になっても飛ぶこともできないそうです。</p>

<p>久しぶりに見た蚕に最初は気持ち悪かったのですが、世話してると愛着もわき、繭を作り始めるのを眺めていると時間を忘れることもあり、夢にも出てきました。部屋中が繭だらけになって、体中に絹糸がまとわりついているところで目が覚めました。</p>

<p>中国では5000年の歴史があるらしく(<a href="#*2">*2</a>)、古事記や日本書紀の記述ではは<q>7世紀の段階で養蚕が既に当時の日本国家にとって重要な産業になって(<a href="#*2">*2</a>)</q>おり、<q>カイコから糸を紡ぐ技術は、稲作などと相前後して伝わってきたと言われている(<a href="#*2">*2</a>)</q>。</p>

<p>昨年の今頃は鳥インフルエンザ、今年は口蹄疫が深刻な問題となり、農体験を行っている里山ねっとも予定が中止になるなど無関係ではいられませんでした。</p>

<p>5000年の歴史の中で、養蚕も深刻な問題を乗り越えてきたのだろうな思いました。（マエダ）</p>

<ul>
<li id="*1">(*1)飼育記録<a href="http://fv-ayabe.jp/lfn/2010/05/27/%e8%9a%95%e3%81%8c%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%8d%e3%81%9f/">1</a>,<a href="http://fv-ayabe.jp/lfn/2010/05/30/363/">2</a>,<a href="http://fv-ayabe.jp/lfn/2010/05/31/369/">3</a>,<a href="http://fv-ayabe.jp/lfn/2010/06/04/%e7%b9%ad%e3%82%92%e4%bd%9c%e3%82%8a%e5%a7%8b%e3%82%81%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81/">4</a>,<a href="http://fv-ayabe.jp/lfn/2010/06/07/%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%ef%bc%91%e9%a0%ad/">5</a>
</li>
<li id="*2">(*2)<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/蚕">wikipedia</a></li>
</ul>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/06/post-56.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/06/post-56.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 08 Jun 2010 23:14:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>意図せざる結果を意図すること（Weekly Message 2010.5.25）</title>
            <description><![CDATA[<p>瓢箪から駒を狙う。</p>
<p>「瓢箪から駒」というのは、狙っていないことが起きることですから、瓢箪から駒を狙うというのは形容矛盾にも思えます。</p>
<p>しかし瓢箪から駒ということはあるなあ、と思いました。</p>
<p>MBC（南日本放送）が制作したテレビ番組のDVD「やねだん～人口300人、ボーナスが出る集落～」を見たのです。<br /><a href="http://www.mbc.co.jp/tv/yanedan/">http://www.mbc.co.jp/tv/yanedan/</a></p>
<p>鹿屋市柳谷（やねだん）地区は豊重哲郎さんをリーダーとして地域再生にいどみます。</p>
<p>「柳谷集落がめざしたのは「行政に頼らない地域再生」。集落総参加で労力や経験を提供しあい、土着菌を使った土作りやオリジナル焼酎づくりなど、独自の商品開発で自主財源を増やしたほか、住民の工夫で福祉や教育も自ら充実させていった。そして自主財源はみるみる増え、すべての世帯にボーナスが配られるほどになる。その画期的な取り組みから、柳谷集落の愛称「やねだん」は、次第に全国に知られるように・・・。」<br />（上記MBCのWEBより）</p>
<p>これはもちろん画期的なことですが一番うえで瓢箪から駒と書いたことについて、自主財源が増えたこと自体は目的に含まれていたはずなので、注目したいのはむしろアーティストを呼んだことですね。</p>
<p>空家を「迎賓館」に改造し、全国から「アーチスト」を公募する。</p>
<p>そして実際、全国から画家や写真家が集まってくる。</p>
<p>なぜ「アーチスト」たちを招いたか。</p>
<p>番組のなかで語られているのは、文化が大切ということです。</p>
<p>しかしDVDをみてみるとわかりますが、「アーチスト」たちが果たしている役割は単に文化水準を高めるとか教養をつけるといったことではない。</p>
<p>地域再生に不可欠な「シンボル作り」「アーカイヴ記録」「広報係」といった本質的な機能を果たしているのです。</p>
<p>画家が、村の施設や特産品のために、太陽をかたどったシンボルマークをつくる。</p>
<p>写真家が、村人たちの一番いい笑顔を撮影して記録していく。</p>
<p>シンボルマークや写真は複製可能ですから、焼酎や土着菌とあいまって、やねだんの表象が村の外へどんどん広まっていく。</p>
<p>このうえにビデオジャーナリストがいたら最高ですが、その役割はMBCの「やねだん～人口300人、ボーナスが出る集落～」制作スタッフが果たしてくれました。</p>
<p>このようにして、「アーチスト」たちは創造・記録・広報という機能を果たしていく。それがDVDを見ていると如実にわかりました。</p>
<p>このように文化という当初の目的を超えて、実質的な「機能」を果たしていくことを瓢箪から駒と書いてきたわけですが、実は最初からそれを狙っていたのかも。</p>
<p>だとしたらすみませんでした、となります。釈迦の掌といったところでしょうか。</p>
<p>「やねだん」では村内放送にも力を入れているでしょう。情報の持つ力を大切にしているのだなあということがわかります。</p>
<p>徳島県上勝町で起きたことも同じような好循環の事例かと思います。</p>
<p>葉っぱを特産品にする。</p>
<p>すると高齢者の知識が活かされ、活躍の場ができる。</p>
<p>葉の受注FAXのために通信網が整備され、地域のコミュニケーションの可能性も高める。</p>
<p>お金に余裕ができる。</p>
<p>高齢者が元気なので医療費や介護費がかからなくなる。</p>
<p>そしてますますお金に余裕ができる。</p>
<p>若者も戻ってくる。</p>
<p>細部で違いがあるかもしれませんが、好循環の連鎖ということは確かかと思います。</p>
<p>当事者にとっても予想以上だった波及効果もありうることでしょうが、そうした波及効果の発生を含めて、狙っていく。</p>
<p>瓢箪と馬とどちらが大きいですか。</p>
<p>どう考えても馬のほうが瓢箪より大きいでしょう。</p>
<p>でも小さなもののなかに無限に大きな可能性が詰まっているいう意味では、十分にありうること。</p>
<p>ここでの瓢箪から駒の意味は、波及効果は大きいなあということです。想定外のことが起きるというより、雪だるま式に因果関係がふくらむということですね。</p>
<p>やはり瓢箪を放置しない、瓢箪を振ってみることだなあと。そんな結論でした。</p>
<p>（あさくら）</p>
<p>里山ねっと・あやべ 設立10周年記念シンポジウムのゲストはこの「やねだん」地区の豊重哲郎さんです<br /><a href="http://www.satoyama.gr.jp/topix/2010/05/-102010620.html">http://www.satoyama.gr.jp/topix/2010/05/-102010620.html</a></p><p><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/LpkoZIzkiuw&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/LpkoZIzkiuw&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></embed></object></p><p><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/ae4jwmiOpw4&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/ae4jwmiOpw4&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></embed></object></p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/05/post-55.html</link>
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            <pubDate>Mon, 24 May 2010 17:32:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>シジュウカラ</title>
            <description><![CDATA[<p>里山ねっとのそば塾で常連の大工さんから鳥の巣箱をプレゼントしていただきました。春先に松の木に設置してから、音沙汰ありませんでしたが、スズメやツバメなんかの鳴き声がにぎやかになってきた近頃、小鳥が巣箱の近くで歌っていました。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/IP_b_5F3es4&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/IP_b_5F3es4&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>巣箱は里山ねっとのトイレの近くにあるので、最近はうれしいもんだからトイレ行くたびに巣箱を見ています。でもあんまりじろじろ見てると、これからの出産に悪影響を与えないかと自問し、遠くから見ています。ビデオも遠くから望遠でとっているので、手ぶれがひどい。1分30秒くらいから著しく手が疲れて手ぶれが激しくなる。里山ねっとによくボランティア活動に来ていただいている植田さんに聞いたところシジュウカラとの事。</p>

<blockquote>1970年代に、イギリスで人家に配達された牛乳ビンの蓋が、勝手に開けられるという騒ぎが起こった。原因を調べると、シジュウカラの一種が嘴で紙製の蓋を破っていることが発覚した。この地方では、それまでも同じような牛乳配達が行われていたが、そのような被害はなかった。しかも、この時の被害が、一羽の鳥によるものではなかったことから、恐らくある一羽がその方法を発見し、他の個体がそれを見てまねたものと考えられる。つまり模倣によって、新しい行動が伝搬したものと考えられる。その後に牛乳ビンが金属の蓋に変わって、それ以降は同様な被害は消えたと言う。(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96_(%E5%8B%95%E7%89%A9)#.E3.82.B7.E3.82.B8.E3.83.A5.E3.82.A6.E3.82.AB.E3.83.A9.E3.81.AE.E7.89.9B.E4.B9.B3.E3.83.93.E3.83.B3.E9.96.8B.E3.81.91">文化(動物)-wikipedia</a>)</blockquote>

<p>そういえば子供のころに紙の牛乳キャップを集めていましたが、検索してみますと現在も収集されている方がいらっしゃるようです（<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/wakayamaramen">参考</a>）。まだ紙キャップの牛乳が配達されているところがあったら、イギリスのシジュウカラに教えてやりたい気分です。(マエダ)</p>

<p><a href="http://picasaweb.google.co.jp/lh/photo/8-O6W7RcGAKnq7Bb16vfVAjzG02FUGzCA-k0dL9ikts?feat=embedwebsite"><img src="http://lh3.ggpht.com/_RDewoPFR-44/S_XsLHjVXMI/AAAAAAAAAM0/E-ptBwuZ5jY/s400/SANY0031.JPG" /></a></p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/05/post-54.html</link>
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            <pubDate>Sat, 22 May 2010 21:55:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>個別の目的なく村をまわるのが目的（Weekly Message 2010.5.8）</title>
            <description><![CDATA[<p>村でイベントを実現するには色々な情報交換や打ち合わせが必要です。</p>
<p>ただ関係者がいつでも思い通りに一堂に会して打合せを重ねるということは難しい。</p>
<p>村の皆さんと、個別にでも情報交換をしてまとめていかねばなりません。</p>
<p>地元のかたと会う方法のひとつは、主催者が地元の皆さんと「何時にどこで」と約束をとってお会いすることです。</p>
<p>もうひとつは、あたかも散歩しているかのように村をまわることです。</p>
<p>もちろん何時にどこにいけば誰々さんがいるはずだから......と緻密に因果関係を整理し、それに沿って行動したほうが細かい意味では確実です。</p>
<p>しかしとりあえず村をまわろうという感じで行動してみても、案外会えます。</p>
<p>これは個別の因果関係というより、会えるかもしれない潜在的確率を高めているのです。</p>
<p>何もしなければ確率はゼロですので。</p>
<p>一見あてどないかのように村をまわってみることで、<br />「忘れていたことを思い出した」<br />「明確に認識していなかったことを明確に認識した」<br />「会って相談せねばと思っていたひとが道端で仕事をしていた」<br />「意外な状況変化に気づいた」<br />などのことが起きます。</p>
<p>世界の因果律は自分の認識している因果関係より大きい。</p>
<p>したがって、因果関係を予測して行動することは必要ですが、自分の感知している因果関係より大きな因果律に実を委ねてみるようなことも必要なわけです。</p>
<p>「いそがばまわれ」の農村における意味は以上のようなことです。と勝手に定義しておきましょう。</p>
<p>まっすぐ最短距離で通勤することも必要ですが、あてどないかのように蛇行しながら通勤したりしてみると、道端で話しがまとまったりする。</p>
<p>もちろんこれで充分ということは常にありません。</p>
<p>やりとりの充分にできていないケースは申しわけありません。</p>
<p>私たちはいつも色々なことに頭を占領されています。でも空に伸びるアンテナのように、土にのびる根のように、色々なことにきづくようになりたいとは考えているのです。ご指導よろしくお願いします。（あさくら）</p><hr/>
<p>下は、本文とは直接関係ありませんが、農家のこせがれネットワークさんのこせがれ応援ソングです。</p>
<p><object width="560" height="340"><embed height="340" type="application/x-shockwave-flash" width="560" src="http://www.youtube-nocookie.com/v/w1_ySX1eI4s&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object></p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/05/weekly-message-201058.html</link>
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            <pubDate>Sat, 08 May 2010 00:40:56 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>職業としてのNPO</title>
            <description><![CDATA[<blockquote>善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これらのことは古代のキリスト教徒でも非常に良く知っていた。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。（中略）およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時も忘れてはならない」(マックスウェーバー『職業としての政治』～1919年の学生に対する演説)</blockquote>

<p>過程よりも結果が求められる政治家において、高貴さや清潔さといったものが必要と説くウェーバーにとって、そのパラドックスは大きな問題だったのだろう。</p>

<p>職業政治家がいつ頃からいたのか分からないが、ごく近年になって生まれたであろうNPO職員という職業につけていることは、貴重なことだと思う。</p>

<p>ウェーバーの言うパラドクスの存在は、何も政治家のみならず、NPO職員、すべての職業にも当てはまるのは、「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは真実ではない」ことが、「人間の行為にとって」とウェーバー言っているように、現在企業にも強い倫理感が求められる以上、すべての人が忘れてはならないことだと思う。</p>

<p>いまだにNPOとボランティアが同じように語られる事がありますが、職業としてNPOがある以上は、ボランティアという善が必ずしも善をもたらすとは限らない。(マエダ)</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/04/npo.html</link>
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            <pubDate>Tue, 20 Apr 2010 23:42:49 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>廃墟に惹かれるとしたらそれはなぜか（Weekly Message 2010.4.13）</title>
            <description><![CDATA[<p>NHKテレビの「クローズアップ現代」で、「廃墟」を特集していました。</p>
<p>軍艦島を典型例とする「廃墟」に人々が惹かれているそうです。</p>
<p>廃墟めぐりをして映像を記録し、WEBサイトにアーカイヴしていく若者たちのグループ。</p>
<p>廃墟めぐりをするなかで知り合って結婚するという人もいました。</p>
<p>長いですが番組のアブストラクトをそのまま引用してしまいます。<br /><a href="http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2874">http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2874</a></p>
<p>《打ち捨てられた炭鉱跡、巨大な製鉄所、役目を終えた水力発電所など、いわゆる「廃虚」が今、新たな観光地として、若者を中心にブームとなっている。中でも、去年４月に一般公開された長崎市にある端島（はしま）・通称「軍艦島」は、１年間に７万人が訪れ、１５億円の経済効果が上がっている。しかし一方、歴史がさほど古くないものは文化財としての評価が難しく、保存は容易ではない。朽ち果て安全性に問題を抱えるものも多い。欧米では、「近い歴史を学ぶことは未来を生きるヒントを得ることだ」と考えられており、「廃虚」を公害など負の遺産も含めて残し、教育や地域の活性化に利用している。番組では、今、脚光をあびる「廃虚」が語りかけるメッセージと、その利用の課題を探る。》</p>
<p>日本では公害など都合のよくないことは「水に流す」「お茶を濁す」という傾向が強くて、公害の象徴を解体してしまって記憶を残さない傾向も強いです。</p>
<p>公害や資源の枯渇のことを考えると、単に工場萌えとも言っていられないかもしれません。</p>
<p>産業革命以降の資源消費や人口増大は人類史のなかでも決定的に突出した目立つ現象で、現在も人はとどまるところを知らない産業化のただなかにいて、出口を知らないわけです。</p>
<p>産業革命以降の経済は石炭や石油、金属など枯渇性の資源に裏打ちされていて、永続可能な経済とは言いがたい。</p>
<p>その意味で産業遺産は永続不可能な社会と関係あるものなので、「猿の惑星」において自由の女神を見て衝撃を受けるのと一緒のような要素があるのかもしれません。</p>
<p>すると、特段、典型的な公害とは無関係のようなものであっても、産業遺産は永続不可能な社会に生きる我々自身に対して、普段隠蔽している都合のよくないことをつきつけるような面を持っているのかもしれない。</p>
<p>「千と千尋の神隠し」でも或る場面でものすごいごみだらけのどぶ川が出てきてドキッとしたことがありました。</p>
<p>ともかく「水に流す」のではなく記録として残す。外交文書にしても何にしても記録を保存するということ自体根付いていない国では、上記の「近い歴史を学ぶことは未来を生きるヒントを得ること」というのは銘記したいことです。</p>
<p>綾部里山交流大学の講師では飯笹佐代子さん（2007年講師）が産業遺産とその活用事例について話してくださいました。</p>
<p>産業遺産のほか、近代化遺産という言い方もあるのですが、何となく綺麗なので、やはり廃墟というのが心象風景にはマッチします。</p>
<p>産業考古学というのもあります。</p>
<p>近代以降の産業遺産に関する考古学（アルケオロジー）といったところでしょうか。</p>
<p>考古学の対象は何ですかといわれて通常おもい浮かべるのは、石器だったり古墳だったりするわけですが、ここでは工場だったり鉄道線路だったり倉庫だったり、産業革命ないしそれ以降の遺構が考古学の対象です。</p>
<p>今も産業化された社会ですから、産業化を過去のこととして考古学の対象としている場合ですかというような見方もありうるわけですが、産業遺産というのは現在でもあり過去でもあるような不思議な存在です。</p>
<p>考古学が案外アクティブな学であったりするようなのと同じ意味で、産業考古学もアクティブであると。</p>
<p>ここで大きく出ると、いま人はなぜ廃墟に惹かれているのか。</p>
<p>滅びゆくものの美学、わびさびみたいなことなのか。</p>
<p>「クローズアップ現代」でいっていたのは、そこに歴史が秘められているということがひとつ。</p>
<p>でも歴史が秘められているだけなら何にでも歴史は秘められています。仏像とか。</p>
<p>「クローズアップ現代」では、高度成長時代に育った団塊の世代と、安定成長の時代に育ちデフレの時代を生きる若者とでは感受性が違うのではないかということがコメントのなかで示唆されていました。</p>
<p>たしかに、縮み社会に生きる者が廃墟のなかに今の自分や将来の自分と相通じるもの、アナロジーを見出して共感しているというのはひとつの説明であるかもしれません。</p>
<p>ここではさらにもうひとつのことをいいたい。人気のある映画やアニメの類で、廃墟と化した世界、荒涼とした風景を舞台としたものが多いように思われることを参照してみましょう。</p>
<p>そこでは弱い少年が別人のように振舞ったりするわけです。</p>
<p>そこでは荒涼とした世界が逆説的に、人を自由にするような舞台装置として機能しているのかもしれない。</p>
<p>そのようなことからすると、まだこのような説明は直観的なものにとどまりますが、もしかすると人は廃墟に自由、ないし自由に通じるかもしれない何か、を見て取っているのではないか。</p>
<p>私の仮説は、現代社会は高度にシステム化されすぎていて、さらにそれが「縮み社会」化することによって、人々の精神を圧迫し続けている。部品や歯車として失敗なく機能し続けることが要求されているわけです。</p>
<p>それで潜在的には誰もが産業革命以降の経済システム化された社会に音［ね］を上げていて、みんな一度「なにもかも、おじゃん」にしたいと感じているのではないか、というようなことです。</p>
<p>産業化のなかで、橋や鉱山やビルは、現役でシステムに組み込まれていた時代もありました。</p>
<p>ところが現在は廃墟というのは、退役、お役御免になって、システムから免除されています。</p>
<p>そして野ざらしで雨に打たれている。役割のないのが役割、みたいな。</p>
<p>そこに降る雨は、いわば社会に降る雨でなくて宇宙に降る雨なわけです。</p>
<p>みんな社会に音を上げている。今は特にそうです。でもなかなかシステムの外には出られない。</p>
<p>人は社会の外、システムの外に憧れる存在である。</p>
<p>で、雨に打たれている橋や煙突を見ると、部品となることから解放された自由を見て取ると。</p>
<p>ただそれを観光名所にしはじめると、またシステムに組み込まれてしまうかも。</p>
<p>たとえば田舎暮らしや農業にシステムからの解放を見出しても、田舎暮らしや農業をするというのもそれはそれでシステムに組み込まれていく面があります。</p>
<p>そこがむずかしいところです。（あさくら）</p>
<hr>
<p>（参考）<br>
「「軍艦島は私たちの社会の未来の象徴だ。資源を使い果たしたら、私たちも地球を捨てることになるのだろうか」。島をつぶさに見たフランスの建築学校生、ポリンヌ・ル・バスさん（２２）（フランス・レンヌ市）はこう感じた。」「フランス国営テレビは昨年、島を取材。番組をまとめたＤＶＤでは、炭鉱閉山で「最先端の」軍艦島が衰退していった歴史を紹介したうえで、「日本の近代化を夢見てできた島。今までの世代は石炭、石油を使い果たしてきた。これからは先を見て変えていかなければならない。自分たちにとって本当に大事なものを見ていこう」といったコメントが添えられている。」（読売新聞2010年4月23日記事「廃虚・軍艦島に５万９０００人上陸...解禁１年」）</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/04/post-53.html</link>
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            <pubDate>Tue, 13 Apr 2010 21:33:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる。（Weekly Message 2010.3.28）</title>
            <description><![CDATA[<p>「思い、ですね。情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる。」</p>
<p>宮治勇輔さんの言葉を聞いて、参ったなーと、また思いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>綾部里山交流大学2010年３月講座「すべての人が社会起業家になる時代に向けて」。</p>
<p>宮治勇輔さんのクラスの講演後、質疑の時間でした。</p>
<p>その「立て板に水」のような講演力、プレゼン力はどうやって鍛えられたのかという質問が出ました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>答えは、</p>
<p>1.塾の講師経験があり訓練になったこと。</p>
<p>2.場数を踏んでいること。</p>
<p>3.思い。情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる。</p>
<p>でした。冒頭の「参ったなー」がこの3.です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>通常、「上手な話し方」のマニュアルのようなものがあるとすればそれは腹式呼吸であったり相手の目を見て話すであったり、</p>
<p>ともかく技術的なことです。</p>
<p>一方で塾の講師や場数は、技術というか、経験や訓練にかかわることです。</p>
<p>でも「情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる」には内容と全人格との一致があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問は講演力、プレゼン力に関するものでしたが、むしろ全人格が先なので、講演力、プレゼン力はあとからついてくるものなのだということが端なくも表現されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今一つな例えですが、火事のとき、火事だーと叫ぶのは発声の技術ではないですから。</p>
<p>生存闘争ですので、存在を賭けているわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>とにかく、「思いが口から吹き出してくる」には参った。</p>
<p>宮治さんの講演自体、「思いが口から吹き出してくる」ようなトークでした。</p>
<p>（あさくら）</p><p><img alt="綾部里山交流大学2010年３月講座「すべての人が社会起業家になる時代に向けて」" src="http://www.satoyama.gr.jp/topix/img/2010/201003/log/01.jpg" /><br />
  宮治勇輔さん </p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/weekly-message-2019328.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/weekly-message-2019328.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 28 Mar 2010 21:51:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>社会起業家に必要なもの</title>
            <description><![CDATA[<p><a href="http://www.castanet.co.jp/">株式会社カスタネット</a>が社会貢献活動の一つとして運営されている京都まちなか交流拠点「<a href="http://www.casta-kun.com/">カスタくんの町屋</a>」で行われた「社会企業家をめざす人たちの交流会」に参加しました。京都発の生き生きとした「ソーシャル・アントレ」のネットワークを生み出すことを目的に活動されてきた<a href="http://www.ksen.biz/">京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSEN)</a>の５年間の活動をまとめた本のお披露目もあり、KSENで活動されてきた方、カスタくんの町屋に常連の方、私と同じく初めて参加する方など大勢の方とお話しさせていただき、あっという間に4時間が経っていました。</p>

<p>帰路をご一緒させていただいた方からは、「又来なきゃダメ」と言われ、特急に乗って2時間かかること、週末が休みにくいなどと難しいことを言ってしまいました。帰ってから名刺を数えると20人ほどの方と交換していましたが、4時間とは言え単純に計算すると1人当たり10分しか話ができていないことになります。交流はその場が楽しいだけではもったいないので、難しくても又参加しなきゃと思いました。</p>

<p>綾部里山交流大学をスタートし「社会起業家」をテーマにした講座をもったのは、2007年でしたがそのころの「社会起業家」というキーワードの検索ボリュームはそれほどありませんでした。<a href="http://www.google.com/insights/search/">google insghts for search</a>で調べましても、2006年は「検索ボリュームが十分でないため結果を表示できません。」となってしまいますから、2004年から社会起業家を「これからの日本社会に新風を巻き起こす存在になると言う認識のもと」始まったKSENは先見性のある発足と言えます。</p>

<p>数ヶ月前と比べても今では「社会起業家」というキーワードの広告がずいぶん増えたと実感します。「社会起業家」に関する書籍や通信教育など。低い予算で広告を出してもほとんど掲載されません。社会起業家が注目される事は喜ばしいことだと思いますが、広告を出す側としましては、綾部里山交流大学の2泊3日で行われる社会起業家講座は、机の上だけでは学べない素晴らしい出会いや交流があると思います。（現在若干の空きあり！）</p>

<p>社会起業家の定義というものに定説はありませんが、J. Gregory Deesによる社会起業家の定義には次のようなものがあります（孫引きした<a href="http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis220/e_dis215b.pdf">内閣府に掲載のPDF</a>には他の定義も掲載されています）。</p>
<blockquote><ul><li>社会的価値を創出し維持すべきミッションを取り入れる（単に個人的な価値ではない）</li>
<li>ミッションに役立つ新しい機会を認識し絶えず追求する</li>
<li>継続的な改革、調整、学習の過程に自ら参加する</li>
<li>現在手持ちの資源に制約されること無く大胆に活動する</li>
<li>支持者に対する（説明）責任への高い意識や創出した成果を公開する</li></ul>
出典：Dees et al.（1998）</blockquote>

<p>3月の里山交流大学は、社会起業家の事例に必ず名前があがるような豪華な講師陣というだけでなく、ミッションに役立つ新しい機会、新しい資源としての人脈作りの場にもなればと思います。(マエダ)</p>

<p><a href="http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/08/post-165.html">「綾部里山交流大学」2010年３月講座「すべての人が社会起業家になる時代に向けて」</a></p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/vol0417.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/vol0417.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 16 Mar 2010 00:13:03 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>We are here. （Weekly Message Vol.418--2010.3.2）</title>
            <description><![CDATA[<p>We are here.</p>
<p>というのが群言堂の社是なんだそうです。</p>
<p>石見の松場登美さんが、<br />再び綾部にこられまして、お話しをききました。<br /><a href="http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/12/2010219.html">http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/12/2010219.html</a></p>
<p>2008年の綾部里山交流大学のときにいちどおいでいただいたので、<br />再びと書きました。</p>
<p>We are here.</p>
<p>というのはそのまま単純に学校の英語テスト的にみれば</p>
<p>私たちはここにいます</p>
<p>というような直訳になったりしそうですが、ここではやはり、</p>
<p>私たちは意図して（目的として）ここを選び、しかるべくして住んでいます、</p>
<p>ここが私たちの選んで生きる場所だ</p>
<p>というような万感の思いがこもっていてほしいわけです。</p>
<p>Weもareもhereも英語の習い始めの時期に習うような基本的語彙ですが、</p>
<p>基本的語彙であるだけに、人間の存在そのものにかかわってくる意味をもってきます。</p>
<p>そう、I am here.といっても、私は確かに生きて存在していますよという感じでしょう。</p>
<p>The Invisible Circusという映画も、たしかI am hereという言葉で終わっていたなあ。</p>
<p>あれは自分の存在を取り戻したという感じでしょうね。</p>
<p>群言堂のホームページのイントロダクション画面にもあるように、<br /><a href="http://www.gungendo.co.jp/">http://www.gungendo.co.jp</a></p>
<p>山の高いところからみた石見の谷は緑の樹々に覆われて、</p>
<p>その谷底に微かに見え隠れするようになつかしい家並みが息づいているわけでしょう。</p>
<p>そういえば徳島県神山の大南さんのNPOの名前は「グリーンバレー」でしたね。</p>
<p>そんなことも思い出します。直訳したら緑の谷かもしれませんが、万感の思いがこもっています。</p>
<p>We are here.</p>
<p>これはもう翻訳できないですね。</p>
<p>社是が英語というのはたしかに異例と見る人がいるかもしれませんが、<br />もうこれしかないんじゃないですか。</p>
<p>松場さんのことは３月６日にもテレビ放映されるみたいですよ。<br /><a href="http://www.gungendo.co.jp/iwamiginzan/topics.html">http://www.gungendo.co.jp/iwamiginzan/topics.html</a></p>
<p>We are here.</p>
<p>住んでいるまちのことを、私たちもそういえるようになりたいですね。</p>
<p>（あさくら）</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/post-52.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/03/post-52.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 23:47:49 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>組織、共同体、あるいは持続可能な活動その3</title>
            <description><![CDATA[<p>1990年代だろうか、日本のODAに対する批判として、ひも付き援助（日本の企業に発注される事）の指摘がなされた。しかしながら、<del>医者、用水路を拓く-アフガンの大地から世界の虚構に挑む</del><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%8C%BB%E8%80%85%E4%BA%95%E6%88%B8%E3%82%92%E6%8E%98%E3%82%8B%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E6%97%B1%E9%AD%83%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E5%93%B2/dp/488344080X">医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い</a>(2001年中村哲著)を読むと、欧米のODAもまた、特定の欧米のNGOにひも付きされ、PMS（ペシャワール会医療サービス）に立ちはだかっていた。彼は国際NGOを国際官僚機構とも呼んでいた。</p>

<p>国会審議で参考人としてアフガンへの自衛隊派遣を「有害無益」と発言して話題となった中村哲氏は医師でありPMSも医療チームであったが、なぜ「とにかく生きておれ。病気は後で治す」と言って井戸を掘り始めたのか。</p>

<blockquote>アフガンでは長く外国からの侵攻や内乱などの戦乱で疲弊している所に近年からずっと旱魃が続いており村を離れたりで避難民や国内を流浪する民が続出した。それに追い打ちをかけるようの西側が主導する国連の経済制裁が始まり食料や資材は益々窮乏し、また赤痢やコレラなどの病気が蔓延していった（<del>医者、用水路を拓く</del><ins>医者井戸を掘る</ins>）</blockquote>

<p>感染症の患者が押し寄せる事に危機を覚え、アフガン人700人を指揮して1000の井戸を作った。そんな中アフガン人の作業員が殉職し、中村氏はおくやみに親を訪ねるとこう言われた。</p>

<blockquote>「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから、本望です。全てはアッラーの御心です。」<br />
「バラバーグ村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。私も子供の頃の仕事は、ここから二里ほどはなれた泉に飲み水を取りに行くことでした。水袋３本をロバの背に乗せて往復半日かかりました。ところが、そのうちの一袋は自分とロバで飲んでなくなり、一袋は途中で旅人に分けて無くなり、家に持ち帰るのは僅か一袋の水だったのです。」<br />
「昨年の夏、その泉が涸れ果て、小川の水も尽きた時、ほとんどの村人は村を捨てることを考えました。バラバーグでは井戸はでないと大昔から皆信じていました。GAA（ドイツ―アフガン救援団）のボーリング井戸が一本ありましたが、五千人を養うことは不可能でした。それさえも涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも一つ二つではなく・・・・・。人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です。」（<del>医者、用水路を拓く</del><ins>医者井戸を掘る</ins>）</blockquote>

<p>この時、PMSはバラバーグ村で13か所で井戸を掘り8か所で水を確保していた。GAAの７基のボーリングは何れも失敗に終わり、PMSの手堀りだけが最終的に成功を収めていた。その13か所の作業場でPMSのスタッフとアフガンの人とはどのような連携があったのだろうか。本書の巻末にある蓮岡修氏の「現地報告」では「<q>現地での活動は、日本人が主体になってやらねばならない</q>」とある。</p>

<blockquote>「現地で活動する国連を含めた他のNGOを見てみると、必ずアフガン人の代表者が取り仕切っており、外国人の仕事はその報告を処理しているだけであった。仕事の関係上、駐在するスタッフに会うことが多かったが、彼らは大まかな活動は把握しているものの、スタッフ一人一人の性格や、村々の位置やそこの長老の名前、物の質や値段など、活動を進める上で知っておかなければならない事に注意を払っている様子はなかった。このような現地人主体で進められている欧米系の大きなNGOで、100パーセントその能力を発揮している所はまず無かった。（<del>医者、用水路を拓く</del><ins>医者井戸を掘る</ins>）</blockquote>

<p>ここで持続性について思ったのは「魚を与えるより釣り方を教える」「井戸を与えるよりも井戸の掘り方を教える」といった単純なこと以上に、現地活動を行う者が主体となる事さらには「活動する」という姿勢を示し続ける事の必要性である。</p>

<blockquote>クリントン前大統領がアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルを撃ち込んだ際にも、略奪がありました。ほとんどのＮＧＯや外国人が逃げ出し、「どうせ戻らないのであれば・・・」と貧しい人々が備品を奪って生活のために売り払ってしまったのです。我々の事務所が略奪されなかったのは、何があっても活動を継続するという姿勢を示し続けたためでした。(<a href="http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html">ペシャワール会ホームページより</a>)</blockquote>
<p>(マエダ)</p>
<h3>追記</h3>
<p>引用した本のタイトルが間違っていたのを修正しました。PMSはその後、農業復興のため用水路を作り始め、間違って紹介した本は、用水路作りをまとめた本のタイトルでした。</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/02/vol0416.html</link>
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            <pubDate>Tue, 23 Feb 2010 21:55:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「日本のまちづくり専門家はゴルフが大好き」（Weekly Message 2010.2.9 VOL.415）</title>
            <description><![CDATA[<p>久繁哲之介『日本版スローシティ』を眺めていると......</p>
<p>「欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」<br />（久繁哲之介『日本版スローシティ』学陽書房、４ページ）。</p>
<p>成程参ったなー、と思いました。</p>
<p>「既存事例集が提唱する「成功（活性化）の事例、その実現手法」のモデルは欧米にある。日本はその目に見える部分と、論理で説明可能な部分だけを、手っ取り早く「模倣」しているにすぎない。この「可視、論理、効率」を重視する発想が、日本のまちづくりの根底にある。一方、欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」（同）</p>
<p>というわけです。</p>
<p>物事は多層的なので、どの層を参考にするか次第で話が異なってくることはよくあります。</p>
<p>結論を参考にするのか、それとも文脈や情況やプロセスを参考にするのか。</p>
<p>とうぜん、物事は文脈や情況のなかで成り立っているものですから、結論を移植してもうまいくとは限りません。</p>
<p>「現在の社会・文化のありように何ら手をつけないまま、欧米都市づくりの方法や施設をそのまま導入しても巧く機能しない」（同129ぺージ）</p>
<p>欧米に限りません。柚子や葉っぱなど日本の事例をみてその可視的な象徴だけを移植するのでなく、システムやプロセスの次元までみなければならない。</p>
<p>つまり物事をいったん翻訳するという作業が必要ですから、粘り強い思考が必要になりそうです。</p>
<p>それとともに、私自身もそうですが理屈を詰めて考えがちですが上記のように感覚的なものも必要なので、つまり体験・経験に裏打ちされたある種の感覚、楽しさのセンスのようなものも忘れることはできません。</p>
<p>綾部に講演にこられた馬路村の村長もいい感じのアトモスフィア（空気）をもっておられたなあ。</p>
<p>世の中には名状しがたいけれど息の詰まるようなムードの漂う情況もあるし、名状しがたいけれどうきうきした創造的なムードの漂う情況もあります。</p>
<p>それは何なのか。私自身、世の中のたいていのことは観察可能、説明可能であってほしいので、急に聖域を持ち出したくないのですが、人間の身体や脳の生理的なものもかかわっているような気がします。</p>
<p>綾部里山交流大学で鹿熊勤さんのお話をうかがいましたが（2010年１月）、上勝町は葉っぱを契機として好循環のスパイラルを形成することに成功した事例であることがよくわかりました。</p>
<p>だから物流的なものと精神的なものをふくめて、好循環のプロセスをイメージ化しなければな、と思います。</p>
<p>ところで『日本版スローシティ』の著者が地方自治体のまちづくり関係者に休日の過ごし方を質問すると、男性だけでゴルフに行くという答えが圧倒的に多いそうです（同19ぺージ）。</p>
<p>ゴルフ場は水源維持の役割を果たしていた山林や丘陵地帯を重機で削り取って作られ、排水の影響もあわせ、植生や水質や生態系を変化させてしまいます。</p>
<p>ここでの文脈はこのような自然破壊としての側面以外に、ヨーロッパでの休日のすごし方が、街なかでの憩いと交流だったりするのに対して、ゴルフはないでしょということかと思います。</p>
<p>まちづくり、地域づくりというのは海の上に浮かんでいる氷山をみるのでなく、海を見なきゃいけなかったんだ、みたいなことでしょうか。</p>
<p>「現在の社会・文化のありよう」に手をつけようよ、となります。</p>
<p>社会・文化のありようにどう手をつけましょうか。詳しくは『日本版スローシティ』を見てください。ここでは一部分にしか言及できていませんので。カップル減少社会が焦点ですか。</p>
<p>綾部里山交流大学で若杉友子さんは食べ物によって人の顔が変わってくるというような話をされました。</p>
<p>たしかに若杉さんご自身、たしかに昔の日本人はこんな感じだっただろうなといういい感じの顔をされてます。</p>
<p>現代文明を抜けきらない暮らしをしていると顔にでるかもと思って、忸怩たるものがあります。</p>
<p>綾部里山交流大学の2010年３月の講座でお招きする吉水の中川誼美さんは、「自分自身の暮らしと事業上のコンセプトが矛盾しないこと」を理念としておられるとか。<br /><a href="http://www.gnew.jp/home/index.php?menu=category&amp;catseq=109&amp;atcseq=561">http://www.gnew.jp/home/index.php?menu=category&amp;catseq=109&amp;atcseq=561</a></p>
<p>これも、成程参ったなーです。</p>
<p>この点、企業のCSR活動に関しても、CSRというのは企業活動の外にあるのでなく、社会的責任は経営に内在的なものであるべきという視点は重要と考えます。（新山陽子「国内農業の存続と食品企業の社会的責任」『農業と経済』2008年７月）<br /><a href="http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200807.html">http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200807.html</a></p>
<p>とにかく昔風の暮らしをしてみる。そんなことから自分のなかの感覚的なものが何かしら変わっていく。でも私は理屈に傾くから、そんな過程すら理屈で解明したくなったりするんですけどね。（あさくら）</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/02/weekly-message-201029-vol415.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/02/weekly-message-201029-vol415.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 09 Feb 2010 23:37:22 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>組織、共同体、あるいは持続可能な活動その2</title>
            <description><![CDATA[ <p>「コンクリートから人へ」という現政権のキャッチコピーに対して、コンクリートの専門家から異を唱えられたという京都新聞の<a href="http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/index.html">凡語</a>が面白かった。その中に興味深い記述があった。</p>

<blockquote>(3段落目途中より)欧州では建設投資の３割を維持管理に充てているのに、日本は統計に表れないくらい少ないという▼造りっぱなしで、手入れをしない。古くなれば、新しく造ればいい。高度成長期に造られた橋や建物は、補修されないまま「高齢化」している。荒廃が進み、地震などで倒壊の恐れもあるという▼阪神大震災から１５年。横倒しになった阪神高速道路の惨状が目に焼き付いている。耐震化は注目されるようになったが、維持管理にコストをかけるという意識は広がっているとは言えないようだ（後略　京都新聞-2010年1月15日)</blockquote>

<p>情報ソースは確認できていないので、3割の妥当性や国際的な比較について分かりませんが、維持管理費のコストは公共投資や公共融資の事前調査において、持続性の観点から必須な見積項目と言えるのでないでしょうか。</p>

<p>たとえば、途上国や危機的状況になった国などに融資を行う世界銀行では、その<a href="http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/PROJECTS/0,,contentMDK:20120722~menuPK:41392~pagePK:41367~piPK:51533~theSitePK:40941,00.html">ポリシーや業務マニュアルを詳細に公開</a>しているが、事前・事後に行われる調査の要点は「効果」「公平性」「持続性」であろう。</p>

<p>先週行われた綾部市長選挙で当選した山崎善也氏は日本政策投資銀行ご出身で、世界銀行もに出向されたご経験もある。語弊があるので口にしたことはないが、地域振興への補助金や交付金などは、発展途上国の融資にも通じるところがあると思っている。(マエダ)</p>]]></description>
            <link>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/01/vol0414.html</link>
            <guid>http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2010/01/vol0414.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 27 Jan 2010 23:51:54 +0900</pubDate>
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