ayabe: 2009年12月アーカイブ

かくまつとむさんの『野山の名人秘伝帳』では美山町の料理旅館「つるや」さんの「松葉サイダー」を紹介しています。

一升瓶に松葉と砂糖水を入れると発酵して微炭酸の「サイダー」になる。ちょっとした魔法です。

店主の子供時代にお母さんが作ってくれたそうですが、お母さんは店主に作り方を教えなかった。

「毎年梅雨明け頃になると、子供の頃に田舎の母が作ってくれたサイダーの味を思い出すんです。私が母に、どないして作るん? と聞いても、笑うばかりで教えてくれませんでしてね。」(34ページ)

「つるや」さんは最近は料理旅館ですが、以前は「行商人相手の商人宿」だったそうです。

しかし社会の変化、交通の変化にともなって、行商人自体が減ったのでしょう。料理旅館に衣替えして、料理の工夫につとめるなかでサイダー作りを試みますが、秘訣がわからない。

「そんなときふと目がいったのが、松の若葉でした。サイダーを造るのはたしか梅雨明けでした。その頃、松の若芽がぐんぐん伸びるんです。......昔飲んだサイダーの瓶に入っておったのも、松の葉でなかったろうかと、ふと思うたんです。」(36ページ)

今の私たちは松葉を食べたり飲んだりすることは思いつかない。しかし思いついた。

お母さんは言ったそうです。「あんた、ようこの味がわかったな。あのとき聞かれても作り方を教えなんだのは、自分で工夫してほしかったからなんや。よう松葉に気づいた。こういうことが大事なんや」(36ページ)

「つるや」さんの門前の看板にはサイダーの文字が書かれていて、一杯300円の松葉サイダーを頂いてみるとその透明なグラスのなかにこんな無限の物語が秘められています。

街道沿いの交差点に立地していて商人宿だった「つるや」さんですが、付近の道路のつけかえが進んでいて、近くの川にかかる橋も架け替え工事の途中です。道路の付け替え後は裏通りになります。時代の変化はとどまることがないようですが、応援したいと思います。

『野山の名人秘伝帳』では松葉サイダーが発明された時期について「一升瓶が日本酒の汎用輸送容器として主流になっていく大正以降のアイデアではないかと思われる」と推定しています。

今でこそありふれている砂糖ですが、その頃はもっと貴重品であったことでしょう。

少し前の世代の人から聞くことがあるのは、アメの作り方です。

米や芋を煮て、芽の出た麦の胚芽をすりつぶしたものを混ぜます。しばらく置いてから漉して、煮詰めます。

すると水飴や砂糖を使わずに飴ができます。昔はお菓子がないのでこのようにして子供のおやつにしていたのだとか。

胚芽の飴。『美山町誌』に載っている話をいつも思い出します。

「朝鮮から美山にきたSさんは当時を振り返りこんな風に語った。......戦後は配給が少なくて食べるものも無くて......ちょうど上の子が出来た時、食べるものがなくてなくて、......それでお父ちゃんが結婚のふとんを日本人の親方の家に持って行った。あら麦一斗、米一斗と換えてきた。その米が水につけると浮くんや。......自分は食べずに子どもに食べさせて......少し楽になったのは、アメを作り始めてからや。どこで覚えたかアメの作り方知っていた。砂糖は使わない。ごはんを蒸してもやしを入れて煮詰めて煮詰めて、米一升とアメを交換した。少し良くなって、よし子どもに食べたいだけ食べさせてやろって思って、二升も三升も炊いた。そしたら食べる食べる。おまえらまだ食べるかって聞いたら、お腹いっぱい、でも口が食べたいって言った。」(『美山町誌 下巻』553ページ)

「お腹いっぱい、でも口が食べたい」という時代のなかで、「どこで覚えたかアメの作り方知っていた」ことが役に立った。

布団と米を交換して、米からアメを作って、そしてアメを米に交換する。

「少し楽になる」契機となったアメの作り方は、「どこで覚えたか」とはいってもやはりお母さんなのかお婆さんなのか、近い家族から学んでいたというのが最も高い可能性ではないかと思います。

ここでサイダーからふと、レモネードのことを連想してみます。

アレックスのレモネードという物語をテレビで見たことがあります。書籍にもなっているようです。

詳細情報にあたれていませんが、腫瘍にかかってしまったアレクサンドラという少女がレモネード販売の輪を広げ、がん対策のファンドができたという実話だと思います。

たしかにレモネードという媒介なしにお金だけを寄付することもできるけれど、レモネードを購入するという行為を媒介とすることで物事が可視化され、コミットしやすくなる。そしてじわじわと広がっていく。

たしかに病気自体はたとえようもなくビターなことですが、人生がすっぱいレモンのようであっても、レモネードに変えればいいじゃないかということだったと思います。

そんな象徴交換の媒介として「すっぱいけど甘い」レモネードは唯一無二の表象であったように思います。

松葉サイダーや、もやしの飴や、レモネード。

ビターなこともある人生を少しだけスウィートにする魔法。ちょっとした工夫の産物が無限の物語を生む可能性を秘めて、まだ私たちの身近に眠っているような気がします。(あさくら)

「既視感」

 

綾部里山交流大学の実技編である
里山生活デザイン科(冬編)では

プログラムの1つとして、
「みそづくり」をおこないました。

 

杵と臼で大豆をつぶして、

甕は熱湯消毒をしたり、焼酎で消毒をしたりと

みそづくりの達人である先生と
事前の打ち合わせをしていたら、

その昔、友人の別荘でおこなった
みそづくり教室を思い出しました。

そう、場所は滋賀県でした。

 

なぜ、達人でもないぼくたち夫妻が
みそづくりを教えたのかは?ですが、

仲間より早く、みそを仕込んだ
先駆者だったから、頼まれたのでしょう。

時は、たしか、
ぼくらが嵐山に住んでいたころ。

ということは

1993~1995年ころ。

 

96年に田んぼや畑を始めのだけど、

自給農より先におこなったのが
そういえば、みそづくりでした。

 

みそづくりの段取りを打ち合わせていたら


ふとこぼれてきた

我が家の講師デビューの日の思い出。

 

家の間取りとか駅までの道のりとか
いろんなこと、覚えているものですね。

あのときのみんな、

みそはいまも作っているかな。

 

(文・塩見 直紀)

人間社会は、生物に比して見られることがある。リチャードドーキンスは、社会のありかたが動物の遺伝子のようなふるまいをするといい、ノーバートウィーナーは通信技術に使われるフィードバック回路は、生命にも社会にもあると論じた。

フィードバックとは、たとえば物をつかもうと手を動かしながら、同時に視界に入った手の位置などの情報を脳に返すことで必要あれば補正し目的遂行を確実にする。追尾型のミサイルに応用されていると言えば分かりやすい。

フィードバック回路が社会にあるとすれば、社会問題を補正する機能が社会そのものに備わっている。現代では社会起業家がその役割を果たすべく自ずと生まれるのかもしれない。


1948年(第2版1961年)ノーバートウィーナー著「Cybernetics(副題:動物と機械における制御と通信)」は、エンジニアだけでなく生物学者や経済学者からも評価を得ると同時に、SF作家やヒッピー文化にも刺激を与えた。

ヒッピー達のコミューンを転々としてきたスチュアートブランドもその一人で、彼を一躍有名にした「ホールアースカタログ」は、寄稿者や購読者やスタッフのコミュニティーともいえる出版物で、掲載される情報にはフィードバックが自由に行われた。

橘川幸夫氏は日本のスチュアートブランドと言えるかもしれない。1970年代に立ち上げた全面投稿雑誌「ポンプ」は、「参加型メディア」(という言葉を最初に使ったであろう橘川氏がロッキンオン創刊以来一貫して携わってきた)、今で言うコンシューマジェネレイテッドメディア(CGM)であろう。

「ポンプ」は私にとって一周り以上前の世代の雑誌だが、中学時代にスクラップを読みふけった記憶がある。その橘川幸夫氏が先週、里山ねっとに来られたのに別の来客中でお目にかかれず残念でした。(マエダ)

昔の人が現代人より達者であったという話はよく聞きます。

平均寿命の長短は別論として、起伏の激しい長距離の山道を短時間で歩くことができたとか、一日中山仕事をして平気であったとか。

綾部里山交流大学の2009年12月講座で松村苗未さんのお話を聞いて、昔の人が達者であったことと食事との関係の指摘があり、ハッとしました。
http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/12/200912.html

昔の人が達者であったことと、粗食・穀物食など食事のあり方が関係していたかもしれないという視点は面白い。

石油時代になって自力で長距離を歩いたり重いものを運んだりする必要がなくなったから足腰が弱くなったのかな、という外的な要素だけを考えていましたが、生命力のある食料をたべているかどうか、といういわば内的な要素からも、「昔の人の達者さ」を考えるべきだなという点に気づかされました。

もうひとつは食べることのあり方がささやかな平和運動でもあるだろうという点。

肉食への傾斜や食料の大量廃棄など現代の食事情がかかえる問題に対して、足元の食生活を見直すことが、戦争や飢餓への異議申し立て、意思表示にもなるでしょう。

穀物を動物に与えてその動物を食べるより、穀物をそのまま人間が食べたほうが資源効率がいいはず。

ハンバーガー・コネクション問題といって牛の牧場を作るために森林が伐採されたりしてもいますから、肉食中心のあり方を見直すことが気候変動問題への対処につながるかもしれない。

単に個人的な健康にいいということではなく、社会的な構造を見据えたうえで、それに対する問題提起として、自分の食のあり方を見直していく。

以前、「パンのみによってでなく象徴によって生きる」というようなことを書きましたが、
http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2009/03/post-34.html

ここでは食べることのあり方が、自分対世界の関係の関わり方についての象徴である。

松村さんのお話しを聞いてなかなか反省させられることばかりでした。(あさくら)

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