ayabe: 2009年10月アーカイブ

■2009年11月21~22日にライターの今一生さんに綾部で「社会起業家育成講座」を行なっていただくわけですが、
http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/07/200911.html
http://createmedia2007.blog88.fc2.com/blog-entry-80.html
http://createmedia2007.blog88.fc2.com/blog-entry-81.html

今一生さんといえば自殺や虐待、若者論のかたでしたので、さいきん社会起業にも注目されていることが興味深いと感じていました。

■2007年に放送されたドキュメンタリー番組では、リタリンという、覚醒剤に近いような薬物への依存について検討しており、今一生さんも登場していました。

その番組に出てくる今一生さんは数々の若者の死について知っていました。

■『親より稼ぐネオニート』の冒頭にも次のような例が紹介されています。

「自叙伝の出版を機に作家になろうと励んでいた20代の女性を知っている。彼女は「お前など作家になれるわけがない。普通に会社に入って働け」と何度も両親に否定された。普通科の公立高校に行かされ、大学受験一辺倒の空気の中、職業技術を身につけることには目覚めず、高卒では正社員として雇用されることも難しかった。そして、食を転々とするフリーター生活を続けた末に鬱病になり、精神科で買わされた向精神薬を処方量以上に摂取すること(=オーバードーズ)がやめられなくなった。彼女は探していた。自分はどんなことにときめいたり、どんな仕事ならワクワクして取り組めるのか。しかし、彼女の親はそんな娘の気持ちには一切関心を払わず、ただ「ちゃんと働いて生きているなら心配ない」と言い続けるだけだった。やがて娘は薬の副作用による倦怠感で働くこともおぼつかなくなり、生活保護の受給者になった末、向精神薬の大量摂取による心臓発作で亡くなった。そんな話は腐るほどある。」(4ページ)

■実際に社会起業と位置づけられる仕事を起こして実績をあげている人々があり、一方で社会起業を論ずる社会起業論者も増え、関連書籍も数多く出版されるようになるなかで、今一生さんの特色は、以上のような取材経験にもとづき、若者や死者の哀しみの感覚を基盤として、社会起業について語っていることだろうと感じています。

■つまり、基本にあるのは「切実さの感覚」だろうと思います。

ペダルファーブックスのWEBに今一生さんへのインタビューがあり、「今は自殺から社会起業家に向かっていますが、今さんの中でどのような変化があったのでしょうか」という質問がなされています。
http://www.pedalfarbooks.com/series_author/vol02.html

今さんは
「10年以上、死ぬだの死なないだのという人たちと会って、話を聞いてきました」
とのことですが、そのことで今さん自身が経済的にも消耗する。

そのように
「社会的に意義のあることをやっている人でも、やればやるほど貧乏になるというのは商売の仕組みがおかしいんだなと気づいたわけです」。

「死にたいです、でもなんとか救われたいです、救ってください」
という人々の話を聞くという作業を消耗戦にならず持続可能なかたちで行なうには、何らかのビジネスモデルが必要であり、
「社会起業家というのは、まさに社会的な課題を解決するためにビジネスの手法を使っている人たち」
なのだという点がひとつ。

すなわち
「彼ら(「死にたいです、でもなんとか救われたいです、救ってください」という人々)を支援するには、自分たちの生活が守れる程度には、ちゃんとお金が回っていく仕組み、すなわちビジネスモデルを考えないと続かないんです」
ということです。

■もうひとつは、誰が「負け犬」なのかという問題提起です。

「生き方として、みんな自分の生活を守りすぎてるような気がして。変化を怖がりすぎているというか。そういう社会のムードを払拭したい」。

変化の激しい時代です。立派になろうというような古典的すぎる世界観を持ち、従来の流儀の延長線上に物事を考える者は「たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」(平家物語)のように、盛者必衰の運命をたどる可能性があります。

「人並みやハイレベルな暮らしを求めるよりも、「負け犬」から立ち上がれなくなっている社会的弱者を誰が作り出してきたのか、果たして自分がそこに加担していないと言い切れるのか、そういうことを真剣に考えながら社会的課題のソリューションを見つける仕事が社会起業にはあると知ってほしいんです」。

上記の
「普通に会社に入って働け」「「ちゃんと働いて生きているなら心配ない」と言い続けるだけ」
というのも、時代の変化への感受性がなかった例でしょう。

ですから社会起業というのは何か一旗あげて錦を飾ろうというような話なのではなくて、切実な社会的課題への対処というのが根底にある。

■「傍から見るとマイナスだと思われる経験は、「同じ問題に悩み苦しむ人に解決策を与えられる重要な情報」になりうる」。「切実であればあるほど豊かな知恵が生まれてくる」。

以上のような哀しみと切実さを背景に感じながら、2009年11月の綾部里山交流大学「今一生さんの社会起業家養成講座」を皆さんとともに開催できたらと考えています。

「自分はどんなことにときめいたり、どんな仕事ならワクワクして取り組めるのか。」オーバードーズの果てに心臓発作で亡くなった上記の「彼女」がどうしてもたどり着けなかった答え、彼女の見果てぬ夢を私たちが見つけよう。(あさくら)

仕事を創る

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今月、里山ねっとでは求人を始め、先週は雇用・能力開発機構の方の積極的なお話を聞く機会がありました。来月は今一生さんの「社会起業家」育成講座を開きます。先週官邸では

政府は16日午前の閣議で、雇用情勢の悪化に対応する緊急雇用対策本部の設置を決定した。(2009.10.16産経)

昨年来肌で感じていた、状況がグラフで顕著に示されました。

雇用・失業情勢

総理大臣指示
  1. 完全失業率が過去最高水準で推移するなど、雇用情勢は一段と厳しさを増している。
  2. 鳩山政権が目指す「国民一人ひとりが安全と安心、生きがいを実感できる社会」を実現する上で最も重要な基盤となるのは雇用の確保である。国民が抱える不安に対応し、政府を挙げて雇用の確保に取り組んでいくことが必要である。
  3. このため、今月23日に開催する当本部の第2回会合において「緊急雇用対策」を策定する。各大臣は、以下の方針で早急に検討いただきたい。
    1. 基本的視点は、
      1. 情勢に即応して「機動的」に対応すること、
      2. 「貧困・困窮者、新卒者への支援」を最優先すること、
      3. 「雇用創造」に本格的に取り組むこと、の3点とする。
    2. 緊急雇用対策の柱は、
      1. 求職中の貧困・困窮者支援、新卒者支援、企業の雇用維持努力への支援や中小企業支援などの「緊急的な支援措置」、
      2. 介護やグリーン雇用など重点分野ごとの雇用戦略などの「緊急雇用創造プログラム」、の2本とする。
    3. 今回の対策の実施は、既存の施策・予算の運用改善によって対応し、新たな予算措置は講じない。
第1回緊急雇用対策本部議事次第

(マエダ)

「他者時計」(VOL.400 2009.10.13)

 

数え間違いもあるかもしれませんが、

このウィークリーメッセージ、
おそらく、400号です。

 

400号を年52週で割ると
7.69年。

 

2001年の4月頃スタートし、
システム移行等で一時期とまっていましたが、

再開して、しぶとく続いて(続けて)います。

 

このウィークリーメッセージを始めた者としても
この400週という数字は驚くばかりです。


400号記念になるような
ネタにはならないかもしれませんが
最近の気づきを書いてみたいと思います。


この10月18日は村祭りです。

祭りも近くなると
沿道沿いの岸など、草刈りがなされます。

お盆前もきれいになっていき、
あわてぼくも刈っていくのでした。

 

神さまのためでもあるし、
帰省する村人やその家族が通るから・・・

でもあるのですね。

 

お盆と村祭りと。

その前には沿道の草を刈り、きれいにするということ。

自分時計ではなく、
見えないものや他者への思いという他者時計で
すてきなリズムで暮らしている。

そんなところがいいですね。

 

いまは周囲の先人がお盆や祭り前の

草刈りリーダーですが、いつかぼくもそうなれますように。

 

(文・塩見 直紀)

人生を転換(コンバート)して就農しようとする場合、リスクもつきまとうわけですが、それに対してどんなセーフティーネットを張ることができるでしょうか。

生産した農作物を売るというのが就農後のメインとなる位置づけの交換形態とすれば、インターネットによる交換はすこし違う形態です。

人間は24時間働きつづけることはどうしても困難ですが、WEBサーバーはメンテナンスやトラブルを除けば24時間労働であり、しかも複数(多数)のリクエストを処理できるので、人間とは異なる働き方をしてくれます。

人間には睡眠や病気があり自然には雨や雪や春夏秋冬があり、農作物の交換には物理的、時間的、距離的限界がともなうわけですが、インターネットの情報は時間や空間を越えるかのように(越えませんが何となくそんな感じで)振る舞ってくれますので、波と波とが合成するようにリスクを緩和してくれないか。

農産物をインターネットで売るというのは直接的な交換ですが、在庫がなくなったらそれまでです。

人参は、少なくともそれ自体としては食べてしまえば無くなるので、複製可能ではありませんが、情報は複製可能です。そこでインターネットの出番かもということになります。

綾部里山交流大学でもお世話になっているライターの今一生さん
http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/07/200911.html
は、扶桑社新書『親よりかせぐネオニート』(2007)で、WEBを通じて新しい稼ぎ方を開拓した若者たちを紹介し、「徹底的にネオニートを肯定」(p.30)しました。

ネットだけで生活できるようになった若者たちが紹介されていますが、必ずしもネットだけで生活しようとする必要はないので、補助的でもいいのではないか。

「雑誌での連載原稿や講演録などを電子出版のサイトで有料ダウンロードできるようにアップしておくだけで小遣い程度にはなるだろう」(99頁)というように、小遣い程度という考え方も可能です。

農業の稼ぎは割と瞬間的です。一方で現代の生活は、常に回り続けている電気メーターを見ているとよくわかりますが、定常的にお金が出ていくようになってしまっています。それで、常に回り続けている電気メーターのようにお金が入ってくるようなしくみがないかなあということになります。

もちろんネットも携帯も電気も極力使わない生き方のほうが正当ですので、そこは選択可能にしておけばよいと考えます。地域整備の考え方としては、ネットを選択したい移住者は選択することが可能であるように、インフラ整備をしておくべきでしょう。

むろん、アフィリエイトやWEB広告で稼ぐ!という種類の書籍には、誰々がこんなに稼ぎましたというバラ色の展開が記されているものの、必ずしも絵に描いたような展開にはならない。

ですので、ネット自体が画期的に貯金を増やしたりすることはなかなかない。

ネットでの収入はいわば薄利多売型が多く、トラフィックを稼ぐ必要があります。是非は別として現代世界は英語人口が多いですので、英語でなく日本語でネットをしている時点でかなりマーケットが小さくなっています。そのうえでさらにローカルな現場でのとりくみを日本語でWEBに書くとトラフィックはかなり小さくなるかもしれません。

それでもインターネットにセーフティーネットとしての意味を見いだしたいわけですが、貨幣面での議論以外にが、むしろ貨幣以外の面の機能はどうでしょう。

WEBで何かしら情報をかたちにしていくことで、見えないインフラ、透明なネットワークが形成される。

お金としてのCapitalでなくSocial Capital(社会関係資本)が形成される。

あの人ならブログを読んだので知ってる、とか。

そういう意味での資本形成です。

セーフティーネットはインターネットのかたちをしていない時もあるけどしてる時もある。

貨幣面での直接効果はよくわかりませんが、間接効果、波及効果はまだ測定され尽くしていないので、ブログを開設したりすることは案外、予想以上に効いているのではないかという気もします。

ケインズが生きていた時代にWEBはなかったわけですが、WEB上に自分の世界をもつことの乗数効果はいくつくらいでしょう。

そんな意味でも、WEBを持つことが耕耘や草刈と同じくらい基本作業になる可能性があると思ったりするわけです。

もちろんこれは或る一方向を向いた議論ですので、別の議論も歓迎です。(あさくら)

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