ayabe: 2009年4月アーカイブ

「続 3つ集まると」


公民館があるところは村のメインストリートです。

すぐそばにある小屋の前に、ぼくは数年前から

枝ぶりのおもしろい3本の小枝を
壁に立てかけています。

ぼくは

どんなものでも、
3つ集まるとアートになる

と思っているのです。

昨日出会った70代の村人は

「それはなんじゃ?」と言ってましたが・・・。

 

■1年前の「アイデアは共有できる。」で、ローレンス・レッシグの『CODE』(邦訳・翔泳社)を引用したことがありました。
http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2008/04/post-1.html

「あなたがこのリンゴを食べたら、わたしは食べられない。......あなたの消費はわたしの消費分を減らす。」(邦訳235頁)
「知的財産の場合は話が違う。......わたしがアイデアをあなたに話しても、私はそれを忘れるわけではない。......あなたの消費はわたしの消費分を減らさない。......アイデアは、根本的には、その「所有者」が消費できる量を減らすことなしに共有できる。」(邦訳236頁)

人は案外、お互いに話したことすら忘れることがありますけど、

という問題ではなく。

アイデアは排他的・競合的でないのでリンゴを半分たべたら半分しか残らない、というようにはならない。

共有可能であるし、共有すべきである。

著作権をたてにインターネット上の知的財産が過度に囲い込まれることはアイデアというものの性質にあわない、というような話でしょう。

■もちろん人の話を聞く、WEBページやメールを読む、などに少しの手間や時間は必要です。

世の中の事務処理のある部分は、情報を共有するためのことです。

どの組織でも情報を共有するのに苦心しています。

2兆円の定額給付金を配布するのに800億円の事務経費がかかったのでしたっけ。

書類化や決済など、情報を共有したり選択したりするのにかかっているコストはどれくらいでしょう。

いっそのこと何かの魔法で瞬時に脳みそのなかにあることが同期できるような仕掛けがあったら、と思うこともあります。

■部分的には、技術が解決になるかもしれません。

インターネットでは近所であろうが海外であろうがワンクリックで多人数にメールを送ることができ、電話と違ってコストも距離と連動しません。

電話は、遠くの人と話をするごとにインフラの増設が必要な訳ではないはずですが、なぜ遠くの人と話すほど通話料金がかかるのでしょうね。インターネットはケーブルのなかを情報が転送されて通っていくだけだからというのであれば、電話だって同じことでしょう。

最近の注目は同期技術なんでしょうか。

複数のコンピュータやモバイル機器が、ネットワークにつながってさえいれば、手動でなく自動で情報が同期されるようになる。

自宅のパソコンで作ったファイルを自分で自分にメールしなくても、職場のパソコンにそのファイルが出現している。

ただ困ったこともあります。共有したくない情報も共有されてしまうかもしれません。

それはクラウドコンピューティングに限らず、インターネットにはついて回ることなのですが。

コンピュータは万能でなく、共有すべき情報と共有すべきでない情報との区分をすることができないので、それは人が判断するほかないのでしょう。

つまり「である」の部分と「べき」の部分のうち「べき」論は人間の領分。

だから部分的には、技術が解決にならない。

■共有コストはインターネットによってゼロに近づくかもしれないにせよ、完全にゼロにはなりにくいわけですが、そのうえでなおかつ、間接費用はどの程度正当化されうるか、という問題は気になります。

農産物が消費者に届くまでに、流通部門の取り分が大きいので、生産者の取り分が少ないのです。

一番上の「あなたがこのリンゴを食べたら、わたしは食べられない。」という例の「リンゴ」は、食べ物のことですが、そんなに沢山の間接部門を通過しないと、リンゴという経験を消費者と共有できないか。

やっぱり直販がいいですよね。という結論ですか。

それとも、自分でリンゴを作れば流通自体要らなくて、間接費用ゼロです。という結論ですか。

それでは簡単にすぎるので、「アイデアの性質を持ったリンゴ」ってないですか。

ミリオンセラーの著者は本を100万回書いたわけじゃありません。

1回書いたらあとは印刷機が100万冊作ったわけです。

事実上、出版社と著者に入るお金を印刷機が刷っていたようなものです。

でも100万人にうどんをたべてもらうためには。

うどんを100万杯、作らねばなりません。

リンゴやうどんを食べるという経験も複製可能・共有可能にならないですか。

でも、そうしたら空気や水のようなものになって、希少性がなくなってしまうかも。

ほどよい程度にアイデアの性質を持ったリンゴ。

それは物語やコンテンツを伴ったリンゴなのでしょうか。

無茶苦茶いっていますが、それが研究課題なのです。(あさくら)

私は数年日記をつけていますが、3日に1回くらいのペースではじめたものの、昨年は1年に3回のペースでした。1昨年は1年に10回くらいでした。数少ない日記を書いた日のなかで、昨年も一昨年も春にツバメが渡ってきた日を記しております。

この春は北朝鮮の飛翔体が話題でしたが、私の日記の久しぶりの話題は東南アジアから渡って来た飛翔体の事でした。このペースでいくともはや日記というより、ツバメ飛来日記録帳ですね。

環境省の生物多様性センターでは、「いきものみっけ」というプロジェクトで、ふきのとうが芽生えた日やセミが鳴いた日やイチョウの黄葉日など動植物の変化をインターネットや携帯電話などから誰でも報告でき、調査が完了したところから過去の調査結果と対比して時系列のアニメーションで確認できるサイト「いきものしらべ」などがあります。興味のある方は、「みっけにん」になってみてください。

先週の新聞で、国内でミツバチが減少していて、作物に必要な受粉がままならない記事がありました。ミツバチの大半が受粉のために輸入されたセイヨウミツバチだということは、生物多様性が損なわれることのリスクを物語っているのではないか。

先週テレビで、H.G.ウェルズ原作の「宇宙戦争」という宇宙人の侵略による人類絶滅の危機を描いたSF映画を見ました。オチは宇宙人は地球の生態系のなかでは異質なので微生物だかウィルスでコロッと死に、地球人が世代を超えて長年培ってきた耐性万歳というものでした。

長年培ってきたたまものという点で、文化と生物は等しく、文化的多様性についても生物多様性と同じく、絶滅が危惧される文化があるだけでなく、生物多様性が文化そのものを作っているといえるかもしれません。わらびは毒があると言われていますが、日本人は毒を抜いて食べてきました。沖縄に行くとやはり毒のある蘇鉄をたべるそうです。四国の方でヒガンバナの根の毒を抜いて食べると聞いたこともあります。しかしながら近年の国連食糧農業機関の情報によると、麦、米、ジャガイモ、とうもろこしのわずか4つの植物で人類の50%のカロリーをまかない、食肉の90%が十数種類の動物でまかなっているそうです。

生物多様性を守ることは文化を守ることと等しいのかもしれません。(マエダ)

里山山菜まつり

「アンテナ」


明治大学教授・齋藤孝さんの
『使える読書』(朝日新書・2006)によると

アンテナを立てているものが
齋藤さんは常に20~30くらいあるとのことでした。

 

ヒットメーカーの齋藤孝さんがそれだけなら、
ぼくはどうだろう。

何個あるだろうとセルフチェック、
書き出してみると

驚いたことに20くらいあって、びっくり。

レベルは違いますが、あるものですね。(笑)


このウィークリーメッセージは
8年目(システム移行等で実質は7年)続いていますが、

アンテナを立てるよい訓練になってきたようです。

今度の綾部里山交流大学の情報発信学講座で
お話しできそうなネタですね。


ぼくがアンテナを立てているテーマを
1つ紹介すると

 

このアーカイブについて

このページには、ayabe2009年4月に書いたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブはayabe: 2009年3月です。

次のアーカイブはayabe: 2009年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0