甘くて苦い諦めを越えるには(Weekly Message 2010.8.7)
晴れた日の夕方、急に驟雨が来て虹がかかる。
そのような時に限ってカメラを持っていない。
大切な瞬間を記録することができず、なすすべなく立ち尽くしていると、
鈍感な人間でも、胸がかきむしられるような思いがするものです。
あるいは銀色に輝く雪の朝や、夢のような茜色に染まった夕焼け。
しかし仕事で急いでいるので、自動車を止めることもできず走り続ける。
永遠に記憶にとどめ、保存したい情景に限って、一瞬で失われ、二度と帰らない。
ああ、これは二度と見られないなあという「甘くて苦い諦め」です。
老人の昔話を聞くときもそうです。
ちょっとした畑仕事のこつや、伝統料理の以外な作り方。
昔の祭りのエピソードや、その老人だけが覚えているような民謡。
そのような話を聞いているとそれを全て記録して保存したいのですが、
そういうときに限って、レコーダーを持っていない。
あるいは持っていても、却って話の流れに水をさすような気がして、迷いが生じて出せない。
話自体はすばらしいのに、聞いている側にはビターな悔恨。
甘美な諦めなどとは言っていられない、胸がかきむしられるような瞬間です。
一体いままでどれだけの貴重な昔語りを、右から左へ、宙に消えるままにしてきたことか。
一方で、偶然にうまく行く時もあります。
何気なくカメラを回して静止させていたらその前を鳥が横切るとか、
撮影済みの映像にBGMをかぶせたら偶然、
場面転換とぴったり合った転調や変奏、展開部と重なるとか。
このように意図しない僥倖もあれば悔恨もあります。
それは世の常というか、表裏一体の事柄かもしれません。
そこを何とか、悔恨だけはないようにしたいのですが。
極端な考えは、世界の全ての情報を保存できるビデオカメラのようなもので、
それをハードディスクにためていくようなことですが、
いったい何バイトあったらいいのか想像もつきません。
とあえずカメラやレコーダーを常時携行しよう、そして
遠慮やためらいに打ち勝ってそれを使おうという月並みな結論でしょうか。
二度と帰らない風景や記憶をかたちにとどめること。
永遠の課題です。(あさくら)
