2010年3月アーカイブ
「思い、ですね。情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる。」
宮治勇輔さんの言葉を聞いて、参ったなーと、また思いました。
綾部里山交流大学2010年3月講座「すべての人が社会起業家になる時代に向けて」。
宮治勇輔さんのクラスの講演後、質疑の時間でした。
その「立て板に水」のような講演力、プレゼン力はどうやって鍛えられたのかという質問が出ました。
答えは、
1.塾の講師経験があり訓練になったこと。
2.場数を踏んでいること。
3.思い。情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる。
でした。冒頭の「参ったなー」がこの3.です。
通常、「上手な話し方」のマニュアルのようなものがあるとすればそれは腹式呼吸であったり相手の目を見て話すであったり、
ともかく技術的なことです。
一方で塾の講師や場数は、技術というか、経験や訓練にかかわることです。
でも「情熱や思いがあると思いが口から吹き出してくる」には内容と全人格との一致があります。
質問は講演力、プレゼン力に関するものでしたが、むしろ全人格が先なので、講演力、プレゼン力はあとからついてくるものなのだということが端なくも表現されました。
今一つな例えですが、火事のとき、火事だーと叫ぶのは発声の技術ではないですから。
生存闘争ですので、存在を賭けているわけです。
とにかく、「思いが口から吹き出してくる」には参った。
宮治さんの講演自体、「思いが口から吹き出してくる」ようなトークでした。
(あさくら)

宮治勇輔さん
株式会社カスタネットが社会貢献活動の一つとして運営されている京都まちなか交流拠点「カスタくんの町屋」で行われた「社会企業家をめざす人たちの交流会」に参加しました。京都発の生き生きとした「ソーシャル・アントレ」のネットワークを生み出すことを目的に活動されてきた京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSEN)の5年間の活動をまとめた本のお披露目もあり、KSENで活動されてきた方、カスタくんの町屋に常連の方、私と同じく初めて参加する方など大勢の方とお話しさせていただき、あっという間に4時間が経っていました。
帰路をご一緒させていただいた方からは、「又来なきゃダメ」と言われ、特急に乗って2時間かかること、週末が休みにくいなどと難しいことを言ってしまいました。帰ってから名刺を数えると20人ほどの方と交換していましたが、4時間とは言え単純に計算すると1人当たり10分しか話ができていないことになります。交流はその場が楽しいだけではもったいないので、難しくても又参加しなきゃと思いました。
綾部里山交流大学をスタートし「社会起業家」をテーマにした講座をもったのは、2007年でしたがそのころの「社会起業家」というキーワードの検索ボリュームはそれほどありませんでした。google insghts for searchで調べましても、2006年は「検索ボリュームが十分でないため結果を表示できません。」となってしまいますから、2004年から社会起業家を「これからの日本社会に新風を巻き起こす存在になると言う認識のもと」始まったKSENは先見性のある発足と言えます。
数ヶ月前と比べても今では「社会起業家」というキーワードの広告がずいぶん増えたと実感します。「社会起業家」に関する書籍や通信教育など。低い予算で広告を出してもほとんど掲載されません。社会起業家が注目される事は喜ばしいことだと思いますが、広告を出す側としましては、綾部里山交流大学の2泊3日で行われる社会起業家講座は、机の上だけでは学べない素晴らしい出会いや交流があると思います。(現在若干の空きあり!)
社会起業家の定義というものに定説はありませんが、J. Gregory Deesによる社会起業家の定義には次のようなものがあります(孫引きした内閣府に掲載のPDFには他の定義も掲載されています)。
出典:Dees et al.(1998)
- 社会的価値を創出し維持すべきミッションを取り入れる(単に個人的な価値ではない)
- ミッションに役立つ新しい機会を認識し絶えず追求する
- 継続的な改革、調整、学習の過程に自ら参加する
- 現在手持ちの資源に制約されること無く大胆に活動する
- 支持者に対する(説明)責任への高い意識や創出した成果を公開する
3月の里山交流大学は、社会起業家の事例に必ず名前があがるような豪華な講師陣というだけでなく、ミッションに役立つ新しい機会、新しい資源としての人脈作りの場にもなればと思います。(マエダ)
We are here.
というのが群言堂の社是なんだそうです。
石見の松場登美さんが、
再び綾部にこられまして、お話しをききました。
http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/12/2010219.html
2008年の綾部里山交流大学のときにいちどおいでいただいたので、
再びと書きました。
We are here.
というのはそのまま単純に学校の英語テスト的にみれば
私たちはここにいます
というような直訳になったりしそうですが、ここではやはり、
私たちは意図して(目的として)ここを選び、しかるべくして住んでいます、
ここが私たちの選んで生きる場所だ
というような万感の思いがこもっていてほしいわけです。
Weもareもhereも英語の習い始めの時期に習うような基本的語彙ですが、
基本的語彙であるだけに、人間の存在そのものにかかわってくる意味をもってきます。
そう、I am here.といっても、私は確かに生きて存在していますよという感じでしょう。
The Invisible Circusという映画も、たしかI am hereという言葉で終わっていたなあ。
あれは自分の存在を取り戻したという感じでしょうね。
群言堂のホームページのイントロダクション画面にもあるように、
http://www.gungendo.co.jp
山の高いところからみた石見の谷は緑の樹々に覆われて、
その谷底に微かに見え隠れするようになつかしい家並みが息づいているわけでしょう。
そういえば徳島県神山の大南さんのNPOの名前は「グリーンバレー」でしたね。
そんなことも思い出します。直訳したら緑の谷かもしれませんが、万感の思いがこもっています。
We are here.
これはもう翻訳できないですね。
社是が英語というのはたしかに異例と見る人がいるかもしれませんが、
もうこれしかないんじゃないですか。
松場さんのことは3月6日にもテレビ放映されるみたいですよ。
http://www.gungendo.co.jp/iwamiginzan/topics.html
We are here.
住んでいるまちのことを、私たちもそういえるようになりたいですね。
(あさくら)
