「日本のまちづくり専門家はゴルフが大好き」(Weekly Message 2010.2.9 VOL.415)

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久繁哲之介『日本版スローシティ』を眺めていると......

「欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」
(久繁哲之介『日本版スローシティ』学陽書房、4ページ)。

成程参ったなー、と思いました。

「既存事例集が提唱する「成功(活性化)の事例、その実現手法」のモデルは欧米にある。日本はその目に見える部分と、論理で説明可能な部分だけを、手っ取り早く「模倣」しているにすぎない。この「可視、論理、効率」を重視する発想が、日本のまちづくりの根底にある。一方、欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」(同)

というわけです。

物事は多層的なので、どの層を参考にするか次第で話が異なってくることはよくあります。

結論を参考にするのか、それとも文脈や情況やプロセスを参考にするのか。

とうぜん、物事は文脈や情況のなかで成り立っているものですから、結論を移植してもうまいくとは限りません。

「現在の社会・文化のありように何ら手をつけないまま、欧米都市づくりの方法や施設をそのまま導入しても巧く機能しない」(同129ぺージ)

欧米に限りません。柚子や葉っぱなど日本の事例をみてその可視的な象徴だけを移植するのでなく、システムやプロセスの次元までみなければならない。

つまり物事をいったん翻訳するという作業が必要ですから、粘り強い思考が必要になりそうです。

それとともに、私自身もそうですが理屈を詰めて考えがちですが上記のように感覚的なものも必要なので、つまり体験・経験に裏打ちされたある種の感覚、楽しさのセンスのようなものも忘れることはできません。

綾部に講演にこられた馬路村の村長もいい感じのアトモスフィア(空気)をもっておられたなあ。

世の中には名状しがたいけれど息の詰まるようなムードの漂う情況もあるし、名状しがたいけれどうきうきした創造的なムードの漂う情況もあります。

それは何なのか。私自身、世の中のたいていのことは観察可能、説明可能であってほしいので、急に聖域を持ち出したくないのですが、人間の身体や脳の生理的なものもかかわっているような気がします。

綾部里山交流大学で鹿熊勤さんのお話をうかがいましたが(2010年1月)、上勝町は葉っぱを契機として好循環のスパイラルを形成することに成功した事例であることがよくわかりました。

だから物流的なものと精神的なものをふくめて、好循環のプロセスをイメージ化しなければな、と思います。

ところで『日本版スローシティ』の著者が地方自治体のまちづくり関係者に休日の過ごし方を質問すると、男性だけでゴルフに行くという答えが圧倒的に多いそうです(同19ぺージ)。

ゴルフ場は水源維持の役割を果たしていた山林や丘陵地帯を重機で削り取って作られ、排水の影響もあわせ、植生や水質や生態系を変化させてしまいます。

ここでの文脈はこのような自然破壊としての側面以外に、ヨーロッパでの休日のすごし方が、街なかでの憩いと交流だったりするのに対して、ゴルフはないでしょということかと思います。

まちづくり、地域づくりというのは海の上に浮かんでいる氷山をみるのでなく、海を見なきゃいけなかったんだ、みたいなことでしょうか。

「現在の社会・文化のありよう」に手をつけようよ、となります。

社会・文化のありようにどう手をつけましょうか。詳しくは『日本版スローシティ』を見てください。ここでは一部分にしか言及できていませんので。カップル減少社会が焦点ですか。

綾部里山交流大学で若杉友子さんは食べ物によって人の顔が変わってくるというような話をされました。

たしかに若杉さんご自身、たしかに昔の日本人はこんな感じだっただろうなといういい感じの顔をされてます。

現代文明を抜けきらない暮らしをしていると顔にでるかもと思って、忸怩たるものがあります。

綾部里山交流大学の2010年3月の講座でお招きする吉水の中川誼美さんは、「自分自身の暮らしと事業上のコンセプトが矛盾しないこと」を理念としておられるとか。
http://www.gnew.jp/home/index.php?menu=category&catseq=109&atcseq=561

これも、成程参ったなーです。

この点、企業のCSR活動に関しても、CSRというのは企業活動の外にあるのでなく、社会的責任は経営に内在的なものであるべきという視点は重要と考えます。(新山陽子「国内農業の存続と食品企業の社会的責任」『農業と経済』2008年7月)
http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200807.html

とにかく昔風の暮らしをしてみる。そんなことから自分のなかの感覚的なものが何かしら変わっていく。でも私は理屈に傾くから、そんな過程すら理屈で解明したくなったりするんですけどね。(あさくら)

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このページは、ayabeが2010年2月 9日 23:37に書いたブログ記事です。

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