2010年2月アーカイブ

1990年代だろうか、日本のODAに対する批判として、ひも付き援助(日本の企業に発注される事)の指摘がなされた。しかしながら、医者、用水路を拓く-アフガンの大地から世界の虚構に挑む医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い(2001年中村哲著)を読むと、欧米のODAもまた、特定の欧米のNGOにひも付きされ、PMS(ペシャワール会医療サービス)に立ちはだかっていた。彼は国際NGOを国際官僚機構とも呼んでいた。

国会審議で参考人としてアフガンへの自衛隊派遣を「有害無益」と発言して話題となった中村哲氏は医師でありPMSも医療チームであったが、なぜ「とにかく生きておれ。病気は後で治す」と言って井戸を掘り始めたのか。

アフガンでは長く外国からの侵攻や内乱などの戦乱で疲弊している所に近年からずっと旱魃が続いており村を離れたりで避難民や国内を流浪する民が続出した。それに追い打ちをかけるようの西側が主導する国連の経済制裁が始まり食料や資材は益々窮乏し、また赤痢やコレラなどの病気が蔓延していった(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る

感染症の患者が押し寄せる事に危機を覚え、アフガン人700人を指揮して1000の井戸を作った。そんな中アフガン人の作業員が殉職し、中村氏はおくやみに親を訪ねるとこう言われた。

「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから、本望です。全てはアッラーの御心です。」
「バラバーグ村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。私も子供の頃の仕事は、ここから二里ほどはなれた泉に飲み水を取りに行くことでした。水袋3本をロバの背に乗せて往復半日かかりました。ところが、そのうちの一袋は自分とロバで飲んでなくなり、一袋は途中で旅人に分けて無くなり、家に持ち帰るのは僅か一袋の水だったのです。」
「昨年の夏、その泉が涸れ果て、小川の水も尽きた時、ほとんどの村人は村を捨てることを考えました。バラバーグでは井戸はでないと大昔から皆信じていました。GAA(ドイツ―アフガン救援団)のボーリング井戸が一本ありましたが、五千人を養うことは不可能でした。それさえも涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも一つ二つではなく・・・・・。人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です。」(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る

この時、PMSはバラバーグ村で13か所で井戸を掘り8か所で水を確保していた。GAAの7基のボーリングは何れも失敗に終わり、PMSの手堀りだけが最終的に成功を収めていた。その13か所の作業場でPMSのスタッフとアフガンの人とはどのような連携があったのだろうか。本書の巻末にある蓮岡修氏の「現地報告」では「現地での活動は、日本人が主体になってやらねばならない」とある。

「現地で活動する国連を含めた他のNGOを見てみると、必ずアフガン人の代表者が取り仕切っており、外国人の仕事はその報告を処理しているだけであった。仕事の関係上、駐在するスタッフに会うことが多かったが、彼らは大まかな活動は把握しているものの、スタッフ一人一人の性格や、村々の位置やそこの長老の名前、物の質や値段など、活動を進める上で知っておかなければならない事に注意を払っている様子はなかった。このような現地人主体で進められている欧米系の大きなNGOで、100パーセントその能力を発揮している所はまず無かった。(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る

ここで持続性について思ったのは「魚を与えるより釣り方を教える」「井戸を与えるよりも井戸の掘り方を教える」といった単純なこと以上に、現地活動を行う者が主体となる事さらには「活動する」という姿勢を示し続ける事の必要性である。

クリントン前大統領がアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルを撃ち込んだ際にも、略奪がありました。ほとんどのNGOや外国人が逃げ出し、「どうせ戻らないのであれば・・・」と貧しい人々が備品を奪って生活のために売り払ってしまったのです。我々の事務所が略奪されなかったのは、何があっても活動を継続するという姿勢を示し続けたためでした。(ペシャワール会ホームページより)

(マエダ)

追記

引用した本のタイトルが間違っていたのを修正しました。PMSはその後、農業復興のため用水路を作り始め、間違って紹介した本は、用水路作りをまとめた本のタイトルでした。

久繁哲之介『日本版スローシティ』を眺めていると......

「欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」
(久繁哲之介『日本版スローシティ』学陽書房、4ページ)。

成程参ったなー、と思いました。

「既存事例集が提唱する「成功(活性化)の事例、その実現手法」のモデルは欧米にある。日本はその目に見える部分と、論理で説明可能な部分だけを、手っ取り早く「模倣」しているにすぎない。この「可視、論理、効率」を重視する発想が、日本のまちづくりの根底にある。一方、欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」(同)

というわけです。

物事は多層的なので、どの層を参考にするか次第で話が異なってくることはよくあります。

結論を参考にするのか、それとも文脈や情況やプロセスを参考にするのか。

とうぜん、物事は文脈や情況のなかで成り立っているものですから、結論を移植してもうまいくとは限りません。

「現在の社会・文化のありように何ら手をつけないまま、欧米都市づくりの方法や施設をそのまま導入しても巧く機能しない」(同129ぺージ)

欧米に限りません。柚子や葉っぱなど日本の事例をみてその可視的な象徴だけを移植するのでなく、システムやプロセスの次元までみなければならない。

つまり物事をいったん翻訳するという作業が必要ですから、粘り強い思考が必要になりそうです。

それとともに、私自身もそうですが理屈を詰めて考えがちですが上記のように感覚的なものも必要なので、つまり体験・経験に裏打ちされたある種の感覚、楽しさのセンスのようなものも忘れることはできません。

綾部に講演にこられた馬路村の村長もいい感じのアトモスフィア(空気)をもっておられたなあ。

世の中には名状しがたいけれど息の詰まるようなムードの漂う情況もあるし、名状しがたいけれどうきうきした創造的なムードの漂う情況もあります。

それは何なのか。私自身、世の中のたいていのことは観察可能、説明可能であってほしいので、急に聖域を持ち出したくないのですが、人間の身体や脳の生理的なものもかかわっているような気がします。

綾部里山交流大学で鹿熊勤さんのお話をうかがいましたが(2010年1月)、上勝町は葉っぱを契機として好循環のスパイラルを形成することに成功した事例であることがよくわかりました。

だから物流的なものと精神的なものをふくめて、好循環のプロセスをイメージ化しなければな、と思います。

ところで『日本版スローシティ』の著者が地方自治体のまちづくり関係者に休日の過ごし方を質問すると、男性だけでゴルフに行くという答えが圧倒的に多いそうです(同19ぺージ)。

ゴルフ場は水源維持の役割を果たしていた山林や丘陵地帯を重機で削り取って作られ、排水の影響もあわせ、植生や水質や生態系を変化させてしまいます。

ここでの文脈はこのような自然破壊としての側面以外に、ヨーロッパでの休日のすごし方が、街なかでの憩いと交流だったりするのに対して、ゴルフはないでしょということかと思います。

まちづくり、地域づくりというのは海の上に浮かんでいる氷山をみるのでなく、海を見なきゃいけなかったんだ、みたいなことでしょうか。

「現在の社会・文化のありよう」に手をつけようよ、となります。

社会・文化のありようにどう手をつけましょうか。詳しくは『日本版スローシティ』を見てください。ここでは一部分にしか言及できていませんので。カップル減少社会が焦点ですか。

綾部里山交流大学で若杉友子さんは食べ物によって人の顔が変わってくるというような話をされました。

たしかに若杉さんご自身、たしかに昔の日本人はこんな感じだっただろうなといういい感じの顔をされてます。

現代文明を抜けきらない暮らしをしていると顔にでるかもと思って、忸怩たるものがあります。

綾部里山交流大学の2010年3月の講座でお招きする吉水の中川誼美さんは、「自分自身の暮らしと事業上のコンセプトが矛盾しないこと」を理念としておられるとか。
http://www.gnew.jp/home/index.php?menu=category&catseq=109&atcseq=561

これも、成程参ったなーです。

この点、企業のCSR活動に関しても、CSRというのは企業活動の外にあるのでなく、社会的責任は経営に内在的なものであるべきという視点は重要と考えます。(新山陽子「国内農業の存続と食品企業の社会的責任」『農業と経済』2008年7月)
http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200807.html

とにかく昔風の暮らしをしてみる。そんなことから自分のなかの感覚的なものが何かしら変わっていく。でも私は理屈に傾くから、そんな過程すら理屈で解明したくなったりするんですけどね。(あさくら)