虫の知らせと根拠のない自信

|

こんな資料やあんな道具を持参したら

万一の場合に役立つのではないか

というような思いがふとよぎり、

でも時間がないとか確率が低いとかの理由で

その予感を振り払って、切り捨ててしまうと、

たいていの場合、けっきょく必要になったりします。

あとで考えると、なぜそんなことを思いついていたのか

わからないくらい微妙な精神の作用ですが、

結果的にみるととても正しかったというようなことです。

新聞に掲載されている事件の類を見ていると、

関係者は何となく危なさに気づいていながら

その虫の知らせを心のなかで黙殺して

ものごとを進めてしまったのではないかと

思えるような場合があります。

だから、「何となく危ないと思ったら、

根拠が解明できなくてもとにかく

安全側に(予防的に・回避的に)行動しようね」

ということになります。

このことと鏡のような関係にあるのが、

「根拠のない自信」ということです。

判断過程を論理的に記述しにくいにしても結論に確信のある場合、

とにかく先回りに先回りを重ねて、先手を打って行動するほうが

丁度よいので、あとから状況のほうが追いついてきます。

結果的には先手を打っておいて丁度よいくらいなので、

もし通常の行動をしていたら全然間に合わなかったな

ということになります。

古野隆雄さんは綾部里山交流大学の講義で、

「合鴨をやって失敗に失敗して何で続けて来れたか。

「根拠のない自信」ですね。

根拠のある自信は誰でももてる。

でも最後は根拠のないところで信じる以外ない。

根拠のない自信がやっぱりいちばん重要じゃないかな。」(2009年2月)

とのことでした。

別の例でいえば、「奇跡のリンゴ」ですか。

では本当に根拠はないのか。

実際には根拠はあるのだと思います。

根拠のない自信という状態では、

実証作業はこれからの仕事だけれども、

「これが必要だ」「こうあるべきだ」「こうなるはずだ」という

規範や仮説、補強材料が心の中にあるはずです。

だから確信はある。いわば「確信という虫」が

心の中にいて、実証せよと呼びかけている状態です。

いいかえますと、根拠のないとはいっても

根拠を明確に説明するための因果関係が見通せないだけです。

物事は予測的に見るのと回顧的に見るのとで

見え方が異なります。

実証しおわったあとでは、こうすればこうなる、という因果関係が

明瞭に見通せますし説明も可能です。

最初に見えている因果関係は断片的なので、「根拠のない自信」

ということになりますが、「根拠のない自信」に従って行動することが、

断片的だった因果関係をつなぎあわせていき、全体として説明可能にします。

事実と規範(「である」と「べき」)は違います。

そのはざまに行動がある。

不確実性は存在するけれども、そうした不確実性に対して

どう振る舞うべきか自体は明瞭で確定的なのです。

不確実な世の中ですが、徹底的に予防原則的に行動せねばならないし、

徹底的に規範的に行動せねばならないんだろうと、虫の声です。(あさくら)

このブログ記事について

このページは、ayabeが2009年5月31日 00:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「地域の力」です。

次のブログ記事は「「1工程多い季節」(VOL.382 2009.06.09)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0