アイデアの性質を持ったリンゴ
■1年前の「アイデアは共有できる。」で、ローレンス・レッシグの『CODE』(邦訳・翔泳社)を引用したことがありました。
http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2008/04/post-1.html
「あなたがこのリンゴを食べたら、わたしは食べられない。......あなたの消費はわたしの消費分を減らす。」(邦訳235頁)
「知的財産の場合は話が違う。......わたしがアイデアをあなたに話しても、私はそれを忘れるわけではない。......あなたの消費はわたしの消費分を減らさない。......アイデアは、根本的には、その「所有者」が消費できる量を減らすことなしに共有できる。」(邦訳236頁)
人は案外、お互いに話したことすら忘れることがありますけど、
という問題ではなく。
アイデアは排他的・競合的でないのでリンゴを半分たべたら半分しか残らない、というようにはならない。
共有可能であるし、共有すべきである。
著作権をたてにインターネット上の知的財産が過度に囲い込まれることはアイデアというものの性質にあわない、というような話でしょう。
■もちろん人の話を聞く、WEBページやメールを読む、などに少しの手間や時間は必要です。
世の中の事務処理のある部分は、情報を共有するためのことです。
どの組織でも情報を共有するのに苦心しています。
2兆円の定額給付金を配布するのに800億円の事務経費がかかったのでしたっけ。
書類化や決済など、情報を共有したり選択したりするのにかかっているコストはどれくらいでしょう。
いっそのこと何かの魔法で瞬時に脳みそのなかにあることが同期できるような仕掛けがあったら、と思うこともあります。
■部分的には、技術が解決になるかもしれません。
インターネットでは近所であろうが海外であろうがワンクリックで多人数にメールを送ることができ、電話と違ってコストも距離と連動しません。
電話は、遠くの人と話をするごとにインフラの増設が必要な訳ではないはずですが、なぜ遠くの人と話すほど通話料金がかかるのでしょうね。インターネットはケーブルのなかを情報が転送されて通っていくだけだからというのであれば、電話だって同じことでしょう。
最近の注目は同期技術なんでしょうか。
複数のコンピュータやモバイル機器が、ネットワークにつながってさえいれば、手動でなく自動で情報が同期されるようになる。
自宅のパソコンで作ったファイルを自分で自分にメールしなくても、職場のパソコンにそのファイルが出現している。
ただ困ったこともあります。共有したくない情報も共有されてしまうかもしれません。
それはクラウドコンピューティングに限らず、インターネットにはついて回ることなのですが。
コンピュータは万能でなく、共有すべき情報と共有すべきでない情報との区分をすることができないので、それは人が判断するほかないのでしょう。
つまり「である」の部分と「べき」の部分のうち「べき」論は人間の領分。
だから部分的には、技術が解決にならない。
■共有コストはインターネットによってゼロに近づくかもしれないにせよ、完全にゼロにはなりにくいわけですが、そのうえでなおかつ、間接費用はどの程度正当化されうるか、という問題は気になります。
農産物が消費者に届くまでに、流通部門の取り分が大きいので、生産者の取り分が少ないのです。
一番上の「あなたがこのリンゴを食べたら、わたしは食べられない。」という例の「リンゴ」は、食べ物のことですが、そんなに沢山の間接部門を通過しないと、リンゴという経験を消費者と共有できないか。
やっぱり直販がいいですよね。という結論ですか。
それとも、自分でリンゴを作れば流通自体要らなくて、間接費用ゼロです。という結論ですか。
それでは簡単にすぎるので、「アイデアの性質を持ったリンゴ」ってないですか。
ミリオンセラーの著者は本を100万回書いたわけじゃありません。
1回書いたらあとは印刷機が100万冊作ったわけです。
事実上、出版社と著者に入るお金を印刷機が刷っていたようなものです。
でも100万人にうどんをたべてもらうためには。
うどんを100万杯、作らねばなりません。
リンゴやうどんを食べるという経験も複製可能・共有可能にならないですか。
でも、そうしたら空気や水のようなものになって、希少性がなくなってしまうかも。
ほどよい程度にアイデアの性質を持ったリンゴ。
それは物語やコンテンツを伴ったリンゴなのでしょうか。
無茶苦茶いっていますが、それが研究課題なのです。(あさくら)
