主人公

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先週の3連休は、里山ねっとにある「幸喜山荘」が蕎麦食堂になりました。開店が決まったのは、ほんの2週間前のことでした。短い告知期間でしたが、2日半の間に200名以上の方が来られ大盛況でした。

春の里山オープン蕎麦」というタイトルには、安喰さんの「遠くの人も近くの人も、よく訪れる人も初めての人も普段着のままでお気軽に」来てほしいという思いがこもっています。実際に、遠くの人も近くの人も、里山ねっとに良く来る人、初めての人、久しぶりの人、老若男女さまざまな方に来ていただきました。

2週間前に打ち合わせした時に、私は「蕎麦レストラン」とチラシに書いたのですが、却下になり、蕎麦食堂になりました。レストランはrestaurantで、restは休息ですし、「良好な状態にする」、「回復する」といった語源があるそうですが、一方で「堂」というのは、人が集まる場所といった意味もありますので、ぴったりだったと思います。

「春の里山オープン蕎麦」は、安喰さんと宮園さんという綾部へ移住してまだ1年の若い2人の企画で、2人が主人公でした。これまで里山ねっとで様々なイベントがありましたが、要予約の企画がほとんどでした。今回、予約不要だったのは移住者の視点だからできたのかもしれません。夕方に京都市内の方から「いま仕事が終わったけどこれから行く」と電話があり、特急電車に乗ってこられた方もありました。

「主人公」というのは、禅の言葉にあるようです。

瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられたというのです。
ここでいう主人公とは、家庭の主人のことではありません。もちろん、会社の社長でもない。人間一人ひとりの主体的な人格のことです。
私たちは、本当の自分というものをとかく見失いがちです。とくに今日、私たちをとりまく環境からくる刺戟はたいへんなもので、外のものに目を奪われている間に、自己を喪失しやすくなっています。そこで、いつも主体的な自分というものを、はっきりと自覚していなければなりません。「おい、主人公、目を覚ましているか」とみずからを覚醒しなければならない。
盤珪(ばんけい)禅師はこういわれています。
主(ぬし)と申さば一切に自在なるところの名じゃ。自在とは自ずから在るということではござらんか。
主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在でいることをいいます。また、自在ということは、自ずから在るということで、力まず、自然に無心な己れ自身であることです。(臨黄ネット-主人公-無門関より)

「堂に入る」という言葉があります。学問や技芸がすぐれていることで、この食堂も、安喰さんと宮園さんのキャリアと技があってのことですが、安喰さんが仰っているとおり、彼らができることやりたいことを提案されたもので、安喰さんと宮園さんの自由自在の場であったと思います。

願わくば二人に、春だけじゃなく、いろんな季節の企画を開いてほしいですが、オープンうどんでも、オープン茶漬けでも、新たな主人公が新たな企画を提案いただければ嬉しく思います。

以前にも書きましたが、私としても決して「応援」という客体でなく、自分自身にも「おい主人公!」と呼びかけて、一緒になって取り組んでいきたいと思っています。(マエダ)

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このページは、ayabeが2009年3月24日 23:30に書いたブログ記事です。

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