情報を発信するだけですか(VOL.369 2009.03.09)
情報発信というのを「情報発信」と鉤括弧つきで使いたくないですか。
もちをつくといっても、米をついた結果としてもちができるので、
もちがあってそれをきねでつくのではないです。
情報を発信するといっても、最初から情報があってそれを発信するのか
というと発信しようとする行為があって情報がある感じです。
つまり「情報発信」の前提としてまず情報を創造する過程があるので、
それで「情報発信」と鉤括弧つきで使いたいのです。
理由はもうひとつあって、情報といっても実際には論証であったり発見であったり
提案であったりするわけでしょう。
インフォメーションというよりアイデアという感じではないのかなということです。
ブログだって、歯を磨いて寝たというような日記がブログの本懐ではないはずで、
ジャーナリズムであり調査報道であり、時々刻々の動きを調査検証していくのに
ブログのフォーマットが適していたということがひとつあるだろうと思います。
さらにいえば発信というとベクトルが一方向な感じですが、本当は相互作用であるわけで、
対話や弁証という感じが近いような気がします。
そもそも発信があるからには受信があるのですが、受信にも受信の仕方というものがあるので、
発信と受信のいずれをも包括するものとしてメディア・リテラシーという考え方があるわけでしょう。
スローフードというのはゆっくりごはんをかんでたべるのではなくて、
ファストフードの背後にあるグローバリゼーションに対して、それでいいんですか
という問題提起があるはずですが、メディアについても、
「それでいいんですか」という立脚点をもつことは大切ではないでしょうか。
ハンバーガーがどういう経路で手元に届いているのかを考え直すように、
たとえばテレビや新聞の情報がどのように作られて目の前にあらわれているかについて考え直す。
早い話、テレビCMを洪水のように浴びるのは
ファストフードを浴びるように食べるのと同様のことですよね。
だからこそ自給自足というのは食物の自給自足だけでなく
アイデアの自給自足やアイデアの自律性ということがターゲットになるのだと思います。
この大風呂敷はもっといろいろと広がる風呂敷なので、
「情報発信」はとりあえず私の中では鉤括弧つきなのです。(あさくら)
