納得の収支計算ということ(VOL.365 2009.02.15)
■綾部に近い日吉町にある森林組合の湯浅勲氏。
http://www.ringyou.or.jp/publish/detail_507.html
2009年2月のNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」に登場されました。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090203/
「現場作業員たちの犠牲の上に自分たちの生活があり、しかも本来の仕事である森を守り育てる事業は一切行っていない。これでは、心が納得しない」。
「心の底からその仕事に思い切って打ち込めるかどうか。自分の命を賭けるとか、人生を賭けるとか、そういうことをやっても、それで心の底から納得している人。」それがプロであると。
プロの定義を議論すること自体は目的にしなくていいでしょう。それよりも納得をベースに生きることがいかに大切か、ということを番組全体を通じて考えさせられました。
■納得できないことでも有無なくやってみることでみえてくるものもあります。しかしそもそも人間は納得できないことには気が進まない傾向があるものです。
納得できない割り切れなさ、無理が通れば道理が引っ込むという感覚は、潜行し、何らかの負の代償(compensation)をもたらさずにはおきません。
すると、納得できないことを実行する時点で達成度が低下していますし、代償によるマイナスも加わりますので、差し引きするとかなり半端な結果になりえます。
納得のうえでのほうが、結局は通常の意味での収支計算も合うということはないのでしょうか。
■「収支計算」というとおかねの話のようですがそれ以外の収支計算もあります。おかねをふくめていくつかあげてみましょう。
1.貨幣の収支計算
2.環境の収支計算
3.心の収支計算
現代社会では貨幣の収支計算が覇権をとっていますので環境の収支計算や心の収支計算はあっていません。
心の収支計算のなかでも重要ではないかと感じるのが納得の収支計算です。
人に与えられる情報というのは実(じつ)のある情報もあれば形式的なものもあります。「嘘も方便」という慣用句があったりしますが、人は不完全情報のもとでは自由にかつ確信をもってふるまうことはできないので、完全情報のもとで(あるいは自分は完全情報のもとにあるという理解のうえで)はじめて怖れなくふるまうことができます。
これは人間の自我というものの存立が世界や社会における現在位置の確認、および未来への予期というものと不可分の関係にあるからと考えられます。
■諸富徹氏の『環境』(岩波書店)は、Social Capitalの議論に重点を置いています。なぜ環境のことに社会の議論が重要なのか。
あえてここで述べてきた文脈に引き付けて考えれば、社会は人間の心の相互関係でつくられているので、環境経済学とはいっても貨幣の収支計算だけでなく心の収支計算、社会の収支計算も重要なのだろうということになります。
「これでは、心が納得しない」。みんなそう感じていることでしょう。
もちろん社会は個人の心の総和ではありません。逆説的な関係もあります。だからこそ、一人一人の思いが堰を切ったように歌いはじめることができるようにするためにはどうしたらいいかを考えたい、そう思いました。
(あさくら)
