中村禮子さんを偲ぶ

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2008年9月中村禮子さんが生まれ育った小倉でガンで亡くなりました。中村さんは2007年4月から2008年8月まで綾部で過ごされました。

里山ねっとに最初に電話してこられたのは、綾部市の限界集落で地域活性化に取り組むニュース報道をみられてのことでした。

質素な生活を望まれる方でしたが、後に遺族からお聞きしましたところ、被災地に多額の寄付をなさるような方でした。限界集落で何かお手伝いをできないかと思われたのです。

2007年4月1日にかばん一つで綾部に来られ、2週間ほど里山ねっとの宿泊施設に滞在されました。ちょうどその頃に北海道と鳥取からそれぞれ一人旅で若い男女が里山ねっとに1週間ほど泊まりに来られていましたので、3人で仲良く自炊をしたり、綾部巡りをされていました。

2007年の4月というのは、里山ねっとが管理している綾部市里山交流研修センターが本格的に宿泊業をスタートさせたときで、私を含め二人の職員が正式に働き始めたときでした。

彼女に里山ねっとを気に入っていただけたのか、それともまだ動き始めたばかりの里山ねっとに彼女にとってやるべき仕事がたくさん見つかったのかもしれません。それから彼女は里山ねっとの近くに住み、毎日のように里山ねっとに来て、掃除をし、花を活け、手芸品を飾り、草むしりをし、雪だるまをつくり、私の気付かないところに彼女の真心を振りまいていました。

里山ねっとにある二宮金次郎の石像の手入れをされ、尊徳の哲学が「勤勉」だけでなく、「分度」「推譲」であるという事も教えてくださりました。今思い返す中村さんの姿は「勤勉」「分度」「推譲」を兼ね備えたものです。

里山ねっとが借りている駐車場にある大きなメタセコイヤの木は秋になると大量の枯葉を落とします。そしていよいよ木が裸になったとき、中村さんが風のように現れ、広い駐車場をほうき一つできれいにしていく。彼女はこの季節にずっとメタセコイヤは駐車場を散らかし肩身の狭い思いをしていたと言う。でも夏には駐車場にすずしい木陰を与えてくれていたんだよと。

里山ねっとの周辺だけでなく、彼女の住む小畑町でも草取りなどはもちろん、同じようにふるまっておられたと思います。なぜなら私や里山ねっとのスタッフが彼女を愛するように、彼女の行く先々で彼女は愛されていました。そして彼女もまた小畑町や綾部市民病院など行く先々の人のことを「良くして下さる」とおっしゃっていました。

中村さんの綾部に来られるまでのことを詳しくは分かりませんが、遠くから中村さんを訪ねてこられる人を見れば分かります。里山ねっとのお客様に対しても同じです。彼女はユニークでユーモアもあり、誰からも愛されていました。

私の個人的な楽しい思い出や感謝や後悔などが錯綜して、どんな言葉で表現するべきか、正直ここに何を書いてよいか分かりません。ただ里山ねっとで多くの時間を過ごしていただき、里山ねっとがお付き合いさせていただいている多くの方に、彼女の死を伝えるべき人がたくさんいるのではないかと思いながら、それを果たせるすべもなく、これまで忙しさにかまけて小倉に行き確かめることもせずにいました。

彼女は彼女の愛した犬のお墓のある小倉で、キリストの元に召されました。中村禮子さんの安らかな永眠をお祈りいたします。(マエダ)

中村禮子さん 里山ねっとにて

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このページは、ayabeが2009年2月11日 08:22に書いたブログ記事です。

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