2009年2月アーカイブ

「グッド交流デザイン賞」

 

2月20日~22日の2泊3日で開催された
綾部里山交流大学(交流デザイン学科)2月講座を終え、

2008年度の日程が無事終了しました。

全国各地から熱い受講生のみなさまが
たくさん綾部に集ってくださいましたが、

あらためて感じるのは

人はなぜ出会うのか

ということです。

■綾部に近い日吉町にある森林組合の湯浅勲氏。
http://www.ringyou.or.jp/publish/detail_507.html

2009年2月のNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」に登場されました。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090203/

「現場作業員たちの犠牲の上に自分たちの生活があり、しかも本来の仕事である森を守り育てる事業は一切行っていない。これでは、心が納得しない」。

「心の底からその仕事に思い切って打ち込めるかどうか。自分の命を賭けるとか、人生を賭けるとか、そういうことをやっても、それで心の底から納得している人。」それがプロであると。

プロの定義を議論すること自体は目的にしなくていいでしょう。それよりも納得をベースに生きることがいかに大切か、ということを番組全体を通じて考えさせられました。


■納得できないことでも有無なくやってみることでみえてくるものもあります。しかしそもそも人間は納得できないことには気が進まない傾向があるものです。

納得できない割り切れなさ、無理が通れば道理が引っ込むという感覚は、潜行し、何らかの負の代償(compensation)をもたらさずにはおきません。

すると、納得できないことを実行する時点で達成度が低下していますし、代償によるマイナスも加わりますので、差し引きするとかなり半端な結果になりえます。

納得のうえでのほうが、結局は通常の意味での収支計算も合うということはないのでしょうか。


■「収支計算」というとおかねの話のようですがそれ以外の収支計算もあります。おかねをふくめていくつかあげてみましょう。

1.貨幣の収支計算
2.環境の収支計算
3.心の収支計算

現代社会では貨幣の収支計算が覇権をとっていますので環境の収支計算や心の収支計算はあっていません。

心の収支計算のなかでも重要ではないかと感じるのが納得の収支計算です。

人に与えられる情報というのは実(じつ)のある情報もあれば形式的なものもあります。「嘘も方便」という慣用句があったりしますが、人は不完全情報のもとでは自由にかつ確信をもってふるまうことはできないので、完全情報のもとで(あるいは自分は完全情報のもとにあるという理解のうえで)はじめて怖れなくふるまうことができます。

これは人間の自我というものの存立が世界や社会における現在位置の確認、および未来への予期というものと不可分の関係にあるからと考えられます。


■諸富徹氏の『環境』(岩波書店)は、Social Capitalの議論に重点を置いています。なぜ環境のことに社会の議論が重要なのか。

あえてここで述べてきた文脈に引き付けて考えれば、社会は人間の心の相互関係でつくられているので、環境経済学とはいっても貨幣の収支計算だけでなく心の収支計算、社会の収支計算も重要なのだろうということになります。

「これでは、心が納得しない」。みんなそう感じていることでしょう。

もちろん社会は個人の心の総和ではありません。逆説的な関係もあります。だからこそ、一人一人の思いが堰を切ったように歌いはじめることができるようにするためにはどうしたらいいかを考えたい、そう思いました。

(あさくら)

2008年9月中村禮子さんが生まれ育った小倉でガンで亡くなりました。中村さんは2007年4月から2008年8月まで綾部で過ごされました。

里山ねっとに最初に電話してこられたのは、綾部市の限界集落で地域活性化に取り組むニュース報道をみられてのことでした。

質素な生活を望まれる方でしたが、後に遺族からお聞きしましたところ、被災地に多額の寄付をなさるような方でした。限界集落で何かお手伝いをできないかと思われたのです。

2007年4月1日にかばん一つで綾部に来られ、2週間ほど里山ねっとの宿泊施設に滞在されました。ちょうどその頃に北海道と鳥取からそれぞれ一人旅で若い男女が里山ねっとに1週間ほど泊まりに来られていましたので、3人で仲良く自炊をしたり、綾部巡りをされていました。

2007年の4月というのは、里山ねっとが管理している綾部市里山交流研修センターが本格的に宿泊業をスタートさせたときで、私を含め二人の職員が正式に働き始めたときでした。

彼女に里山ねっとを気に入っていただけたのか、それともまだ動き始めたばかりの里山ねっとに彼女にとってやるべき仕事がたくさん見つかったのかもしれません。それから彼女は里山ねっとの近くに住み、毎日のように里山ねっとに来て、掃除をし、花を活け、手芸品を飾り、草むしりをし、雪だるまをつくり、私の気付かないところに彼女の真心を振りまいていました。

里山ねっとにある二宮金次郎の石像の手入れをされ、尊徳の哲学が「勤勉」だけでなく、「分度」「推譲」であるという事も教えてくださりました。今思い返す中村さんの姿は「勤勉」「分度」「推譲」を兼ね備えたものです。

里山ねっとが借りている駐車場にある大きなメタセコイヤの木は秋になると大量の枯葉を落とします。そしていよいよ木が裸になったとき、中村さんが風のように現れ、広い駐車場をほうき一つできれいにしていく。彼女はこの季節にずっとメタセコイヤは駐車場を散らかし肩身の狭い思いをしていたと言う。でも夏には駐車場にすずしい木陰を与えてくれていたんだよと。

里山ねっとの周辺だけでなく、彼女の住む小畑町でも草取りなどはもちろん、同じようにふるまっておられたと思います。なぜなら私や里山ねっとのスタッフが彼女を愛するように、彼女の行く先々で彼女は愛されていました。そして彼女もまた小畑町や綾部市民病院など行く先々の人のことを「良くして下さる」とおっしゃっていました。

中村さんの綾部に来られるまでのことを詳しくは分かりませんが、遠くから中村さんを訪ねてこられる人を見れば分かります。里山ねっとのお客様に対しても同じです。彼女はユニークでユーモアもあり、誰からも愛されていました。

私の個人的な楽しい思い出や感謝や後悔などが錯綜して、どんな言葉で表現するべきか、正直ここに何を書いてよいか分かりません。ただ里山ねっとで多くの時間を過ごしていただき、里山ねっとがお付き合いさせていただいている多くの方に、彼女の死を伝えるべき人がたくさんいるのではないかと思いながら、それを果たせるすべもなく、これまで忙しさにかまけて小倉に行き確かめることもせずにいました。

彼女は彼女の愛した犬のお墓のある小倉で、キリストの元に召されました。中村禮子さんの安らかな永眠をお祈りいたします。(マエダ)

中村禮子さん 里山ねっとにて

「場所と修行と」

 

荷物を車に積み込んで、京都市内から
綾部の実家に戻ったのは

1999年1月末、33歳のことでした。

27号線の美しい雪景色のなかをゆっくり走りながら
まるでスキーへ行くみたいと思ったものです。

わくわくとどきどき。

これから始まる綾部生活はそんな感じでした。