確率としての生をいきること (VOL.363 2009.01.27)

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・歴史の授業で経済史や法制史や政治史にかかわることを「単語として」教えられても、その「意味」は明示的には教えられず、あとで「なんだそういうことか、最初から意味や文脈を教えてよ」と思うケースは多々あります。

・理科の授業では波動が出てきて、波に関する計算は習います。でもなぜ波の議論が必要なのかという意味は? 音や光や電波の利用は現代社会において事実上不可欠ということもありますし、光は粒子か波動かという議論などを通じて、物理学史の興味深い流れを知ることもできるはずだけどなと思います。

・統計や確率もそうで、ありうるパターンの総数を数えてみたりという基本的な計算技術は習いますが、サンプルから全体を推定するとか、傾向から未来を予測するためにそれが必要であるという意味とか、リスクや事故について考えるにも確率が必要とか、色々な必要性があるのであれば最初から教えてほしいな、と。あるいは最初から教えられていたのにこちらが気づかなかったのかしらん。

・前置きが長いですが、ともかく齢を重ねれば重ねるほど、人の生というのは確定的な因果関係に沿って動いているというよりは確率的なものだなという感じがしてきませんか。自分の生は確率の雲のようなものでできていて、その潜在的な可能性の一部分が確率的に実現しているのが実際の生であると。

・テストの合否ライン上に多人数の集団がある場合、合否を決めるのは採点上の誤差の範囲の違いだったりするかもしれません。でも合否はオールオアナッシングで決まります。あるいは野球のバッターの評価は、「いざという時に強い」などの要素もありますが、一般的には打率という確率で考えます。これはどんな名手でも三割とかで、四割はまず越えません。つまり母数が増えるほど大体同じあたりに落ち着いてきます。野球の選手が練習をしているのは、どういう投球に対してどういう打ち方をするかという確定的な要素もあるでしょうが、全体としては確率を高めるために練習しているものだと思います。違うかな。でも不思議なことに全員ではないにしてもある部分の打者は確率を高めることに成功しています。

・仕事でも、確定的な因果関係では不要に見えることでも、勘に従って手を打っておくと、思いがけず役に立つことがあります。あるいは当たり外れがわからないことでも、黙っていれば何もなかったのと同じですが、発言しておけばあとで、先見の明があったということになったり。もちろん逆のパターンもあるのですが。

・ともかく人間の生は多様でありうる。「ラストエンペラー」は皇帝であり、捕虜であり、庭師であり、映画の最後ではコオロギに象徴されていました。ここにはメタモルフォーゼ(転生)というテーマが打ち出されていますが、時系列的にでなく現時点での同時態として、別の自分がどこかで違う生を生きているという考え方はあってよい。

・確率としての生をいきているという自覚からうまれるのが、お互い様という感覚でありシンパシー(共感)であってほしい。人生は入れ替え可能であり個々の生は確率的に異なっているだけであるとすれば、今は困っていない人もいつ困ったことになるかわからないからです。今の労働をめぐる状況にはこの感覚が決定的に欠けているのかもしれません。キーワードは「立場可換の想像力」。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98

・以前、「田舎暮らしを選ぶということも、実は文脈を選んでいるのです。田舎という場所に暮らすだけなら、もともと多くの人が住んでいます。そうではなく自分で選択した生き方をするということ。それを選んでいるのです」と書いてみました。
http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2008/11/post-22.html

・選ぶことを選ぶ。でもどれだけ選べるか。半分は確定的に選べますが、残り半分は確率的かもしれない。でもバットを振らなければ打率はゼロ。収穫は天候次第ですがともかく種を播きましょうと。もちろんそのためにも、試行錯誤を可能とするような(エラーでおしまいとならないような)クッションが必要なので、人間社会がこんなにクッションのない状態になってしまったら、あとは先人がいったん開拓し、現代人がそれを荒らしてしまった自然の包容力・再生産能力をふたたび開拓して、扶養力を取り戻していくことも考えねば、というようなことも思います。

・人生は確率であるという感覚、確率を高めるために何かできることがあるという感覚。田舎の風光のなかに立ってそんな感覚が芽生えてこないかな、なんてことをちょっと考えました。(あさくら)

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このページは、ayabeが2009年1月27日 22:36に書いたブログ記事です。

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