2008年10月アーカイブ

2008年4月の記事で、アイデアというものの性質について考えました。
http://www.satoyama.gr.jp/mt/weekly/2008/04/post-1.html

アイデアや情報は共有できる。これが人間の能力を拡大してきた特質です。

ところで「おかね」の価値というものも、アイデアであり、情報であり、ルールであり、信用であり、共同幻想であり、いずれにしても人間の頭脳のなかの存在ですね。 

おかねとして使われている金属や紙きれは、物体としては金属や紙きれ以上のものではありませんから。 

価値を蓄積する「おかね」というルールを使うことで、変動の多い自然や社会の動きに柔軟に対処することも可能になります。

しかしこの、情報の自由さという性質は、おかねに関しては諸刃の剣だなあと考えざるをえないですね。情報の自己目的化というべき事態がおこります。

もともと本当に生産というべきものは自然の力にもとづくものだけで、資源や材料を加工して製品にすることは生産でなく実は自然が生産したものの消費ですし、おかねという情報の処理は人間社会のなかのできごとです。

ところがその情報処理の部門で取り扱われる情報がふくらんで、ものごとを大きくコントロールする力をもつようになります。

いわゆる「南と北」の問題は典型ですし、それぞれの国の内部でも、資源と力の遍在があります。

「カネすなわち貨幣はなぜこれほどまでに人を堕落させ、腐敗させるのか。貨幣はなぜこれほどまでに権力的に振る舞いうるのか」(河宮信郎・青木秀和『公共政策の倫理学』丸善2002年pp.214)というのは人類の長い課題でしょう。

現物の価値に対応したおかねよりも情報としてのおかねの動きがはげしくなっています。

ゲームに参加することである時点での価値よりも次の時点での価値が高くなると信じられる時点においては、多くの人がそのゲームに参加するのでどんどん価値が肥大化します。しかし前提が崩壊すれば蟻を散らすようにみんな逃げますから、価値が崩壊します。

特に巨大な天変地異が連続した訳でもないのに2008年10月の数週間において巨額の価値が飛んで消えました。
http://www.news.janjan.jp/living/0811/0811040803/1.php

「年金」にしても、人に情報を預けておいたら情報が好きなように操作されてしまいました。

政治や経済はお約束を前提とした世界ですので、お約束が崩壊すれば、多くの人が普通に生きていくことすら困難な状態が出現することも考えられます。

もちろん物々交換にすら数字や情報は必要です。ただ、現在のおかねのあり方は抽象化や手段の目的化が進行しすぎているようです。

もっと人間の生存に密着した交換のあり方をローカルな現場から考えていきたいですね。

そのとき、人間の社会の内部だけ見るのではなく、本質的に価値の源がどこにあるかを考えたいのです。

価値の源は社会の外、自然にある。あるいは社会と自然の間にある。

そんな経済学も必要なのでは。里山経済学、なんてどうかなと。

アメリカの環境経済学者ハーマン・デイリーの三原則として知られている持続可能性の基準は以下のとおりです。

(1)"再生可能な資源"の持続可能な利用の速度は、その供給源の再生速度を超えてはならない。
(2)"再生不可能な資源"の持続可能な利用の速度は、持続可能なペースで利用する再生可能な資源へ転換する速度を越えてはならない。
(3)"汚染物質"の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を越えてはならない。
(※メドウズ他『成長の限界 人類の選択』より抜粋)

これにならうと、人間界で流通する貨幣価値の総体は、自然が人間にわけあたえてくれる価値の総体を超えてはならない、というようなことを構想してみたくなります。

おかねに関する議論は非常に難しく、不正確なところもあるでしょうが、あえて思うところを書いてみました。

(あさくら)

京都国立博物館長だった興膳宏氏は以前(2004.4.25)日経新聞にこう言うことを書かれた:「観光」の語は、『易経』に始めて見える。「国の光を観る。用て王に賓たるに利あり」とあるのがそれである。「国の光を観る」とは、国の盛んな繁栄の様を観察するということ。そうした輝かしさにあこがれて、多くの人々が国王の賓客になろうとする。首相は新年の施政方針演説で、外国人を対象とした「観光立国」の政策を推進すると述べた。それはよいが、そのためには国が応援団ではなく、当事者であるとの立場をよほど自覚してもらう必要がある。 Letter from Yochomachi2008年9月27日

当NPOでは、地域活性化をになうべきいろんなイベントを開催していますが、ときどき自らの活動を「地域が主役」とか「地域の応援」といってしまうことがある。これは一見奇麗事のように聞こえるかもしれないが、逃げ口上のようにも思えた。われわれもまた地域の一員であり、どんな協働事業であっても、われわれも一役を担っている以上は主体として輝かなければならない。(マエダ)

「里山ブリコラージュ2」


このウィークリーメッセージで
「里山ブリコラージュ」について書いたのは
2005年3月22日(vol.200)のことでした。

ウィークリーメッセージはもう350号くらい、
メッセージを重ねてきているので
過去の拙文はだんだん忘却していますが、

「里山ブリコラージュ」については印象深く、

かなり究極のテーマだと感じているからか
よく覚えています。

3年半前の気持ちを思い出すために再掲しつつ、
いまの気持ちをまとめることができたらと思います。

以下は当時記した「里山ブリコラージュ」です。

綾部市里山交流研修センターのある鍛治屋町は川の源流域のなだらかな台地にあり、谷川の水流は乏しいのです。

しかし八塚という地点の台地は上部まで水田として開拓されています。

初めてこの階段状の台地を見上げた人は、水田用の水がどこから来ているのかと不思議に思うことでしょう。

台地より上手にある空山という山の麓の谷に池があり、その堤防の端から等高線に沿うように水路が引かれて、八塚台地の水田に水を供給しているのです。

微妙な勾配で水を引いた昔の人の工夫に感心させられます。

空山という大きな山は富士山状の景観を提供しているだけでなく、おそらく鍛治屋町付近の水源涵養の機能も果たしているのでしょう。


「地元学」のキーワードのひとつは水だろうと思います。

国土地理院の地形図に小川のレベルまでは描いてあるのですが、井戸や湧き水や田畑の水路までは網羅されていません。

田畑や集落の分布から、隠れた機能を果たしている水流の脈動をききとることはある程度できそうですが、最終的には足で現場を歩くほかないでしょう。

「水の行方をみんなで調べていったら、これも面白かった。村の風景・佇まいは、水が作っている。農業用水路より下に田圃があって、用水の行かない上に、だいたい畑とか家がある。竹とか栗とか雑木山とか。水が作っている風景ですね。私はそれをいま「水の景」と呼んでいる。秩序があるのです。......水を調べていったらなぜそこにこういうたたずまいが生まれたかということがわかる。」

と、熊本の吉本哲郎さんは語りました。(「綾部里山交流大学2008」9月講座)


綾部市上林の五津合町に清水という村があります。昔は出水とも書いていました。谷の出口に扇状地状の堆積があり、その端から湧水があるものと思われます。

地滑りで透水層が露出すると、地下水の湧出がみられるので、地滑りの跡にも集落が立地することがあります。

このようにして水の在処をみつけて人は住み、田畑を開拓してきました。はるか先史時代に見いだされた水の在処に人が住み続けている場合もあろうと思われます。

水流の存在は自然のものも人工のものも含めて、里山の風景の節目をなしているようです。従って、「人の健康は血のめぐりだろう。地域の健康や元気は、水のめぐりだ。」(吉本さん)という指摘にも頷けます。


新潟の関原剛さんも、「クニの地形的な発生差異」についてのお話のなかで、ひとつの水系のまとまりに規定された卵形の盆地はクニとして機能しやすいと指摘されました。(「綾部里山交流大学2008」9月講座)

この卵形の盆地ということのモデルが、中ノ俣に象徴される上越市付近の村々にあることは明らかと思われます。

中ノ俣は海の近くにありながら、下流から川を遡って行くことは容易でなく、むしろ山を越えてアクセスするしかない袋状の盆地です。地図をみるとひとつの小宇宙を作っていることがわかり、ハッとさせられます。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=370614&l=1380923

京都では丹後半島に似た雰囲気の地形がありますが、綾部の上林谷もひとつの小宇宙といえるかもしれません。


吉本哲郎さんは今回綾部入りされた際、ここには「水の景 風の景 土の景 光の景」がある、心を動かされる風景があると感じられたそうです(同上)。

地質図や植生図、遺跡地図や住宅地図はある。しかしまだ綾部の水の地図は作られていない。村人の一人一人は心の中にイメージを持ちつつも、まだ可視化されていない、そんな情報です。

それぞれの村で、小宇宙の地図を作る。そんなところから、「水源の里」をはじめとする村々の再生に新しい展開があるかもしれないと思います。(あさくら)

里山ねっとでパン焼きを体験された中学生が、近隣でスズメバチに刺されました。すぐに病院へ運んでくださったり、里山ねっとにご連絡していただいた近隣住民の方々、救急車を呼んでで呼び来るまでの間に応急していただき里山ねっとにおられた、パン作りの先生やスタッフ、いざという時のために予てより、薬としてアロエを植えていただいていた里山ねっと関係者、病院に駆けつけ状況をご連絡いただいた議員さん、大声をだして走り回られて、刺されていない生徒の安全確保をされた引率の先生、刺された生徒が休めるように椅子を運んできたり刺された生徒の名前を書いて報告してきた中学校の生徒、この事故の教訓について重大さを刻んでいただいた、警察、マスコミの方々、刺された生徒の対応された救急車の方、里山ねっとにいた市職員の方、普段静かな中山間地で多くの人間が、人間の英知と繁栄と安全に団結した姿に涙が出そうになりました。

人類先祖代々より、危険を回避すべく英知を築き伝えてきたことを否定することは出来ません。医療技術にしても、農薬にしても、高い技術であるほど副作用など多くの犠牲を払ったかもしれません。工業技術でなくとも、フグを食べるという日本人の食い意地も多くの犠牲の上で、満たされているはずです。危険回避の末、都市を築き上げたとすれば、多くの危険が残されているというのも田舎だといえるのかもしれません。

里山ねっとでこれまで山林に入るような活動をする際に、白っぽい長袖長ズボンをはき、白っぽい帽子をかぶるように指導をするようにしているのも、人類の英知です。しかしながら、人類は失敗も繰り返しています。都市生活は危険を忘れさせている面も否めません。危険を回避するために、私が子供のころに体験した林間学校などの行事を回避する傾向もある中で、自然教育をされている所を尊重したい気持ちも強くなります。

蜂に刺された場合に、危惧されるのは、2度目のアレルギー反応です。現在では、食品や動植物のアレルギー特性を詳しく検査できるようになったのも人類の英知です。蜂に刺された生徒たちは、皆、無事に帰られたということですが、ぜひ、アレルギー検査をしていただきたいと思います。

この夏、里山ねっとの敷地内でもハチに刺された方が複数ありました。そのうち一人が私で、おそらくアシナガバチだったと思います。夏の間は自然体験などで都市部から見える方も多く、敷地内の蜂の巣については駆除もしました。裏山については、徹底的な駆除も検討しましたが、たとえ当該アシナガバチの巣を見つけ出したところで、ミツバチでもアレルギーを起こす方はいらっしゃいますし、軒下の蜂の巣ならともかく、小さな裏山であっても、きりがありません。

自然は、手を加えるとたちまち自然ではなくなります。日本人は、杉を大量に植えたということで、スギ花粉のアレルギー患者を大量に出すという不自然を生みました。あるいは熊による被害の増加も、人間へのしっぺ返しという言われたりしています。はちのこをたべる自然を残した本州内陸部では、蜂や熊や蛇に対する、人類の英知の伝播が行き届いています。

自然体験を行う里山ねっととして、そういった英知を知りながら、伝え切れなかったのではないかという事に反省しています。(マエダ)