この山河、田畑(VOL.343 2008.09.10)

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田舎ぐらし情報センターに「豊里村誌」が置いてあり、別の探し物をしている時、そのひときわ古い書物を初めて手にとりました。この本は昭和30年に豊里村が綾部市へ合併した際に作られたもので、当時の村勢や歴史が記されていると同時に、ところどころにさびしさがちりばめられていました。

六、開村式 式辞(村長式辞)
(略)斯くして永年呼び馴れ親しみ来つた何鹿郡と言い、豊里村という言葉と永久に別れることになり、惜別の情禁じえないものがあります。 然し今や綾部市に合併するとも、昔ながらの山河、田畑は形象を革めず現存しているのであります。(略)豊里村長 田中俊一郎
七、合併を祝う 綾部市長 長岡誠
(略)殊に豊里村を故郷とする私は、四年前に市制を布くに当つて、故里の山河がその合併に参加していなかつたことは限りない淋しさでございました。(略)
編集後記
(略)よしそれが発展的解消であるとはいえ、一抹の淋しさを感ぜざるを得ない。(略)

この綾部市への合併は、昭和28年に施行された町村合併促進法による、いわゆる昭和の大合併のなかに数えられるものであるが、6年さかのぼること昭和24年に実現された、以久田村と小畑村の合併の経過も記されている。

以久田村、小畑村両村合併経過
元小畑村は比較的面積広く、一戸当りの経営面積も田畑合せて七反余、農業経営に於ても積極性を帯び戸数三百足らずの小村ながら、ほかの町村と伍して一村の体面を続けてきた。
然るに終戦後諸種の事情は戸数三百足らずの小村をもつて、今後の町村経営を続けて行くことに、種々困難を生ずることを感じた時の村長は、就任早々村会と共に合併の可否を論議した。その結果現在に於いては、この小村を維持して行くことは困難とは思われないが、今後の見通しとしては必ずいきつまる時がくる。(略)

明治4年の廃藩置県では3府302県となり、当時は綾部県が存在していたが、年々合併が行われ京都府に丹波国の一部が組み込まれたのは明治4年11月のことで、以降、69県(明治5年(1872年))、60県(明治6年(1873年))、59県(明治8年(1875年))、35県(明治9年(1876年))と合併が進み(府の数は3のままである)、明治14年(1881年)の堺県の大阪府への合併をもって完了した。だが、今度は逆に面積が大き過ぎるために、地域間対立が噴出したり事務量が増加するなどの問題点が出て来た。そのため、次は分割が進められて、明治22年(1889年)には3府43県(北海道を除く)となって最終的に落ち着いた(Wikipedia)

明治13年に制定された郡区町村編成法を廃止し明治21年から約60年間続いた市制、町村制は昭和22年に制定された地方自治法に取って代わり、以降は地方分権の流れによって、市町村は大きく再編されて行った。昭和25年には綾部市の市制施行に伴い綾部町と中筋、吉美、西・東八田、山家、口上林が合併し、以久田村と小畑村の合併はその一年前の昭和24年に行われた。この合併に奔走された村長による当時の随想も掲載されている。

合併随想 村上義徳
(略)(小畑村と以久田村の合併について)私は、丁度娘を嫁にやつた様な気分です。と答えました。(略)悲しいのではありません。一種のさみしさなのです。(略)

1年半前に一人の女性が小畑町に移り住まれた。里山ねっとの実質にとっては一部をなす存在となり、小畑町内においても、その地域活動などを通して、皆さんに愛されていた。半年前に彼女が旅に出られたときに、彼女の周りにはもう帰ってこないのではと思うものもあったが、ケロッと戻られ旅行について聞くと「早く小畑に帰りたかった」とおっしゃったのは嬉しかった。

先月の終わりに事情があり彼女は遠い生まれ故郷に戻ることとなった。悲しくもあり、さびしかった。村上村長が悲しいのではないとおっしゃったのは、そこに希望があったからであり、彼女はまた別の土地でも愛される存在となり、彼女の生まれ故郷もまた、彼女にとって愛する場所となる希望があるのだ。悲しいことと思うべきではない。

「豊里村誌」に書かれているさびしさは、当時の人々の心象であろうけれど、僕はこの地の山河や田畑がさびしいと言っていると思えてならない。さびしいという言葉はネガティブな語に感じられるが、わび・さびに対する美意識を日本人が持ったということは、さびしい中にも希望が存在し続けると思う。(マエダ)

PS.彼女の出て行った家に新しく移り住む方が現れました。


引用中、旧漢字は随時新漢字に直した。旧かなづかいはなるべく再現をこころがけたが、入力ミスもあるかもしれませんので2次利用はご注意ください。引用元は記載がない限り「豊里村誌」である。

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このページは、ayabeが2008年9月10日 00:15に書いたブログ記事です。

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