We are here.
というのが群言堂の社是なんだそうです。
石見の松場登美さんが、
再び綾部にこられまして、お話しをききました。
http://www.satoyama.gr.jp/topix/2009/12/2010219.html
2008年の綾部里山交流大学のときにいちどおいでいただいたので、
再びと書きました。
We are here.
というのはそのまま単純に学校の英語テスト的にみれば
私たちはここにいます
というような直訳になったりしそうですが、ここではやはり、
私たちは意図して(目的として)ここを選び、しかるべくして住んでいます、
ここが私たちの選んで生きる場所だ
というような万感の思いがこもっていてほしいわけです。
Weもareもhereも英語の習い始めの時期に習うような基本的語彙ですが、
基本的語彙であるだけに、人間の存在そのものにかかわってくる意味をもってきます。
そう、I am here.といっても、私は確かに生きて存在していますよという感じでしょう。
The Invisible Circusという映画も、たしかI am hereという言葉で終わっていたなあ。
あれは自分の存在を取り戻したという感じでしょうね。
群言堂のホームページのイントロダクション画面にもあるように、
http://www.gungendo.co.jp
山の高いところからみた石見の谷は緑の樹々に覆われて、
その谷底に微かに見え隠れするようになつかしい家並みが息づいているわけでしょう。
そういえば徳島県神山の大南さんのNPOの名前は「グリーンバレー」でしたね。
そんなことも思い出します。直訳したら緑の谷かもしれませんが、万感の思いがこもっています。
We are here.
これはもう翻訳できないですね。
社是が英語というのはたしかに異例と見る人がいるかもしれませんが、
もうこれしかないんじゃないですか。
松場さんのことは3月6日にもテレビ放映されるみたいですよ。
http://www.gungendo.co.jp/iwamiginzan/topics.html
We are here.
住んでいるまちのことを、私たちもそういえるようになりたいですね。
(あさくら)
1990年代だろうか、日本のODAに対する批判として、ひも付き援助(日本の企業に発注される事)の指摘がなされた。しかしながら、医者、用水路を拓く-アフガンの大地から世界の虚構に挑む医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い(2001年中村哲著)を読むと、欧米のODAもまた、特定の欧米のNGOにひも付きされ、PMS(ペシャワール会医療サービス)に立ちはだかっていた。彼は国際NGOを国際官僚機構とも呼んでいた。
国会審議で参考人としてアフガンへの自衛隊派遣を「有害無益」と発言して話題となった中村哲氏は医師でありPMSも医療チームであったが、なぜ「とにかく生きておれ。病気は後で治す」と言って井戸を掘り始めたのか。
アフガンでは長く外国からの侵攻や内乱などの戦乱で疲弊している所に近年からずっと旱魃が続いており村を離れたりで避難民や国内を流浪する民が続出した。それに追い打ちをかけるようの西側が主導する国連の経済制裁が始まり食料や資材は益々窮乏し、また赤痢やコレラなどの病気が蔓延していった(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る)
感染症の患者が押し寄せる事に危機を覚え、アフガン人700人を指揮して1000の井戸を作った。そんな中アフガン人の作業員が殉職し、中村氏はおくやみに親を訪ねるとこう言われた。
「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから、本望です。全てはアッラーの御心です。」
「バラバーグ村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。私も子供の頃の仕事は、ここから二里ほどはなれた泉に飲み水を取りに行くことでした。水袋3本をロバの背に乗せて往復半日かかりました。ところが、そのうちの一袋は自分とロバで飲んでなくなり、一袋は途中で旅人に分けて無くなり、家に持ち帰るのは僅か一袋の水だったのです。」
「昨年の夏、その泉が涸れ果て、小川の水も尽きた時、ほとんどの村人は村を捨てることを考えました。バラバーグでは井戸はでないと大昔から皆信じていました。GAA(ドイツ―アフガン救援団)のボーリング井戸が一本ありましたが、五千人を養うことは不可能でした。それさえも涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも一つ二つではなく・・・・・。人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です。」(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る)
この時、PMSはバラバーグ村で13か所で井戸を掘り8か所で水を確保していた。GAAの7基のボーリングは何れも失敗に終わり、PMSの手堀りだけが最終的に成功を収めていた。その13か所の作業場でPMSのスタッフとアフガンの人とはどのような連携があったのだろうか。本書の巻末にある蓮岡修氏の「現地報告」では「現地での活動は、日本人が主体になってやらねばならない
」とある。
「現地で活動する国連を含めた他のNGOを見てみると、必ずアフガン人の代表者が取り仕切っており、外国人の仕事はその報告を処理しているだけであった。仕事の関係上、駐在するスタッフに会うことが多かったが、彼らは大まかな活動は把握しているものの、スタッフ一人一人の性格や、村々の位置やそこの長老の名前、物の質や値段など、活動を進める上で知っておかなければならない事に注意を払っている様子はなかった。このような現地人主体で進められている欧米系の大きなNGOで、100パーセントその能力を発揮している所はまず無かった。(医者、用水路を拓く医者井戸を掘る)
ここで持続性について思ったのは「魚を与えるより釣り方を教える」「井戸を与えるよりも井戸の掘り方を教える」といった単純なこと以上に、現地活動を行う者が主体となる事さらには「活動する」という姿勢を示し続ける事の必要性である。
クリントン前大統領がアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルを撃ち込んだ際にも、略奪がありました。ほとんどのNGOや外国人が逃げ出し、「どうせ戻らないのであれば・・・」と貧しい人々が備品を奪って生活のために売り払ってしまったのです。我々の事務所が略奪されなかったのは、何があっても活動を継続するという姿勢を示し続けたためでした。(ペシャワール会ホームページより)
(マエダ)
追記
引用した本のタイトルが間違っていたのを修正しました。PMSはその後、農業復興のため用水路を作り始め、間違って紹介した本は、用水路作りをまとめた本のタイトルでした。
久繁哲之介『日本版スローシティ』を眺めていると......
「欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」
(久繁哲之介『日本版スローシティ』学陽書房、4ページ)。
成程参ったなー、と思いました。
「既存事例集が提唱する「成功(活性化)の事例、その実現手法」のモデルは欧米にある。日本はその目に見える部分と、論理で説明可能な部分だけを、手っ取り早く「模倣」しているにすぎない。この「可視、論理、効率」を重視する発想が、日本のまちづくりの根底にある。一方、欧米の文化・風土は日本のそれとは正反対で、「感性、哲学、ゆとり」を重視する」(同)
というわけです。
物事は多層的なので、どの層を参考にするか次第で話が異なってくることはよくあります。
結論を参考にするのか、それとも文脈や情況やプロセスを参考にするのか。
とうぜん、物事は文脈や情況のなかで成り立っているものですから、結論を移植してもうまいくとは限りません。
「現在の社会・文化のありように何ら手をつけないまま、欧米都市づくりの方法や施設をそのまま導入しても巧く機能しない」(同129ぺージ)
欧米に限りません。柚子や葉っぱなど日本の事例をみてその可視的な象徴だけを移植するのでなく、システムやプロセスの次元までみなければならない。
つまり物事をいったん翻訳するという作業が必要ですから、粘り強い思考が必要になりそうです。
それとともに、私自身もそうですが理屈を詰めて考えがちですが上記のように感覚的なものも必要なので、つまり体験・経験に裏打ちされたある種の感覚、楽しさのセンスのようなものも忘れることはできません。
綾部に講演にこられた馬路村の村長もいい感じのアトモスフィア(空気)をもっておられたなあ。
世の中には名状しがたいけれど息の詰まるようなムードの漂う情況もあるし、名状しがたいけれどうきうきした創造的なムードの漂う情況もあります。
それは何なのか。私自身、世の中のたいていのことは観察可能、説明可能であってほしいので、急に聖域を持ち出したくないのですが、人間の身体や脳の生理的なものもかかわっているような気がします。
綾部里山交流大学で鹿熊勤さんのお話をうかがいましたが(2010年1月)、上勝町は葉っぱを契機として好循環のスパイラルを形成することに成功した事例であることがよくわかりました。
だから物流的なものと精神的なものをふくめて、好循環のプロセスをイメージ化しなければな、と思います。
ところで『日本版スローシティ』の著者が地方自治体のまちづくり関係者に休日の過ごし方を質問すると、男性だけでゴルフに行くという答えが圧倒的に多いそうです(同19ぺージ)。
ゴルフ場は水源維持の役割を果たしていた山林や丘陵地帯を重機で削り取って作られ、排水の影響もあわせ、植生や水質や生態系を変化させてしまいます。
ここでの文脈はこのような自然破壊としての側面以外に、ヨーロッパでの休日のすごし方が、街なかでの憩いと交流だったりするのに対して、ゴルフはないでしょということかと思います。
まちづくり、地域づくりというのは海の上に浮かんでいる氷山をみるのでなく、海を見なきゃいけなかったんだ、みたいなことでしょうか。
「現在の社会・文化のありよう」に手をつけようよ、となります。
社会・文化のありようにどう手をつけましょうか。詳しくは『日本版スローシティ』を見てください。ここでは一部分にしか言及できていませんので。カップル減少社会が焦点ですか。
綾部里山交流大学で若杉友子さんは食べ物によって人の顔が変わってくるというような話をされました。
たしかに若杉さんご自身、たしかに昔の日本人はこんな感じだっただろうなといういい感じの顔をされてます。
現代文明を抜けきらない暮らしをしていると顔にでるかもと思って、忸怩たるものがあります。
綾部里山交流大学の2010年3月の講座でお招きする吉水の中川誼美さんは、「自分自身の暮らしと事業上のコンセプトが矛盾しないこと」を理念としておられるとか。
http://www.gnew.jp/home/index.php?menu=category&catseq=109&atcseq=561
これも、成程参ったなーです。
この点、企業のCSR活動に関しても、CSRというのは企業活動の外にあるのでなく、社会的責任は経営に内在的なものであるべきという視点は重要と考えます。(新山陽子「国内農業の存続と食品企業の社会的責任」『農業と経済』2008年7月)
http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200807.html
とにかく昔風の暮らしをしてみる。そんなことから自分のなかの感覚的なものが何かしら変わっていく。でも私は理屈に傾くから、そんな過程すら理屈で解明したくなったりするんですけどね。(あさくら)
「コンクリートから人へ」という現政権のキャッチコピーに対して、コンクリートの専門家から異を唱えられたという京都新聞の凡語が面白かった。その中に興味深い記述があった。
(3段落目途中より)欧州では建設投資の3割を維持管理に充てているのに、日本は統計に表れないくらい少ないという▼造りっぱなしで、手入れをしない。古くなれば、新しく造ればいい。高度成長期に造られた橋や建物は、補修されないまま「高齢化」している。荒廃が進み、地震などで倒壊の恐れもあるという▼阪神大震災から15年。横倒しになった阪神高速道路の惨状が目に焼き付いている。耐震化は注目されるようになったが、維持管理にコストをかけるという意識は広がっているとは言えないようだ(後略 京都新聞-2010年1月15日)
情報ソースは確認できていないので、3割の妥当性や国際的な比較について分かりませんが、維持管理費のコストは公共投資や公共融資の事前調査において、持続性の観点から必須な見積項目と言えるのでないでしょうか。
たとえば、途上国や危機的状況になった国などに融資を行う世界銀行では、そのポリシーや業務マニュアルを詳細に公開しているが、事前・事後に行われる調査の要点は「効果」「公平性」「持続性」であろう。
先週行われた綾部市長選挙で当選した山崎善也氏は日本政策投資銀行ご出身で、世界銀行もに出向されたご経験もある。語弊があるので口にしたことはないが、地域振興への補助金や交付金などは、発展途上国の融資にも通じるところがあると思っている。(マエダ)
大あやべ主義と小あやべ主義
綾部市内にある里山ねっとの近辺でも、「綾部に行こう」などとよく言います。
えっ、里山ねっとだって、綾部にあるんでしょう。
実は綾部には広義と狭義とあるんですよ。
広義の綾部は綾部市全体ですが、
狭義の綾部は旧綾部町、市街地です。
一地点の地名がやがて周辺をふくめた地域の地域名になることはよくあります。
ですから里山ねっとの近辺で、綾部に行くといえば、
綾部駅や市役所のある市街地に行くということです。
つまり綾部という語感に2種類の地域的広がりがあります。
里山ねっと・あやべの定款やホームページでは、
「この法人は、綾部市の恵まれた自然環境や歴史、風土などの優れた地域資源を活用し学術、産業をも融和した新しい地域開発のあり方を研究し実践するため、舞台として里山空間がもっている「里山力」、「人財力」、「ソフト力」に支えられた都市農村交流から定住促進に向けて各種の事業を取り組むとともに次世代を担う青少年の健全育成を図り、地域の活性化に寄与することを目的とする。」(定款)
「里山ねっと・あやべは、自然に恵まれた京都府綾部市の「里山力」(豊かな自然、美しい里山的風景、ランドスケープなど)、「ソフト力」(多様な里山文化、経験や知恵、芸術文化など)、そして、個性あふれる「人財力」(夢や想い、志、精神性など)の「3つの力」を活かした活動をおこなっています。」
とあり、綾部とはどの領域を意味するのかの定義づけは明文としては特にありません。
里山ねっと・あやべの活動範囲は綾部市里山交流研修センターの立地地域周辺となっていますが、なおかつ「あやべ」を名乗っているとすれば、
それを説明するのは、理想としては里山ねっとの生み出す産業連関が、綾部全体に波及するようでありたい
ということになろうかと思います。
大あやべ主義と小あやべ主義というのは
大ドイツ主義とか大アジア主義の用語法だけからの連想で、あまり
穏健なものではありませんが、
ともかく考えたいことは守備範囲のことです。
アダム・スミスは各人がそれぞれ自分のことを考えて行動することで、
結果的に社会的な利益が実現されるというようなことを、神の見えざる手といいました。
ケインズは投資に波及効果があるということを指摘して、マルティプライヤー(乗数効果)ということをいいました。
えがおつなげての曽根原久司さんやかみえちご山里ファン倶楽部の関原剛さんに、綾部里山交流大学でご講演いただいたときも、活動が地域社会にどのような産業連関をもたらすか、具体的なイメージをもって仕事をしておられることを感じました。
大あやべ主義と小あやべ主義というのは勝手にこしらえた言葉ですが、
ここでいう小あやべ主義というのは里山ねっとが立地区域の周辺のことを考えて努力していれば自動的に、波及効果によって綾部全体の利益が実現されるだろうという考え方です。
大あやべ主義というのは里山ねっとももっと直接的に、綾部各地区全体のことに目配りして事業しなきゃという考え方です。
皆さんはどう思いますか。ご意見いただきながらやっていきたいと思います。(あさくら)
1
事業の価値には、精算価値と継続価値がある。たとえばたこ焼き屋にとって、たこ焼き用の鉄板の価値はたこ焼き屋を継続していく場合、たこ焼き屋を辞めて清算する時の価値よりも高いであろう。一般的に企業の会計は、継続することが前提であるが、業績の悪化などで、その前提が危うい時には財務諸表に、「継続企業の前提に疑義」の注記がなされる。継続することに疑義があるということは、掲載されている資産状況もあやしくなるのである。
あくまで会計上使われる言葉であり、突拍子もないかもしれないがヒト・モノ・カネ・情報・ナレッジといった資源において、精算価値と継続価値を見ることができるだろうか。もっとも知的財産としてカネに交換可能な情報資源もあるが、情報やナレッジといったものは、精算すれば資産同様に無価値になるものが多いであろう。さらにヒトについても存分に各員が能力を発揮し、事業の役割を担っていれば、3人寄れば文殊の知恵、3本の矢よろしく、個人個人の価値の総和以上に、事業の中のヒトの継続価値は高いだろう。組織の持つ資源を数値化することは難しいが継続価値と精算価値の差こそその事業を行う組織の強さであり、力と言えるのではないだろうか。
2
先日、大学と行っている地域活性化ボランティアプログラムの報告会があった。幾つかの地域の活動に学生が入って、ボランティアを通じて学びを得るというもので、受け入れ団体の一つとして約10プログラムの報告を聴いてきた。プログラム受講生は単位を取得することができるが取得した以降もボランティアとして参加されている学生も、受け入れ団体によっては少なからずあるようだ。活動の内容にもよりますが、受け入れ団体として継続して参加いただけるような、プログラムを目指せればと思う。
とは言え、大学から距離が離れていること、学業が本分であること、就職を控えていることなどあって、学生個人が継続的に参加することは難しい。これまで春になれば新しい学生を受け入れ、翌年度にはリセットして又あらたに学生を受け入れてきたが、ボランティアプログラムの受け入れを一つの事業としてとらえられないだろうか。リセットするということは清算するということであり、活動の価値をそれまでに留めるものである。学生の活動を継続的なものと前提とすることで価値を高めることはできないものか。
もちろん大学側が継続して受け入れ団体としてくれることが前提であるし、学習の場という点でどうなのかは正直わかりません。ただ学生たちが残した成果や抽出した課題や立案した解決策をリセットすることなく、翌年の学生に引き継いでいくことは、受け入れ団体としての力だと思う。(マエダ)
「3つのキーワード」
昨年2009年は、ぼくにとって
環境問題と出合って20年という年でした。
大学の卒論提出日は、
ちょうど昭和から平成に御代がかわったときです。
その1989年春に入社した会社が
環境問題にすでに取り組んでいて、
のんびりと学生時代を過ごしていたぼくには
環境問題というのは大変衝撃的でした。
以来、いろいろな本を読んだり、
講演を聴いたり、議論をするなかで
・できるだけ 暮らしをスモールサイズにする
・できるだけ 化石燃料に頼らない方向でいく
・できるだけ 農ある暮らしをする
・できるだけ 味噌など手づくりする
・できるだけ 身土不二的な和食で暮らす
などを心がけるようになりました。
20年かけていろいろ
生き方、暮らし方を変え、
ダウンサイジングしてきたのです。
東京でオーガニック居酒屋をしている友が
ビル・トッテンさんの本
『「年収6割でも週休4日」という生き方 』
(小学館、2009)
の存在を教えてくれました。
「年収6割でも週休4日」という生き方とは、
なかなかストレートな表現でいいです。
最近、よく「6割経済」といわれますが
そういえば、ぼくも、よく考えたら
それを目指してきたのかもしれません。
時代の変革期といわれて久しいのですが、
まだまだ続きそうですね。
この時代をどう生きる?
2010年のキーワードを3つあげてください。
年初にあたって、そう尋ねられたら、
ぼくなら何と答えるだろう。
1つ目は、やはり
地元学のキャッチフレーズの
「"ないものねだり"から"あるもの探し"へ」の
「あるもの探し」でしょうか。
さらに、
綾部里山交流大学のテーマ風にいえば、
アイデアをもって、
「あるものでないものをつくる」
とうことですね。
2つ目は
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」
(自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)。
一輪の花や移り行く季節、
雪月花にハッとできるような感性です。
自然環境の変化に気づけるチカラです。
3つ目は何にしましょう。
みずから機会をつくり出し、
その機会によってみずからを変えていく
(独立・起業志向の企業文化をもち、
個性的な人財を輩出するリクルート社の社是)
という精神がやはり大事ではないかと思います。
この状況をどうしても周囲や国のせいにしがちですが、
自分たちで切り拓くチカラも大事だと思うからです。
上記のことばをキーワード化すると
「機会創造的変革」といったところでしょうか。
みなさんなら、2010年のキーワード、
どんな3つあげますか?
みんなでキーワードも出し合い、シェアできたらいいですね。
(文・塩見 直紀)
かくまつとむさんの『野山の名人秘伝帳』では美山町の料理旅館「つるや」さんの「松葉サイダー」を紹介しています。
一升瓶に松葉と砂糖水を入れると発酵して微炭酸の「サイダー」になる。ちょっとした魔法です。
店主の子供時代にお母さんが作ってくれたそうですが、お母さんは店主に作り方を教えなかった。
「毎年梅雨明け頃になると、子供の頃に田舎の母が作ってくれたサイダーの味を思い出すんです。私が母に、どないして作るん? と聞いても、笑うばかりで教えてくれませんでしてね。」(34ページ)
「つるや」さんは最近は料理旅館ですが、以前は「行商人相手の商人宿」だったそうです。
しかし社会の変化、交通の変化にともなって、行商人自体が減ったのでしょう。料理旅館に衣替えして、料理の工夫につとめるなかでサイダー作りを試みますが、秘訣がわからない。
「そんなときふと目がいったのが、松の若葉でした。サイダーを造るのはたしか梅雨明けでした。その頃、松の若芽がぐんぐん伸びるんです。......昔飲んだサイダーの瓶に入っておったのも、松の葉でなかったろうかと、ふと思うたんです。」(36ページ)
今の私たちは松葉を食べたり飲んだりすることは思いつかない。しかし思いついた。
お母さんは言ったそうです。「あんた、ようこの味がわかったな。あのとき聞かれても作り方を教えなんだのは、自分で工夫してほしかったからなんや。よう松葉に気づいた。こういうことが大事なんや」(36ページ)
「つるや」さんの門前の看板にはサイダーの文字が書かれていて、一杯300円の松葉サイダーを頂いてみるとその透明なグラスのなかにこんな無限の物語が秘められています。
街道沿いの交差点に立地していて商人宿だった「つるや」さんですが、付近の道路のつけかえが進んでいて、近くの川にかかる橋も架け替え工事の途中です。道路の付け替え後は裏通りになります。時代の変化はとどまることがないようですが、応援したいと思います。
『野山の名人秘伝帳』では松葉サイダーが発明された時期について「一升瓶が日本酒の汎用輸送容器として主流になっていく大正以降のアイデアではないかと思われる」と推定しています。
今でこそありふれている砂糖ですが、その頃はもっと貴重品であったことでしょう。
少し前の世代の人から聞くことがあるのは、アメの作り方です。
米や芋を煮て、芽の出た麦の胚芽をすりつぶしたものを混ぜます。しばらく置いてから漉して、煮詰めます。
すると水飴や砂糖を使わずに飴ができます。昔はお菓子がないのでこのようにして子供のおやつにしていたのだとか。
胚芽の飴。『美山町誌』に載っている話をいつも思い出します。
「朝鮮から美山にきたSさんは当時を振り返りこんな風に語った。......戦後は配給が少なくて食べるものも無くて......ちょうど上の子が出来た時、食べるものがなくてなくて、......それでお父ちゃんが結婚のふとんを日本人の親方の家に持って行った。あら麦一斗、米一斗と換えてきた。その米が水につけると浮くんや。......自分は食べずに子どもに食べさせて......少し楽になったのは、アメを作り始めてからや。どこで覚えたかアメの作り方知っていた。砂糖は使わない。ごはんを蒸してもやしを入れて煮詰めて煮詰めて、米一升とアメを交換した。少し良くなって、よし子どもに食べたいだけ食べさせてやろって思って、二升も三升も炊いた。そしたら食べる食べる。おまえらまだ食べるかって聞いたら、お腹いっぱい、でも口が食べたいって言った。」(『美山町誌 下巻』553ページ)
「お腹いっぱい、でも口が食べたい」という時代のなかで、「どこで覚えたかアメの作り方知っていた」ことが役に立った。
布団と米を交換して、米からアメを作って、そしてアメを米に交換する。
「少し楽になる」契機となったアメの作り方は、「どこで覚えたか」とはいってもやはりお母さんなのかお婆さんなのか、近い家族から学んでいたというのが最も高い可能性ではないかと思います。
ここでサイダーからふと、レモネードのことを連想してみます。
アレックスのレモネードという物語をテレビで見たことがあります。書籍にもなっているようです。
詳細情報にあたれていませんが、腫瘍にかかってしまったアレクサンドラという少女がレモネード販売の輪を広げ、がん対策のファンドができたという実話だと思います。
たしかにレモネードという媒介なしにお金だけを寄付することもできるけれど、レモネードを購入するという行為を媒介とすることで物事が可視化され、コミットしやすくなる。そしてじわじわと広がっていく。
たしかに病気自体はたとえようもなくビターなことですが、人生がすっぱいレモンのようであっても、レモネードに変えればいいじゃないかということだったと思います。
そんな象徴交換の媒介として「すっぱいけど甘い」レモネードは唯一無二の表象であったように思います。
松葉サイダーや、もやしの飴や、レモネード。
ビターなこともある人生を少しだけスウィートにする魔法。ちょっとした工夫の産物が無限の物語を生む可能性を秘めて、まだ私たちの身近に眠っているような気がします。(あさくら)
「既視感」
綾部里山交流大学の実技編である
里山生活デザイン科(冬編)では
プログラムの1つとして、
「みそづくり」をおこないました。
杵と臼で大豆をつぶして、
甕は熱湯消毒をしたり、焼酎で消毒をしたりと
みそづくりの達人である先生と
事前の打ち合わせをしていたら、
その昔、友人の別荘でおこなった
みそづくり教室を思い出しました。
そう、場所は滋賀県でした。
なぜ、達人でもないぼくたち夫妻が
みそづくりを教えたのかは?ですが、
仲間より早く、みそを仕込んだ
先駆者だったから、頼まれたのでしょう。
時は、たしか、
ぼくらが嵐山に住んでいたころ。
ということは
1993~1995年ころ。
96年に田んぼや畑を始めのだけど、
自給農より先におこなったのが
そういえば、みそづくりでした。
みそづくりの段取りを打ち合わせていたら
ふとこぼれてきた
我が家の講師デビューの日の思い出。
家の間取りとか駅までの道のりとか
いろんなこと、覚えているものですね。
あのときのみんな、
みそはいまも作っているかな。
(文・塩見 直紀)
人間社会は、生物に比して見られることがある。リチャードドーキンスは、社会のありかたが動物の遺伝子のようなふるまいをするといい、ノーバートウィーナーは通信技術に使われるフィードバック回路は、生命にも社会にもあると論じた。
フィードバックとは、たとえば物をつかもうと手を動かしながら、同時に視界に入った手の位置などの情報を脳に返すことで必要あれば補正し目的遂行を確実にする。追尾型のミサイルに応用されていると言えば分かりやすい。
フィードバック回路が社会にあるとすれば、社会問題を補正する機能が社会そのものに備わっている。現代では社会起業家がその役割を果たすべく自ずと生まれるのかもしれない。
1948年(第2版1961年)ノーバートウィーナー著「Cybernetics(副題:動物と機械における制御と通信)」は、エンジニアだけでなく生物学者や経済学者からも評価を得ると同時に、SF作家やヒッピー文化にも刺激を与えた。
ヒッピー達のコミューンを転々としてきたスチュアートブランドもその一人で、彼を一躍有名にした「ホールアースカタログ」は、寄稿者や購読者やスタッフのコミュニティーともいえる出版物で、掲載される情報にはフィードバックが自由に行われた。
橘川幸夫氏は日本のスチュアートブランドと言えるかもしれない。1970年代に立ち上げた全面投稿雑誌「ポンプ」は、「参加型メディア」(という言葉を最初に使ったであろう橘川氏がロッキンオン創刊以来一貫して携わってきた)、今で言うコンシューマジェネレイテッドメディア(CGM)であろう。
「ポンプ」は私にとって一周り以上前の世代の雑誌だが、中学時代にスクラップを読みふけった記憶がある。その橘川幸夫氏が先週、里山ねっとに来られたのに別の来客中でお目にかかれず残念でした。(マエダ)
