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●胸中のふるさと・由良川と位田橋〜戦火が激しくなった昭和19年、京都市内から位田町に疎開し、当時木だった橋の付近が子ども時代の遊び場でした。思い出の位田橋のたもとで懐かしい山川のにおいに今もかこまれると、当時の思い出が一気に蘇ります。位田橋からの由良川風景は今も私の「原動力」です。
(浜野 安宏 様/デザインプロデューサー/東京在住)

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●奥上林の古屋〜山崩れの防止の工事が完成したということで、お祝いの席に招かれたのは去年の10月だった。山の幸をふんだんに使った手料理がおいしかった。帰路、A君と府道からちょっと下がった大岩へ寄った。民家と渓流と大岩と樹木、秋の深まりの中で、互いに響きあう美しさに、私はハッとした。独り占めしたくなるような景色だった。
(四方八洲男・綾部市長)

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●位田橋から見た夕日。秋がいいですが、他の時期でも美しい夕日が見れます。Uターンで綾部に帰ってきて最初に感動した美しい景色です。3年目に成りますが、今でも色あせず、美しい夕日を見せてくれます。(由良修一さん・38歳・男・綾部市新庄町在住)

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●黒谷町。川が流れる山間の集落。四季を通じて。伝統技術、伝統産業である手漉き和紙を守っていくためには黒谷町の山間集落の風景がなければならない。この地で紙漉きをしてこそ黒谷和紙が本物になる。(木下芳信さん・56歳・男・綾部市中筋町在住)

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●並松・由良川畔の松並木。綾部大橋から見て野谷酒店から正暦寺の方へ歩いていく。昭和20年代のはじめ、特に雪の降ったころ。川と松がよく似合っていて、「並松」という地名はこの木々に由来するのかと思った。(四方洋さん・65歳・男・東京都渋谷区在住)

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●鍛冶屋の奥から見た村はずれの一本檜とお地蔵さんの光景。いまもその風景は残っています。朝でも昼でも夕方でも新緑の季節でも雪化粧でもいいです。子どもの頃からお地蔵さんと一本檜のこの風景にひかれてきました。都会の友人を連れて行きますと、みんな気に入ってくれる、感じてくれる「精神スポット」です。小学校の頃、「山の神さん」という子どもの行事があり、みんなでつくった麦わらの家をお供えにお地蔵さんの前を通り、山に分け入ったことを思い出します。
(塩見直紀・35歳・男・綾部市鍛治屋町在住)

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●豊里東西小学校が合併され栗町の真中にそれは素晴らしい新校舎が完工し、平成12年2学期より生徒さんたちは新しい校舎で楽しく勉強にスポーツにとがんばっています。昭和7〜8年頃のことと思いますが、旧校舎が出来上がったとき、当時、以久田村小学校のとき、あの校舎が完成し、そのお祝いの大運動会が開かれ、何鹿郡中の小学校が招待を受け、招待リレーがあり、参加しました。もうあれから70年近くが経ち、あの校舎で楽しく学んだ子どもたちも70歳を超えました。楽しい思い出の校舎、なつかしい思い出の校舎が今回取り壊されることになりました。巣立って行った子どもたちには忘れられない学校です。私も思い出の校舎であり、あのとき、走ったグランドは忘れることができません。ぜひ思い出の中に残しておきたいあの学舎を写真に撮っておきました。いつまでも心の中に残しておくためにそのあと校舎がなくなったら何になるのかわかりませんが、西の方のあとに建ちましたところは老人のいこいの場となるということで私たちも近いし、大いに利用させていただき、楽しい老人の交流ができるといいと今から楽しみにしています。(田中美津江さん・89歳・女・綾部市栗町在住)


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上林街道で忠町へ入る手前の左側に大変大きな銀杏の木が山の斜面に高くそびえ立ち回りの家を見おろしています。樹齢何千年になるでしょうか?銀杏の木の下の家の方が自分の家の屋根が銀杏によって傷んでくるのを直されました。また草刈をして守っていただく事に感謝しています。1年を通してですが、特に秋、銀杏の葉が色づき、地面と家が茶色の中で黄色が鮮やかで枯れ葉の敷き詰められた時の私の上林の思い出です。
何年前だったか忘れたのですが、初めて上林へ行く途中で車中から目につき、気になり、それからはいつも上林に行く時、気にとめ、木のあることを喜び、家の方が大切にされておられることに喜びを感じています。
(宮本真里子さん・綾部市井倉町在住)

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●寺山から見た旧町内の街。山登からの眺めは清らかな由良川の流れ、四方八方、山に囲まれた静かな風景。それは現在も続いています。寺山は高からず低からずトレーニングにはもってこい。町にいては分からない四季の移り変わりが寺山に登っていると早く分かり、自然とのふれあえ、実にいい。(高木芳一さん・65歳・男・綾部市本町在住)

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●私の幼い頃の風景は、寺山から見た街並みです。綾部小学校に通った子どもはみんな、寺山に登りました。特に私は寺山の麓(本町)に住んでいたので、学校に上がる前から馴染み深く、何度も何度も頂上に上がっていました。(途中で遊んでしまうと、暗くて登れないときもありましたが(笑)。「学校がちっちゃいなあ」「あそこにうちの家が見える」「○○ちゃんの家の屋根や」「○○の後ろで見えへん」とみんなが自分の町区の方を誇らしげに説明したことを憶えています。街中の私の原風景です。(松下かなさん・綾部市井倉町在住)

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★生家(豊里町・舘)の前から犀川をはさんで小畑村の背後にそびえる。幼い私にはそびえたつように見えました。空山(そらやま)のどっしりした姿。そのかなた向こうには“鬼が城”の山々がはるかに霞んで見えました。私が4〜5歳、昭和10年ごろ10月10日赤国神社のお祭りの頃に望んだ“空山”が印象に残っています。その“空山”を仰ぎながら、母を真中に私と2歳年上の隣家のテルちゃんと三人でボール遊びをした。平凡ですが平和でのどかな幼い日の思い出です。往時茫々、辺りの姿はすっかり変わってしましましたが、“空山”だけは一寸の変わりもなく、どっかりと腰をすえています。(伊治哲さん・70歳・男・横浜市鶴見区在住)

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●奥上林郵便局あたりから、奥(かやの里くらいから)から福井県境までの川づたいの全風景。こちらに移住して10年そこそこですが、毎年の稲作時(田植えから収穫期)の全風景と新緑(春)、紅葉(秋)と雪景色(冬)。背景に森があり、川が流れる田園のふもとにある元かやぶきの家々(想像するのみ)に広がる日々刻々と変化する空間。歳月を重ねることに近辺の自然への憧憬は深まるばかり。固有のローカルさが心の故郷を呼び起こし、肉親にもまさる懐かしさを誘う。孤独を癒し、ロマンは底知れなく、イマジネーションをかきたてる悠久の美がそこそこに充満している。※県外からのドライバーが捨てるゴミが悩みの種。(崔華芬さん・女、トレーシー・グラスさん・女・綾部市老富町在住)

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★高津八幡宮の表坂を石段下から見上げる。そこを上下する御輿。

戦前から戦後少しの間までだと思うが、当時秋祭りの御輿は四百段以上もある石段を降り、下の馬場で祭礼が行われていた。現在は石段を降りずに上の馬場で行われる。この階段を登り降りする御輿は子どもの眼にも豪快で又危険性が感じられ、いつも下からわくわくしながら見上げていた事を思い出します。秋祭りの頃になると、この風景がいつも心に浮かんでくる。(大槻道治さん・67歳・男・京都府乙訓郡大山崎町在住)

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●市民グランドの交通公園のあたりの堤防から見た由良川、綾部大橋。15年くらい前〜現在まで。犬を飼っていたころ、よく散歩に行っていた。親に叱られたりして、腹が立ったときに川を見ながら、犬と話をしていた。犬は話よりクッキーに興味を持っていた。(四方源太郎さん・26歳・男・綾部市並松町在住)

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●紅葉の頃の安国寺。綾部産業祭の頃、安国寺もみじ祭りの頃。秋、もみじを見に行ったとき思いつきました。JR梅迫駅が安国寺駅と改名されてもいいのでは。(横山裕さん・65歳・男・綾部市今田町)

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★君尾山の奥山の大栃の木の姿。君尾山に車で登る道路が開通した後、たしか5年位前の秋も深まった頃でした。(光明寺の大いちょうの実が熟してポタッポタッと落ちていたのを覚えていますから)。子どもの頃から話しには聞いていましたが、一度も見たことがありませんでした。車を置いて案内通りに進み、道の無いような山中を草や木をかき分け、登ったり、下ったりした処に大栃の木はありました。何度かひき返そうと思ったものです。人を寄せ付けない何とも言えない神秘的な崇高さがありました。葉が落ちていて元気さはわかりませんでしたが、幹の空洞化が進んでいました。これからも何年もあの場所に立っていてほしいと思います。ぜひ樹医の管理を希望します。(奥野ユキヱさん・66歳・女・埼玉県浦和市在住・故屋岡町出身)

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●物部の(府道上杉大江線)上市(かみいち)より少し白道路に近いところから見た何北中学校の全景。季節は四季を通じて、とくに冬季。年代は現在。何北中学校は私の母校です。30数年経った今も私が通っていた頃と同じ木造校舎で人里離れた山間に凛としてあります。私にとって学び舎の原点です。(上柿みほさん・45歳・女・綾部市井倉町在住)

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●府道広野綾部線野田古墳を中心に南側より。添付した写真は平成12年4月17日。安政年間に発掘された野田古墳13基のうち、唯一石廓が壊れず、竹藪に残っていたものを地域の遺産として残したく平成7年周囲を整備し、花木を植樹したもの。幼少の頃はかくれんぼの場所です。(朝子晃吉さん・69歳・男・綾部市野田町在住)

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●味方町で開かれた綾部菊人形。昭和30年代の秋。家の人に連れて行ってもらえるのを楽しみにしていた。それぞれも菊がとても美しく飾ってありました。子どもであったが喜んでいました。(塩尻正明さん・48歳・男・綾部市岡安町在住)

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「ふるさと・あやべ」。こんなに心地好い言葉があるだろうか。綾部に生まれ、綾部に育った(育てていただいた)私にとって、これからも一生変わることのない、心の宝石。そんな中で私にとって、特に大切なものに由良川がある。小学生の頃、位田橋の上流が私たちの指定水泳場であった。先輩に木製の小船から放り出されて、もがきながら、泳ぎを覚えたものだった。魚釣りも位田橋を中心に上流や下流で実践で教えてもらった。写真撮影を趣味とするようになり、「由良川」を自分のテーマに決めたのが20歳の頃、由良川の水の恩恵に浴しながら、六五歳に達した今も、位田橋から見る素晴らしい夕景や移り変る四季折々の由良川の風景に魅せられながら、楽しんで撮り続けている今日この頃である。(大槻昭さん・60代・西新町)